平成20年度[第13回]文化庁メディア芸術祭 シンポジウムレポート

[テーマシンポジウム] メディアとは?芸術とは?

アート部門審査委員の岡崎乾二郎氏、東京大学大学院情報学環教授の水越伸氏、映画監督・ドキュメンタリー作家の森達也氏が登壇。メディアとは何か、芸術とは何かを再考しながら、メディア芸術と社会の関係性におけるさまざまな問題について、核心に迫る議論を重ねました。

日 時2月14日(日)
13:30~15:00(国立新美術館3F講堂)
出 演岡崎 乾二郎(アート部門 審査委員/近畿大学国際人文科学研究所教授)
水越 伸(東京大学大学院情報学環教授)
森 達也(映画監督・ドキュメンタリー作家)

メディアアートとは何か

岡崎:まず「メディアアートとは何か」という仮説からお話させていただきたいと思います。芸術家の作品が人の目に触れるまでには、ふたつのプロセスを通ります。まず、一次過程に、彫刻家がある特定の素材を用いて創作をするような、直接的な作業が存在します。二次過程には、作品が社会に伝播し、翻訳され、社会化される行為があり、それを経ないと作品は作品として認知されません。この区別は「メディウム(素材媒体)」と「メディア(媒体)」で分けることもできます。私たちが受け取る作品の情報は、この二次過程を通してしか判断できません。また、作品が二次過程を通していかに受け取られるかを、作者が操作することも不可能です。その二次過程における伝播のプロセス自体を作品としたのが、メディアアートの始まりです。マルセル・デュシャンは創作物が伝播される際に必ず生じる、作者の作品意図と人々に認識されたものとの「ずれ」にこそ、創造行為があると提唱しました。この「ずれ」が生じるプロセスを提示することそのものが、僕の考えるメディアアートです。つまり、メディアアートはプロセスにこそ特性があり、特定のメディウムを持たず、規定されないものです。

その点において、今回のアート部門大賞作品『growth modeling device』では、美術館のシステムや現在のメディアにおける問題が浮き彫りとなりました。同作は玉葱の成長過程を示した興味深い作品でしたが、美術館内には有機物を持ち込めないという理由で、この作品自体を展示することはできませんでした。しかし、メディアアートは作品がどのように記録され、構造化されていくかを問題としているのに対し、美術館の展示システム自体が形式化されてしまっている。これは由々しき問題です。また、作品がどんどんとデータ化されていく現代において、現在のメディアを研究し、構造として捉えていくことが非常に難しくなっています。

メディアの進化が孕む問題

水越:確かに日常世界のなかで当然とされているメディアを、改めて異化する行為こそがメディアアートなのですが、プログラムだけで提示される作品が増えるなか、岡崎さんが言われたような一次と二次の境目は非常に曖昧になってきていると思います。また、だれもが表現することが可能な時代において、鑑賞者に一方的に何かを伝えるような、アーティストという存在自体が無効化しています。しかし、あるプロフェッショナルによる作品は、我々の意識に訴えかけるひとつのシンボルとして存在します。また、すべてが二次過程に移行するかと言えばそうではなく、身体性を喪失しバーチャルな空間を目指すといった90年代的な志向は薄れ、ライブ会場へ人々が向かうといった現象も起きています。ここで僕が主張したいのは、今後、作者と鑑賞者が共創できるような、文化的なプログラムや装置をつくっていかなければならないということです。美術館や図書館といった場所において、一般の人々が作品とどう関わりあっていくか、その点をデザインする必要性は大いにあります。そしてこのデジタル社会において、確実に失われていくものを前にしたとき、一種のクリティークを抱きながら、いかにそこへ予防策を張りつづけるかが重要です。それは技術基盤が次々と変遷していくことへの対抗力として、アートを支え、文化を育む上で必要なことだと思っています。

:アートとは何かを考えるとき、生活を豊かにするものといった言説以上に、もっと切迫した問題があると思います。第一次世界大戦前後には、映像と通信のメディア、映画とラジオが登場し、世界中で爆発的に伝搬しました。それまでのメディアは活字であり、識字能力のある一定層の人々にしか届かなかった。しかし、教育を必要としない映像メディアの登場により、歴史上初めての「マスメディア」が生まれたんです。同時に、メディアによる大規模なプロバガンダが可能となり、世界各地で同時多発的に全体主義が発生しました。メディアが革新的に進化するとき、確実に負の部分が充填されるということは、今後も深刻な問題として捉えなくてはなりません。

まず、映像メディアに必要とされているのはわかりやすさ、簡略化なんです。今回の大賞作品のような、玉葱の芽の部分を日々観察していくテレビ番組なんて決して放映されないでしょう。それはなぜかといえば、考えなくてはいけないからです。芸術作品には、作者がどういう意図でそれを制作したかを考え、見る側がどれだけそのイメージを拡げられるかが求められます。モナリザの絵にしても、見た瞬間にその答えがわかるものなんてひとつもないんですね。それは現行する商業メディアとは真逆の考え方です。逆だからこそ、現在の商業メディアが暴走しているのであれば、アートは極めて有効な抑止力になるのではないかと考えています。メディアやアートはわかりやすさとわかりづらさ、その両方をいかに融合できるかにかかっています。この問題に対して真摯に考えないと、100年前のファシズムの時代の再来となってしまう。メディアは圧倒的に進化していますから、YouTubeなんかを使えばあっという間に世界中が感染してしまうでしょう。

社会とメディアアートの関係とは

:映像に限らず、あらゆる表現はわかりやすく物事を伝え、人を引き込むことによって、それぞれの主張や思いが届くように人々を誘導します。メディアにおいて、この「わかりやすさ」を否定することはできません。それでもなお、メディアのなかにわかりにくく、考えさせる部分を生み出さねばならないという矛盾が生じます。僕は、この摩擦こそが大事だと思っています。しかし最近では、商業メディアにおいて、どうやってこの「わかりやすさ」の構図に自身が抗うのかといった、内側で喚起すべき問題意識が明らかに減ってきています。

水越:現在蔓延しているコマーシャル的なことと、プライベートなこととの間にある、パブリックな場所で活動していくことが、ミュージアムのような文化装置を生かす上でも重要だと考えています。僕はラジオというメディアがマスメディアとして社会的に制度化する以前のメディアのあり方を研究しています。そうしたアートや研究のなかで、既存のメディアを異化し、思考していくことが森さんの言うような「わかりやすさ」だけに流されないポイントなのではないでしょうか。今年で13回目となるメディア芸術祭ですが、スタートした1997年と、9.11やリーマンショックが起きたいまとでは状況がまったく変わってきています。今後、メディアアートを自身のこととして、真摯に引き受けて考えていかなければならないと思っています。

岡崎:メディアとは、さまざまな意味を内包する便利な言葉として使われていますが、それがいかにさまざまな問題や危険を孕んでいるかを示したシンポジウムでした。これがメディアやメディアアートに含まれる困難さを改めて自覚する機会となり、今後新たな方法で構築的なものが生まれてくることを期待しています。本日はありがとうございました。

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