平成9年度[第1回]文化庁メディア芸術祭
平成11年度[第3回]文化庁メディア芸術祭 受賞作品

マンガ部門

あずみ
優秀賞

あずみ

作者: 小山 ゆう

(日本)

贈賞理由

この作品は、アクション時代劇の衣をまとった「少女の心の成長物語」である。戦うという行為を通して、個々の登場人物の人生観が丁寧に描かれている。純な心をあやつるマインドコントロールの悲劇と、それを乗り越えていく少女のせつなさが大きな感動を生んだ。

作者プロフィール

小山 ゆう

小山 ゆう

1948年静岡県生まれ。1973年『おれは直角』(週刊少年サンデー)でデビュー。『がんばれ元気』で第22回小学館漫画賞を受賞する。『愛がゆく』『スプリンター』『ももたろう』『お~い! 竜馬』などで大人気を博し、『あずみ』で第47回小学館漫画賞を受賞。『あずみ』は今もビッグコミックスペリオール誌で連載中。

Winner's Interview

──小さい頃から絵を描くことが得意だったということですが、当時から漫画家になりたいという夢はありましたか。

いや、僕らの世代っていうのは、今の世代にはあまりわかってもらえないかもしれませんが、将来漫画家になろうなどという発想は微塵もないわけです。『少年』という雑誌の出始めたころだったんですが、当時は金持ちしか買ってもらえなかったから、漫画も実は読んでないんですね。東京には貸し本屋というのがありましたけど、僕らの地方にはそんなものなかったですし。漫画の話を友人とした記憶もないんでね。

──アクション好きというのは時代劇とか?

時代劇に限らずプロレスとか、いわゆる格闘アクションが好きでした。当時僕は頭のなかで空想のヒーローを作ってたんですよ。たとえばプロレスも相撲も、大鵬とか実際のヒーローはいるんだけども、もう1人空想の主人公を頭のなかに作って得意技などのアクションを考えるんですよ。あとアクションのパラパラ漫画もよく書きましたね。テレビでやっていた柔道の『姿三四郎』にシビれてね。記憶で全部描いたこともありました。

──でも当時は作曲家を志して上京したんですよね。

そうです。自分で言うのも何なんですが、中学生までは優等生だったんですよ。だからそのまま行けば何も考えずに順調な人生を送れたと思うんですが、高校生で、なぜか声が出なくなって、話ができなくなりました。初めて感じた劣等感で、どん底の3年間でしたね。卒業が近づく頃、病気もだんだん治ってきたので、初めて将来のことを考えはじめて、昔先生から音感がいいって褒められたことを思い出したんですよ。恥ずかしい話ですが、昔の有名な作曲家とか詩人って苦悩の人生を送って、本人はそのまま死んでしまうんだけれど、作品は永遠に残るとかあるじゃないですか。悲劇願望というか、そんな人生に美しさを感じてね。当時は世界なんて発想がないから、日本で1曲でもスタンダードな曲を残せたら、あとはどんな悲惨な人生を送ってもいい、そう思って東京に出てきたんですよ。芸大に入ろうとかそんなこと考えてなくて、とにかく苦悩することだと思っていました(笑)。

──実際に苦労はなさいましたか。

ところがそれほどしていないんですよ。とにかくバイトをしなければと思って、アニメーション会社でバイトをしながら密かに作曲家を目指していました。その流れでアニメーション会社から「さいとう・プロ」を紹介してもらったんですよ。それで運良く「さいとう・プロ」に入ることができたんです。その後、さいとう先生がすでに劇画家として長い歴史をお持ちでいることや、ちばてつや先生が『明日のジョー』の前にもいろいろと作品を描いていらっしゃることを知りました。それから漫画のおもしろさに目覚めたんですね。周りから「映画を観ろ」と言われて初めて映画のおもしろさにも目覚めましたしね。

──それで「さいとう・プロ」に3年間いらっしゃって、その後小池一夫先生の「スタジオ・シップ」に入られたんですね。

そうです。ただ、「さいとう・プロ」から出て、僕や、今は映画プロデューサーをやっている山本又一朗ら4人が「スタジオ・シップ」に入るまで1年半ほど期間があるんですが、この時代は本当に金がなかったけど楽しかったですね。「スタジオ・シップ」に入って生活は安定しましたが、精神的にはつらかったです。みんなが小池先生の脚本で漫画家デビューするところをオリジナルで出たいと意地を張ってね。それでデビューが遅れたから、ちょっと悔しい時期もあったけど、『おれは直角』でデビューしてからは順風満帆ですね。

──絵柄は「さいとう・プロ」に入る前と、入った後では変わりましたか。

変わったと思います。「さいとう・プロ」に入る前は自分の絵というものがなかったんですよ。漫画家になろうとは思っていませんでしたからね。だから当時は劣等生で「きみはさいとう・プロの絵をマスターする気はないのか」ってよく怒られました。

──デビューのときから非常に絵が完成していますよね。始めから最終話まで絵が変わらない。

絵描きではないから、絵的な進歩はないと思うんですよ。あくまで僕は映画のようなシーンを絵で描いている感覚ですから。漫画を知らなかったのが逆によかったのかもしれませんね。他の人がやっていたパターンを知らないので、それを真似ることをしなかったんですよ。僕は映画とかテレビの影響を漫画に持ってきたから、漫画で他の人がしていなかったことをできたのかもしれません。

──作品をつくるときは最初にストーリーありきなのでしょうか。

作品によって違います。『がんばれ元気』や『スプリンター』『おーい、竜馬』は、最終回までの大きな流れをイメージして描きました。そうじゃないと不安で途中でできなくなるんじゃないかっていう気持ちもありましたね。ただ『あずみ』に関しては最終回とかまったく考えてないんですよ。キャラクターが出来上がってしまえば、主人公がどこかに行くことによってドラマが生まれるようなものを作りたいですね。その点でさいとう先生の『ゴルゴ13』は理想ですよね。

──『あずみ』を読んでいると、次から次へとおもしろいキャラクターが出てきて、惜し気もなく殺されていきますよね。

それは時代劇だからですね。現代劇では描けないですから、自分でも楽しんで描いていますよ。むちゃくちゃな顔を書けちゃうのは基本的に僕の得意な分野だと思います。

──映画の『あずみ』はアニメーションではなく、実写のほうがいいと主張されたそうですが。

僕は殺陣(たて)に非常にこだわりがあって、パターン化された殺陣が納得いかないんですよ。アニメの人にやらせると、きっとこんな殺陣描くんだろうなぁというのがわかってしまうので。実写の場合もアクションのわかる監督にやってもらうことに関してはすごくこだわりましたね。自己満足の世界なんだけど、なぜその型がきまったのか、なぜ相手を斬れたのかをひとつひとつきちんと見せたい。ボクシングと一緒で、相手の読みをはずす、時間差、フェイントといろんなことが成立しないとできるはずがないんですよ。時代劇も、主人公が手を動かしたら飛び込んでくるような現実にはありえない殺陣は大嫌いでした。そういう殺陣をやる監督は嫌だったし、要するに理解できない決まりかたとかが嫌なんですよね。小さい頃から一枚絵を描くことに興味がなかったんですよ。むしろアクションなど動きを描くことが好きで、線画のアクションポーズを描くというのはよくやっていました。

──ところで『あずみ』はまだ先がどうなるかわからないとおっしゃっていましたが、どれくらい続けるかは決めていらっしゃるんですか。

どうでしょう。年齢が55歳ですからね。思い起こしてみると、自分が一番好きで、一番得意で、一番描きたかったことをこの年になって描くことができるのは幸せですね。小学校のときにいろいろ想像していたチャンバラの世界をいまこの年齢になってやれるっていうのは楽しいですね。『おれは直角』の前に出そうと思ったのがリアルなチャンバラの世界で、剣モノの『巨人の星』『明日のジョー』を描きたかったんですが、結局それではデビューできなくて、それまでは発想しなかった喜劇でデビューしたんですよ。だから自分の中で本来得意なのは喜劇じゃないという気持ちは常にあったんですが、時代劇じゃウケないんじゃないかと思っていて、現代劇に置き換えたのが『がんばれ元気』なんです。結局ウケないからといって時代劇から逃げてきたんですね。あるとき「時代劇を読んでくれる人だけに向かって描こう」と編集の人が言ってくれて、それで開き直って始めたのが『あずみ』だから、ライフワーク的に続けていきたいんですけど、まぁわかんないですよね。60歳くらいになったらアクションじゃないのも描きたくなるのかもしれないですが・・・。いまのところまだアクションですね。いいトシこいてね(笑)。

Works おれは直角 1973 『おれは直角
  がんばれ元気 1976 『がんばれ元気
  お~い! 竜馬 1986 『お~い! 竜馬
  あずみ 1994 『あずみ

ページ上部へ戻る

Pick Up Archive 今こそ読みたい。これまでの記事をご紹介

中村 勇吾

巨匠インタビュー
中村 勇吾

ボツになるほど、引き出しが増えていくということですから...

トーチカ

作家インタビュー
トーチカ

作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは...

竹宮 惠子

巨匠インタビュー
竹宮 惠子

スランプでも描くことをやめなかったことが、一番私を救ったと思う...

渋谷 慶一郎

コラム:データミュージアムは可能か? 渋谷 慶一郎

電子音楽とメディアアートの関係について考えてみると、その2つの...

押井 守

巨匠インタビュー
押井 守

実写であれ、アニメであれ、僕が一貫してやってきたことは...