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| © Rafael Lozano-Hemmer 2000 |
Vectorial Elevation, Relational Architecture #4
インスタレーション
作者: Rafael LOZANO-HEMMER
(スペイン)
※動作環境に関してはこちら

Rafael LOZANO-HEMMER
1967年メキシコシティー生まれ。 1989年にカナダのモントリオールのコンコルディア大学の物理科学士を取得。 現在はスペインのマドリッドに在住。
── 最初に子供時代について伺いたいと思います。子供の頃、将来に影響するような特別な事件は何かありましたか。
僕の両親はディスコやナイトクラブ、コンサートホールやレストランを経営していたんですよ。だから子供の頃には、いつも身の回りにサルサ歌手のセリア・クルースのようなアーティストがいて、家族の生活の一部になっていました。クラブに行くことを許されるようになってからは、音楽とナイトライフが僕の生活の一部になりました。こういう人工的な生活によって、ヘンな奴になったのかもしれませんね。友だちと比べれば、ですが。 両親は境界線なんてものをバカにしていて、どこに行って何を見るのも自由だと考えていました。12歳のときに、父が『バーのバイブル』という本をくれました。美味しいカクテルが作れて、楽しいパーティが開けるようになってくれというわけです。客をもてなすことができる人間こそが最も洗練されているというのが父の信念で、だから今の僕の作品は、楽しいパーティを開くようなことかもしれません。
── で、バーテンダーとしての腕前は?
なかなかイケてますよ(笑)。僕が最初に取ったのは化学の学位でした。父は僕が大学に行くことに反対していたんですが、「液体を混ぜることもある」と説明すると、「わかった。バーテンダーになるのに役立つんだったら……」と(笑)。混合と反応という考え方は、僕には今に至るまで大切なものです。音楽やアートにおいても、生活全般においてもね。
── 大学に入って分析化学を専攻したのはなぜですか。
母方の祖父がドイツの発明家で、彼がガレージでやっていた研究にひどく惹かれたからです。祖父はガレージでプラスティックを発見したんですが、実はその10年前にすでに発見されていた。ほかの連中が同じことをやっていたのに、それを知らなかったというわけです。僕はこういうロマンティックな話が大好きで、化学が好きになったのも、祖父のようになりたいという欲求からですね。
── 視覚芸術からの影響について教えて下さい。
父と結婚する前に、母が嫁いでいた相手がファインアートの美術館長でした。母自身もギャラリーを運営していて、フリーダ・カーロら当時のメキシコのアーティストたちが、何人もギャラリーに来ていたそうです。その後も母はメキシコの現代美術作家と親交があって、図案家のホセ・ルイス・ゲバスは僕の名付け親になってくれました。視覚文化へはずっと関心を抱いていたので、アーティストになろうと決めたときには、みんな僕を助けてくれました。よい環境だったけれど、同時にトラウマティックな環境でもありましたね。
── トラウマというと?
うんと小さいころには、身のまわりに銃がたくさんありました。父方の家が、ちょっとマフィアがかった家だったんじゃないかと思うんです。ショービジネスの世界だから銃があっても不思議ではないんでしょうが、大きなトラウマとして、武器があったことが挙げられるように思います。 文学に耽溺したことも、環境に関係があるのかもしれません。いつも本に囲まれていて、10歳のときにドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだことが、最近までひどく自慢でした。英語で読んだからなんですが、当時は意味がわかっていなかった。2年前にセラピーを始めてわかったのは、セラピー以前の僕の行動は痛ましくも無価値だったということです。一語一語をたどりながら読んでいたのは、英語で読めるということを証し立てたいという理由からだけでした。本に取り囲まれていたというのは、両親が過ごしていたクレイジーな生活から離れて、逃避できる環境をつくりだし、何らかの秩序を求めていたからなんです。
── 作品に初めてコンピューターを使ったのはいつですか。
1988年、カナダのバンフ・アートセンターに招かれたときです。学芸員がフラクサスの連中を紹介してくれ、一緒に仕事しました。とても面白かったですね。 センターに招かれたとき、僕はラジオアーティストでした。でも、演劇的なことを何かやりたくて、いろいろ考えていたんです。そこで『The Postmodern Commotion(ポストモダンの動揺)』というラジオショーをつくり、あらゆる種類のパフォーマンスを行いました。そのときに技術者とコラボレートしてセンサーを開発するなど、一部にテクノロジーを使うようになったんです。そんなことを3年ほどやった後、もっとインスタレーションをベースにした作品に特化して行きました。
── 初期のインスタレーション作品『The Dancers Answer Questions』(1990)について教えて下さい。
バンフ・アートセンターでつくったものです。センターがある国立公園ではキャンプファイアのようなたき火が禁止されていたので、火をビデオで撮って、TVセットを公園中に配置したんです。面白かったですよ。火を見るとみんな興奮するんだけど、近寄ってみるとただのモニターなんだから。だけどみんな、まわりに座って歌を歌ったりしました。キャンプグラウンドのビデオインスタレーションに人々がどういうふうに反応するかを知って、とてもハッピーでした。
── それからプロジェクションに関心を移したわけですね。
1997年にリンツのアルスエレクトロニカで発表した『Displaced Emperors, Relational Architecture No. 2』が最初のプロジェクション作品です。「Relational Architecture」シリーズのアイディアが浮かんだとき、そのための装置もつくっておいたんです。センサーとポインターを組み合わせたものを装着してもらい、建物のファサードのどこでもいいから指さすと、巨大な「手」が現れるというものです。
── 最新作は、山口情報芸術センター開館記念で披露する『アモーダル・サスペンション』ですね。インターネットや携帯から送ったメッセージが光の信号に変換され、サーチライトが夜空を走るというダイナミックな作品ですが、どのように発想したのですか。
日本に着いたときに、携帯を使っている人々を見て感銘を受けたんです。話をするために使っているんじゃなくて、互いに「つながっている」ことを確認するためにコミュニケーションしている。僕の作品がどこかあるいは何かに固有なものだとしたら、今回は人々が使っているプラットフォームに固有なんだと思います。このプロジェクトは日本以外の国ではうまく行かない。個人的に「つながっている」ことがすでに存在するのは、まだ日本だけだからです。僕はその場その場で起こっている人々の行動を視覚化することにこだわってきました。今回、山口の人々がどのように反応するのかはわかりませんが、予測を裏切るものになるんじゃないかという気がします。
── 『アモーダル・サスペンション』がそうであるかどうかはわかりませんが、ロサノ=ヘメルさんの作品には歴史や記憶に関するものがたくさんありますね。こうしたテーマへの志向はどこから来ているのでしょうか。
特別なきっかけがあったかどうかは何とも言えません。ただ12歳のときに、母がスペイン人と結婚したんですよ。3人目の相手でしたが、そこで僕も一緒にメキシコからスペインへ移ったんです。この移動は非常に根源的でした。僕は見知らぬ国への移民となり、またそう感じるようになったんです。例えばスペインでは、テレビの漫画番組はすべて、メキシコ人の声優がスペイン語に吹き替えます。だからメキシコ風のアクセントで話す人間がスペインに来ると、自動的に漫画の世界に属することになってしまう。漫画と同じしゃべり方ということで、笑い者になるんです。僕はいつも、一緒に育ったスペイン人の子供と自分とが非常に違うと感じていました。そしてその次に、今度はカナダへ移ったんです。 こうしたそれぞれの移動プロセスが、自分たちの歴史だとか、家庭観といったものを問い直すきっかけになったのでしょうね。「位置を変える」という概念は僕の作品の礎をなすもので、僕は必ずそこへ戻ってゆきます。逆説的なことですが、われわれは場所を失っていて、けれども複数の場所に置かれてもいます。いま僕はメキシコとマドリードとモントリオールが家のように感じていますが、同時にこの3カ所のどこにいても外国人のような気がする。このふたつの条件は共存可能なんです。そしてこうした移動を行うことによって、僕は複数の共存する現実があるという事実、さらには人間にとって面白いことのひとつにそうした現実の間を行き来することがあるという事実を意識するようになりました。
── だからロサノ=ヘメルさんの多くの作品には、いくつかの相異なる可能性と複数のアプローチ方法があるんですね。
その通り。僕はアート作品の詩的な部分というのは、何かをしないこと、言わないことの中に存すると思うんです。アートにおけるコミュニケーションについてよく語られますが、僕はそれが最も重要なことだとは思いません。多くの相異なった事物を意味する多種多様な知識や、寓意や、詩的な言葉など、莫大な量を一語に圧縮して込める。その言葉は、思いもよらなかった風に展開されることがあり得るんです。僕はそれが魅力的だと思います。複数の読み方ができるような場を与えることのほうが、ひとつのストレートなメッセージを通そうとするよりもはるかに力強いと思うからです。
| 1995 『THE TRACE』 http://www.lozano-hemmer.com/video/trace.html (QuickTime 20.6MB) |
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| 1999 『VECTORIAL ELEVATION』 http://www.lozano-hemmer.com/video/alzado.html (QuickTime 57.1MB) |
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| 2001 『BODY MOVIES』 http://www.lozano-hemmer.com/video/bodymovies.html (QuickTime 66.8MB) |
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| 2003 『AMODAL SUSPENSION』 http://www.amodal.net/videos.html (QuickTime 9.1MB) |
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