|
| © NAGATO TETSUYA |
I AGAINST I
CG静止画
作者: 永戸 鉄也
(日本)
永戸鉄也
1970年東京都生まれ。幼年期より絵画に親しむ。 専修大学付属高等学校卒業後、渡米。 帰国後1996年よりデジタルフォトコラージュ・イラストレーションの制作を開始する。 2001年第18回ザ・チョイス年度賞入賞。現在、雑誌・ファッション・音楽等のビジュアル制作に携わっている。
──何度か渡米の経験がありますが、向こうでは絵の勉強を?
いや、そんなんじゃなくて。荻窪が実家なんですが、都会の子供って良くも悪くも、小学校にフライングV持ってくる奴がいたりするじゃないですか。そんな影響もあってロックにハマっていって、中学にはスケートボードを始めたり、どっぷりアメリカに憧れてたわけです。そしたら高校の卒業式の日に、アメリカに留学するって同級生がいて、なんだそりゃ行けるのか! と。それでいろいろ制度とか調べて、ほんとはニューヨークが良かったけど、お金が掛かるからフロリダに。とにかくアメリカ行けりゃよかっただけだから、親をダマすために大学附属の英語学校に入ったんです。 でも勉強もしないで、グレイトフル・デッドのライブ行って、スケートやって。1年半くらいで学校もドロップアウトしたんだけど、そのまま居着いちゃったんです。向こうでもずっと絵は描いてはいましたけどね。色鉛筆とかマジック、油でもアクリルでも、そこらへんにあるもんで。ただやっぱり、生活が荒れてきちゃったのもあって、これはもういいかな、といったん帰国しました。
──いわゆるその、ダメダメ留学生の・・・。
典型だよね(笑)。それで日本に帰ってきて大道具の仕事をしてお金を貯めて、今度はバイトがあるっていうから、ニューヨークに。いまはどうかわからないけど、当時は割とラクに仕事にありつけたんですね。皿洗いとか、メッセンジャー、あとアダルトビデオの配達。ビデオ100本くらい入った袋をずるずる引きずって、名だたる日本の商社の会議室に行くんですよ。もちろんTVドラマとかもあるんだけど、でもメインはAVだよね。そんなことして、2年くらいいたのかな。
──タフな人生送ってますねえ。
タフっていうか、何も考えてなかったの。ただバイトしながら、バンドやったり絵描いたりして27ぐらいまで過ごしてました。だけどあるとき、スケートボードの友達で、いまファッションカメラマンで第一線にいる奴がいるんだけど、そいつがブック(プロモーション用の作品集)作って売り込みに回ってさ、うまいこと仕事に繋げてるのを見てね。なるほどな、こういう風に営業すれば食えるんだ! って思っちゃった。ナメた話だけど。それで僕もブックを作って、仕事になりそうな感じのところをとにかく回り始めました。アングラ出版社から、デザイナー、レコード会社まで。初めて仕事もらったのはリトルモアで、あとMdNにちょこっと載ったんだけど、そしたら企業のカレンダーの話が来て、1枚20万くれるっていうわけ。表紙入れて7枚だから・・・うおスゲエ! って(笑)。それが初めての金になる仕事だったかな。
──その頃から、今のような作風だったんですか。
色は使っていましたが、割と近いですね。営業始めるちょっと前にMacで絵が描けるって知って、買ったんですよ。PowerMacの8500/180。それまでデジタルっぽいの好きじゃなかったくせに、なぜかスッと入ってきてね。でもパソコンで手書きっぽいのをやるのは意味ないってわかってたから、じゃあどういうのやろうか、いろいろ試してたんです。そしたらたまたま僕、昔ステンドグラスをちょっと囓ったことがあるんで、その感覚で、写真に派手な着色をしてく、っていうのを見つけて。それでスキャンした写真を加工してコラージュ、というスタイルになりました。 最初に面白いと思ったのはスキャナーでしたね。スキャン中に動かしてブレさせたり、上に乗っかって身体をスキャンしたりとか、オイル掛けたりだとか、相当やりました。初めてコピー機に触った子供がやるのと同じだよね。もうガリガリに傷が付いちゃって、水も入っちゃって、初代のスキャナーでは酷いことになるまで遊びました。
──コラージュの素材はぜんぶ自分で撮影したもの?
最初のうちは、自分で撮ったのにこだわってましたね。ずっとカメラ持ち歩いてました。あとはスキャニングですよね。毛皮のコートの部分には習字の筆をスキャンして貼り込んだり、Gパンもジーンズをスキャンしたり、クルマ、包帯、金属、ブーツ、貼り込む素材に異様に執着してましたね。だんだんイヤんなって、どうでもよくなってきちゃったんだけど。そしたらフリー素材集もあるし、他人の写真も、古い印刷物とかも、何でも気に入ったら使っちゃえばいいってことに気付いて。レコードのジャケットとかも見るし、アートならバウハウスも好きだし、アーキグラムもいっときよく見た。まあ模倣するとかじゃなくて、みんな素材になっちゃうんだけど。ハードディスクに入ってるだけで、もう8000か9000点くらいあるので、そんなに使えるわけじゃないし、最近はネタ探しもあんまりしませんが。
──それだけある中で、どんな素材を選ぶ傾向がありますか。
好きなモチーフは、やっぱり質感が出ているもの。サビと、紙と、印刷物のモアレ。あと、例えばこう、すごいピカピカなものと錆びてるのがあって、その前に普通に茶碗蒸しとかあったりすると気持ち悪いじゃないですか。そういう食い合わせの悪さ、みたいな組み合わせは気になりますね。 というのも、僕が絵を仕事にしていこうと決めたときに、キーワードとして「ふるさとアート」っていうのを考えたんですよ。ふるさと(笑)。それはニューヨークから帰ってきて、実は東京がふるさとだったんだ、って気付いて。でもここに単純にふるさとのイメージっぽい、きれいな川とか山なんてあるわけなくて、じゃあ名物とか風物詩って何だろうって散歩してみると、ネオン街のネオンにこびりついている排気ガスのチリの黒さとか、満員電車の雰囲気とか、先のことあんま考えてない感じ、そしてさっき言ったデザイン的な食い合わせの悪さ。そんなのが見えてきたんです。そういうのがコラージュの素材選びに響いてますね。
──受賞作も都市のカタチをしたコラージュですね。
そう。あれはデューンって雑誌でレギュラーをやらせてもらうことになって、6ページ何やってもいいよって言われたんですよ。はじめにアイデア出したのが、都市の入り口の絵で始まって、それから都市の内部の絵が何点か、というのだったんだけど、入り口の絵を見せたら、ADの人が「これ面白いからこのまま繋げていっちゃいなよ」って。それで延ばしていったら急に、うわーこれスゴいことになっちゃったなあ、って自分でも驚きながら巨大化していきました。最初の頃は派手な色ばかり使っていましたが、この時期からはむしろ、要素がどんどん削ぎ落ちていって、白とか黒とかツートーンだったりになりましたね。
──これは、全部パソコンの中で組み立てていくんですか。
いや、とっかかりは手で下書きしてます。すごいラフだけど、外枠っていうかカタチは最初にできてる。コンピューターに持ち込んでから、作り込んでいく最中に膨らんでいくこともありますけど、どうやら、そういうのはあんまりないほうがいいみたい。基本的に最初に考えたことで行きたいですね。
──その最初の着想は、どんなときに浮かぶんですか。
最近ね、またスケートボードはじめたんですよ。ひとりで夜中、環八沿いをずーっと流して、首都高の高架の下でやったりとか。昔みたいにグラインドとか技はぜんぜんできないけど、乗ってること自体が気持ちいいですね。スラロームの感じとか。昔はみんなで集ってセッションとかやってたけど、いまは夜中で、ひとり。心細くて、それが気持ちいい。首都高とか、それを演出してるデザインなのかって思うくらい、見ていて心細くなりますよね。あの感じが、僕の「ふるさと」なのかな、と思います。 あとはこないだ、東京デザイナーズブロックのセントラルイースト版のほうに出たんですけど、そこに来た人の印象を即興でイメージコラージュにする、っていうのをやりました。似顔絵とかを描くわけじゃなくて、その人のイメージ、その人と会ったことによってできる絵を作るんです。発想力の筋トレになるかと思って自分で言いだしたんですけど、6日間で53人、1日最高13人かな?10人超えたあたりからグッタリでしたね。でもみんな喜んでくれたし、自分としても発想の範疇みたいのがわかったので、やってよかった。もう2度とやりたくないけど(笑)。
| 2002 『ピストル』 | ||
| 2002 『低音のゆくえ』 | ||
| 2002 『距離・歩幅』 | ||
| 2002 『I Against I』 |
![平成14年度[第6回]文化庁メディア芸術祭 平成14年度[第6回]文化庁メディア芸術祭](/festival/images/no06.gif)
![平成11年度[第3回]文化庁メディア芸術祭 受賞作品 平成11年度[第3回]文化庁メディア芸術祭 受賞作品](/festival/images/h1_jusyousakuhin2002.gif)







