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大場 康雄
1968年東京生まれ。横浜アカデミー総合電子専門学校コンピュータ・アート科を卒業後、1989年、株式会社 ナムコに入社。現在、開発技術部に所属しゲーム用のエフェクト開発などを行っている。 1994~2001年に、CGアニメーション作品がSIGGRAPH(米)のElectronic Theater や、 Art and Design Show 、Imagina(仏)などに入選。2000年には、Prix Ars Electronica(オーストリア)Computer Animation部門にて準大賞を受賞。
―― ヴィジュアル的なものへ関心というのはいつ頃からでしたか。
絵を描くこと自体は、もう保育園に入った頃からですね。新宿が近かったので、新宿の駅をやたらと描いていました。電車が集まっている精悍な感じが好きだったのか、小田急線などの、滑車の下の油圧になっている部分とかをよく描いていましたね。5歳位の頃に、子供の絵を展示するような「東京ガス展」という展覧会があり、それにやはり駅の絵を出したことがあって。それが初めての作品展示かも知れないですね。
―― 子どもの頃、特に熱中したことといえば?
はまっていたのはYMOです。ちょうど小学校6年生くらいのとき「ライディーン」や「テクノポリス」が流れていて、ズーンと頭の中に入ってきて。あとはもう、YMOのことばかり考えていました。シンセサイザーのカタログなどを集めて。高校生になったら真っ先にアルバイトをして、ローランドのJUNO- 106というシンセサイザーを買ってしまいました。それと、ちょうどその頃パソコンが出始めていて、よく電気屋さんの店頭に置いてあるパソコンに、 BASICマガジンや電波新聞社の本に載っているプログラムを勝手に打ち込んで遊んだりしていましたね。高校3年のときには選択の授業で、三角形を回転させると花みたいな絵が描けるコンピュータの授業があったのだけど、あれは好きだったな。
―― それはまさしく今の作品の原点という感じですね。
ええ。僕はコンピュータの専門学校に入ったのですが、最初はコボル言語を学ぶビジネス寄りなコースに行くはずだったんです。就職に有利ですからね。でも暇さえあれば絵を描いているような子供でしたから、やっぱり思い直して、コンピュータ・アート科という新設の学科に行ってみようと。ちょうどテレビで、コンピュータ・グラフィックスの特集番組をやっていたんですよ。その映像を見てすごくビックリして。ストーリーを持ったアニメになっていて、三角形をグルッと回してるどころじゃない(笑)。もう将来どうなるかわからないけれど、コンピュータ・グラフィックスやりたい! と入学式の前日に校長先生のところに直訴しまして。あの時に学科変更を受け付けてくれたのは、今にして思えば大きいですね。
―― それで卒業されて、ナムコに入社されるわけですが。
最初に入ったのが、うちの会長が作ったCGプロジェクトという、とにかくCGを使って映像を作りましょうって旗印を掲げたセクション。そこでCMを作ったり映画のワンシーンを作ったりしながら、ずっとCGの仕事をしていたわけです。
―― 92年に発表された「wind」が最初の作品でしょうか。
はい。でもちゃんと納得の行く形にはならなくて、結果的には94年の「FURBLE」が、きちんとできた最初の作品だと思っています。そこまでに入社して 5年かかりました。あれは毛のファー(fur)ができる(able)という意味のタイトルなのですが、当時CGの世界では、毛の表現というものは難しいとされていたのです。それで92年くらいからずっと、毛をどうにか使えないかと実験映像を作っていたんですね。それが実を結んだわけです。 当時、入力した数値をリアルタイムに反映して、「毛のマテリアルでできた毛虫」が動くツールを作っていたのですが、あるとき、毛虫たちが、バーンと動き出しちゃったんですよ。ツールを作った自分でも「エッ?!」って思うような、ビックリさせられる瞬間があって。だからコンピュータが考えてくれたと言っても過言ではないのですが、そのスタイルでずっと8作品作ってきていますから、それももう僕のスタイルかな、と。
―― とすると、まずは個々のツールを作られて、それが作品になる、という順番ですね。
まあツール自体には、当初は何の目的もないんですね。あるマテリアルがあって、それにパラメーターをたくさん用意してあげるわけです。揺れ幅だとか、動く向きだとか、速度だとか色の変化だとか。それを全部スライダのツマミにして、ちょうどそれこそシンセサイザーみたいに、ズラッと並べてしまうのです。数を入力するよりツマミでいじったほうが具合がいいんですね。で、そのツマミを動かしながら、10秒くらいの映像を何個も何個も延々と作って、面白い振る舞いをするところ、心地良い感じのところを探っていくのです。
―― 千本ノックとかそういう世界ですね。
そうですね(笑)。賞をいただいた「ANJYU」は、最初は茶色の金属のマテリアルだったんですよ。でもその千本ノックをやっている期間に、たまたま東京にすごい雪が降って。すごい大雪で、雪が積もっていくたびに、どんどん世界が雪に吸収されていくような、そんな感じで。その時に休憩で買い物に出たのですけど、その帰り道に「あ、真っ白にしてみよう」と思ったんです。ただ白って、CGではあんまり使わないですよね。RGBをちゃんと3つ使えば1670万色が使えて、いくらでも強い表現ができるのに、白だけじゃ0から 255までの限られたレンジで表現しなきゃいけない。でもその中でやってみても面白いかな、って思い始めて。それが功を奏したようですけど。
―― なるほど。CGとはいっても自然みたいなものから影響を受けたりできるわけですね。
それは「Anjyu」の雪だけに限らず、どの作品でもそういう要素はあります。作業に集中していると、ふと、過去のある瞬間の、太陽とか空気感とか匂いとか夕日とか、勝手に思い出されてくることがあるのですね。その感覚が作品を作っていく上で、ひとつのカギみたいになっているところがあります。それでいつも、どこかしら「自然系」なところがあると言われる作品になってしまうのかもしれません。
―― 自然といえば、ご趣味が渓流でのルアーフィッシングだと伺ったんですが。
週末はよく沢に行っています。いまは禁漁になってしまいまして、冬場はこもって仕事をするしかないのですが。とにかく毎日毎日コンピュータの中で煮詰めていると、いつも狭い世界の中で、どこかに負担がきちゃいますから。また禁漁が明けたら、忙しくても行くと思います。自分の隠れ家みたいな、そういう場所があるので、行けるのが救いになりますし、仕事にも作品にもフィードバックされることにもなると思うんですよね。まあそれは行きたい口実でもあるのですが(笑)。
| 1992 『WIND』 | ||
| 1994 『FURBLE』 | ||
| 1998 『Kazematsuri』 | ||
| 2001 『安重(Anjyu)』 |
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