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桑原 弘
1962年東京都生まれ。85年東京芸術大学美術学部デザイン科卒業。SFXプロダクション、CGプロダクションを経て95年にフリー。98年に自身の制作会社I.TOON Ltd.,を設立。TVCM、TV番組、劇場映画、ゲーム、プロモーションビデオ等の分野で、アニメーションからCG、キャラクターデザインまで数多く手掛けている。
──まず、桑原さんがどういう子供だったかということから伺いたいんですが。
描いたりつくったりっていうのは結構好きでした。図工の時間に、ボール紙で工作したとき、みんなは車とか人形をつくったりするんですけど、僕は、上が開いてミサイルが出てくるミサイル基地をつくったんですね。工夫して他の人と違うことをやりたいっていう気持ちはありました。
──本や小説は読まれましたか。
ある時期からすごく読むようになりました。まず、『スターウォーズ』や『未知との遭遇』を観て、SFっていうものにものすごく目覚めてしまうんです。といっても田舎だったので、それ以外のSFの映像に接する機会はあまりなかった。でも、小説はいっぱいあったんですね。それで、それまで小説嫌いだったんですけど、一転して、SF小説やファンタジー小説を読むようになりました。それは今まで続いてます。 同時に、当時『スターログ』っていう雑誌もタイミングよく出て、あれはビジュアルにかなり傾倒している雑誌だったんですね。そこに、海外のアーティストの「SFアート」とか「ファンタジーアート」が掲載されていて、そういう絵を見て、「あ、こういう絵を自分も描きたい」と、絵具を買って描き始めたんです。
──そのころ、アーティストでヒーロー的存在だったのは誰ですか。
スペースアートの人でチェズリー・ボーンステル。ファンタジーアートの人だとフランク・フラゼッタ。でも、一番好きだったのは、ヒルデブラント兄弟。スターウォーズの1枚目のポスターを描いたアーティストです。今でも一番好きですね。
──ゲーム業界に進まれた動機はCGに興味があったからですか。
ええ、CGはやりたいと思っていました。ただ、ナムコに入社する前は、アルバイトでイラストとかを描いていて、そのままイラストレーターになろうかなって思っていたんです。でも、そのときのバイト料がすごく安くて、1カ月くらいかけて描いた絵が、7000円とか。まあアルバイトだったし、当時は雑誌に載るだけでうれしかったんですけど。それで、どうしようか迷っているころ、PCエンジンっていうゲーム機が出たんですね。当時、PCエンジンっていうのは、すごい画像が綺麗だったんですよ。世界観の絵づくりもかなりできるようになっていましたね。それを見て、ゲーム会社に就職して、こういう世界をつくる仕事って、ものすごく面白そうだなと思ったんです。それでナムコに入社するんですけど、実は企画志望だったんですね。企画書と、それまで描いていた絵を持っていったら、「君はグラフィックね」ということになったんです。
──ナムコではキャラクターデザインもやられたんですか。
入社して最初にやったのは、メガドライブの『フェリオス』というゲームだったんですけど、グラフィックのアシスタントとして関わりました。『ローリングサンダー2』っていう業務用のゲームをやったときにグラフィックのリーダーとなって、以降ずっとそうです。自分は「背景畑」と勝手に思っていたので、キャラクターは描いていませんでした。グラフィックリーダーとして全体を統括しながら、スタッフにキャラクターを描かせて、自分は背景を描いていました。『ソウルエッジ』までは、そういう感じですね。
──『ソウルエッジ』のころは、ゲーム機のスペックが飛躍的に向上した時代だと思うんですが、それによってつくり方は変わりましたか。
『ソウルエッジ』の前までは、3Dの基盤じゃないところで仕事をしてたんですけど、その中でも基盤の進化によって絵づくりってずいぶん違ってくるんです。でも、『ソウルエッジ』のときには、2Dから3Dっていうものすごく大きな変化があったので、そこで3Dソフトを覚えなければならなかったり、いろいろとつくり方は変わりましたね。
──『ソウルエッジ』の世界設定は16~17世紀ですよね。資料的に考証は重ねたんですか。
あのときは、僕じゃないんですけど、そういうのにこだわるスタッフがいて、彼が相当調べて図書館とかに行って、構築していました。
──とはいえ資料をそのまま再現するわけではないですよね。
ええ。やはりゲームは「遊び」が最初にありきですし、そもそも架空の世界ですからね。プレーヤーにとっては、なるべくキャラクター的に面白いほうがいい。やっぱりその「遊び」の部分からキャラクターとか武器なんかも決めていくんですね。とはいえ、ひとつの世界を構築するわけですから、設定を担当した人は、いろんなキャラクターが同じ時間軸の中で共存できる、納得できる設定にすごい苦労していましたね。
──ナムコで手掛けた作品で、思い入れのある作品はありますか。
どれもこれも思い入れはあるんですが、ひとつと言われたら、やっぱり最初に関わった『フェリオス』ですね。新人で、グラフィックのアシスタントとして関わったんですけど、結構怖いもの知らずで、ゲームの仕様的なものまで企画のディレクターにいろいろと提案したんです。その人はすごく理解のある人で、もちろん却下もされましたけど、いくつか採用してくれたんですね。新人にとっては幸せな状況でした。
──『ソウルエッジ』のあと、ムービーをつくるようになって留意している点はありますか。
シナリオで描かれているドラマを映像にするときに、コンテ割り、演出でガラって変わりますよね。ガラって変わるっていうことは、シナリオから感じ取れるものを、よりよく膨らませる裁量を与えられているということなんです。映像の演出っていうものにはすごくこだわりがありますね。
──実生活の中で、映像づくりの参考にされているものはありますか。
不謹慎なんですけど、「カメラが見た衝撃の映像」みたいなテレビ番組ですね。日常目にすることのないものだし、本物じゃないですか。そういう実際のものを、知識として頭に入れておきたいんですね。車が猛スピードで走っていてクラッシュしたら、どういう挙動を示すのか。人がある局面になったときに、どういう行動を示すのか。そういうことを知っておかないと、自分が演出するときに、他の人がつくった映画やドラマの演出方法の受け売りになってしまうと思うんですよ。
──10年後の自分って想像しますか。
ええ、しますけど、わかんないですね、どうなっているか。クリエーターとしての自分の泉が枯れてなければ、今の仕事をやっていると思います。それから、単なるグラフィックリーダーではなく、設定やストーリーやキャラクターなどをすべて自分が考えて、トータルにつくれるような作品を、チャンスがあればやってみたいですね。自分がゼロから考えた作品をつくりたいっていうのは、多くのクリエーターが思っていることだと思いますけど、自分も例に漏れず、そう思っています。
──テクノロジーの部分は、今後もさらに進歩してほしいと思いますか。
よりよくなればなったでいいと思いますけど、そうなってくれなきゃ困るとは思わないんですよ。なぜなら、どのテクノロジーのフェイズでも、面白いエンタテインメントの大事な要素って、テクノロジーとは別の部分にあると思うんですね。ですから、それをいかに自分の中で進歩させるかっていうのが課題です。
──最後に若いクリエーターに何かひとことお願いします。
いや、特にはないですけど‥‥。若いクリエーターはすごいですからね。言いたいことというか、若いクリエーターたちのすごい作品をもっともっと観たいですね。そうすれば、僕にも刺激になります。クリエーターの競争相手は年齢関係ないですから。
| 1997 『ソウルエッジ』 | ||
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| resource | [映画] 主に「エンターテイメント」と分類される物 [小説] SF、軍事サスペンス |
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