平成14年度[第6回]文化庁メディア芸術祭
平成11年度[第3回]文化庁メディア芸術祭 受賞作品

デジタルアート(ノンインタラクティブ)部門

リッタイポ “E”“A”“R”“N”
© Hiroshi Saito
優秀賞

リッタイポ “E”“A”“R”“N”

CG静止画

作者: 齋藤 浩

(日本)

作者プロフィール

齋藤 浩

齋藤 浩

1969年生まれ。デザイナー。 武蔵野美術大学短期大学部デザイン科卒、同専攻科修了。 第47回朝日広告賞/入選、第67回毎日広告デサイン賞/奨励賞、第49回朝日広告賞/入選(2作品)、第69回毎日広告デサイン賞/優秀賞、第6回世界ポスタートリエンナーレトヤマ/入選他。 日本グラフィックデザイナー協会、ディジタル・イメージ各会員。 今回の受賞作『リッタイポ(Re-typo)』は、CGを技術ではなく美術として捉えてもらうための提案として1998年より開始したシリーズ。

受賞コメント

デザインとは本来、何かを伝えるための考え方です。デザイナーは、伝えたいことを明確に相手に伝えるために、技術を使います。 ところが誤った使い方をすると、目的よりも技術の方が注目されてしまい、情報がきちんと相手に伝わらない、なんてことが起きてしまうのです。 これでは本末転倒です。 そこで、「技術による複雑化」の次に必要なことを自分なりに探ってみました。 出てきた答えが「美術による単純化」なのです。

贈賞理由

CGと言えば、超現実的で摩訶不思議な暗い世界ばかりではないだろう。 そんな傾向を引きずっていると、デジタルアートが狭義なものになって、グラフィックアートの本質から離れるばかりである。 デジタル技術の向上は、技術の極みが丸見えであることの競演ではない。 それが水面下にあることで、シンプルであることも、爽やかであることも、それぞれの可能性がより飛躍して、全体がレベルアップするべきものなのである。 そういう意味で、齋藤浩氏の作品が示すシャープで力強く美しい造形に救いを垣間見ることができたように思う。

Winner's Interview

―― 69年生れというと、やはりカルチュアルな目覚めはYMOでしょうか。

まさしく。だいたい小6くらいで、学校にYMOとかJAPANとかが好きなグループができますよね。そこに入ると、愛読書が「ビックリハウス」で、YMOばっかり聞いてる生意気な子供になるわけです。それで僕はYMOの、音はもちろんですけど、ジャケットとか写真集のアートワークに感激しまして、奥村靫正さんの名前を覚えました。デザイナーかあ、デザイナーいいなあ、と。で、どうやら美術大学ってのがあるらしい、そこにはデザイン科ってのがあるらしい、ってところまでは、小6でわかっていたんです。

―― 早い(笑)。そしてその通りに育っちゃいましたね。

ええ。高校も美術コースっていうのがあるちょっと変わった学校に行きました。でも美大は、芸大どころか4年制には見事にぜんぶ落ちまくって、武蔵野美術大学の短大のデザイン科に入ったんです。もう短大っていうのにはすごい劣等感ありましたね。就職の時には差別されそうだし、なのにクラスの連中はフワフワしてて危機感ないし、ずいぶんイライラしてました。まあ浅葉克己も奥村靫正も専門学校卒でバリバリやってるんだから、学歴じゃないんだ! と自分に言い聞かせつつ、でもこのままだとヤバいぞ、と。

―― それが、早い時期からコンペに出品する動機になったわけですね。

就職でも有利に働くだろうし、もしかしたら有名人にも会えるかも、なんて下心もありました。で、最初、日本イラストレーション展に出したんです。前年のグランプリをそっくり真似した作品を(笑)。そしたらもちろん落ちまして、じゃあどんなのが入選したのかな、と見に行ったら、まだ誰もやってない、オリジナルなやりかたを模索してる人たちが通ってる。なるほど、誰もやってないことが評価されるのか、とひとつ学んだわけです。それで自分だけの表現って何だろうと19歳なりに考えて、今度はグラフィック展に出してみたら、準入選で入ったんですよ。

―― そのとき見つけた自分なりの表現とはどういうスタイルですか。

僕は子供の頃からプラモおたくでして、ここまでプラモ好きなのは自分だけだろう、と考えたんです。それでいろんなプラモデルのパーツをグチャグチャにコラージュして、レリーフみたいに仕立てました。塗装の技術もあったので、一見彫金みたく見えるようにペイントして。そしたら3点のうち1点が準入選に入ったんです。審査員だった立花ハジメさんにオープニングで厚かましく声をかけて、「僕のコレです!」なんて見てもらって。めちゃくちゃ嬉しかったし、もう意識がガラッと変わりました。学校でタラタラやっててもダメだ。外に出せばすごい人や一生懸命やってる人とも会える。その人たちから出てるパワーが連鎖して自分にも流れ込んでくる。コンペはいいぞ! と。

―― その翌年には、前年落ちたイラストレーション展で銅賞を穫っていますね。

ええ。調子に乗ってまた彫金風レリーフを出したら、入っちゃって。でもそのオープニングで、粟津潔さんに「君、次も同じことやったら落ちるよ」って言われました。なのにちょっといい気になってたもので、次も似たようなの出したんですよ(笑)。案の定落ちました。なるほど、芸風に縛られちゃダメなんだ、ってまた学ばせてもらったわけです。ほんと、コンペが先生ですよ。 卒業してからは創美企画ってプロダクションで、ペイントボックスっていう1億5千万円もする画像処理専用マシンのオペレータみたいなことやってたんですけど、土日にそのマシン使わせてもらって、またコンペに応募です。日本ビジュアルアート展で特別賞かなんかもらって、そのあと、グラフィックアート一坪展でグランプリいただいたんですね。

―― とにかくコンペ尽くしの日々でしたね。

それしか救いがなかった、とも言うんですが(笑)。で、一坪展って、グランプリ穫ると個展を開かせてくれるんですけど、そこで大きな壁にぶち当たったんです。個展を開くにあたってチラシとかポスターを作りますよね。作ってみたら、自分に文字組みのスキルがないってことに気づかされたんです。文字を組めないでデザイナーを名乗るのはヤバいな、と。それで転職を決意したんです。今度はCCレマンという広告制作会社に入ったんですが、ほとんど初心者みたいなもんですから、イチからめちゃくちゃ叩き込まれました。3年半くらいいたのかな。

―― そこからフリーになられたのには、何か転機でもあったのでしょうか。

うーん、会社でデザイナーやってる意味が分からなくなってしまったというか。自分と会社のデザインに対する考え方の違いに、デザイナーとしてやっていく自信がなくなってしまったんです。それでもう自分はこの職業に向いてないんだと思って、「僕、アーティストになります」って辞表出したんです。アーティストって肩書き入れた名刺まで作って。そしたら辞表出した次の週に、朝日広告賞に入賞した、って通知が来たんですよ。ずっと出し続けていたんですけど、なんか神様に、もうちょっとデザイナーでいなさい、いてもいいよ、って言われたような気がして。それでアーティストの名刺全部捨てて(笑)、グラフィックデザイナーって名刺作って、フリーで始めたんです。

―― そこからまた、怒濤の受賞ラッシュですね。

ええ。翌年に毎日広告賞で奨励賞、次の年が朝日広告賞で2点入選、翌年が毎日広告賞で2番手をもらって、で去年に準朝日広告賞、そして文化庁のこの賞。周囲からは「そこまでして賞が欲しいか」とよく言われるんですけど、気にしません。コンペって、自分に仕事を発注してくれるクライアントへの品質保証だと思うんですよね。フリーだと、注文するほうも不安じゃないですか。それに、自分にどのくらいの力量があるのか測るのが難しい。それを知りたいという面もあります。とにかく僕にとっては、コンペが先生であり学校であり腕試しであり保証書でもあり、とても大事な存在ですね。

―― 受賞作を拝見すると、作風は幅広いのですが、いくつかの作品で強烈なパースを使われているのが共通してるように思いました。

言われてみるとそうですね。ははは、それはですね、たぶんプラモデル、というかガンダムの影響でしょう。僕はザクの熱烈なファンなわけですが、ザクがいちばんかっこ良く見えるアングル、というのは、下から広角レンズで見上げた、どぎついパースにあるわけです。プラモの箱の絵とか、そういうのが多いんですよ。モビルスーツって結局人ですから、人が力強く見える構図ということで当然学ぶべきところがありますよね。箱根駅伝は泥臭い筆書き、リッタイポは極限まで削ぎ落とした幾何学図形、と作風はバラバラなんですけど、迫力の出し方は一緒のところに根っこがありましたね。

―― 作風にすごく幅があるのは、ご自分で意識されてのことですか?

僕はデザイナーですから、その広告の目的に最もマッチした作風を選びたいし、これからも選んでいくつもりです。大事なのは商品なりの内容や魅力を伝えることで、自分の作風じゃない。だからその都度、最適と思える手法を使ってきただけで、芸風に未練はないんです。「芸風に未練はない」ってなかなかかっこいいな(笑)。でもほんと、自分の芸風に拘泥しはじめたら、そこで止まっちゃうんじゃないかなあ。・・・っていうことも、イラストレーション展で落選したときに学んだんですけど。

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