メディアアートの非安定さ
メディアアートは、unstable(非-安定)ともいわれるように、とらえどころのないアートといえるかもしれません。この非安定さは、コンピュータや使用デバイスが不安定ということではもちろんなく、(もしそうなら作品が動かないなど、作品自体が成立しませんので)われわれ主体となる存在とメディアの関係そのものの非安定さから来ているのだと考えられます。これは、かなりのヒントになるはずです。
たとえば、20世紀のダダやパンクなどのムーヴメントのように、既存の制度や方法に対してのアンチテーゼとしての破壊や転倒行為を例として考えるならば、メディアアートでは、そのような行為はただ電源を抜けばいいわけですから、はなから作品自体が存立しないことになる。メディアアートは、電子的ダダだという人もいましたが、それは夢を見すぎというか、完全なミスリーディングと言わざるをえません。そうした意味では、メディアアートは、何か実体的な存在世界の破壊や、ひっくり返しを主張する意味での新規性があるものではなく、むしろ一種のメタレベルの編集作業といえるのではないでしょうか。それも細部の情報編集だけではなく、われわれがつくりだしてきた、政治的・経済的、ハイカルチャー・サブカルチャー、アカデミズムの学際領域間の再検討といった、可視的領界自体の位置づけの絶え間ない再編集作業、さらには、そこに不可視のマージナルエリアを導入接合する行為ともいえるでしょう。(もしもダダがあるとすれば、それはアルゴリズミック・ダダということにおいてのみ成立することになるでしょう。当然それは、表象からの造形判断で行なわれるものにはならないことになります)
1993年初演の『THE CAVE』では、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のルーツを探る試みが話題を呼んだ。
Steve Reich: The Cave
© Nonesuch
Steve Reich
PHOTO: Wonge Bergmann
© Nonesuch
そのような行為の先達として、かつて「トランスメディア」というフルクサスの流れのなかで起こってきたムーヴメントがありましたが、それは時代のモードとしての越境行為の側面が濃く、実際の編集作業としての連続性は強くありませんでした。それに対して、メディアアートのあり方を考えてみると、「◯◯の次に来た新しい表現技術を使った××」というようなものではなく、近世から中世、さらにさかのぼればラスコー洞窟壁画のような表象表現の始源から、現在地点までのアートを、メディアが生成するマルチ人称的視点からたどり直し、再編集する、再結合させる、あるものに復権させるフォーカスや跳躍を与える、といったムーヴメントかもしれないのです。
メディアアートにおいては、コンピュータによるリアルタイム描画能力が加速的に進歩した1992〜93年がひとつのきっかけになっていると思いますが、それが技術的側面や需要だけの問題でない証として、スティーブ・ライヒの記念碑的なパフォーマンス『THE CAVE』の初演の年号であったことを考えてみたいと思います。ここでのライヒの中心テーマ「エイブラハムとはだれか」、という問いかけは、じつはその10年後の9.11以降の世界の深溝、つまり現在の我々の混沌とした社会をあまりにみごとに洗いだしており、その予見的発想とリアリティには目を見張らんばかりですが、それがメディア技術の分析やアンサンブリティの先見性とも表裏一体となっていること、さらにこの答えのない集合体としての作品のあり方は、いくらでも後世の刷新技術を摂取しうる存在であること、表象行為としてのパフォーマンスとアーカイビングとしてのパフォーマンスが並列価値的な作品であることなどから、非常にメルクマールな作品に思えるわけなのです。
つまりメディアアートという存在は、その時代の技術の限界を見きわめると同時に、来るべき新しい技術をも予見的に摂取しうる編集的パラサイト性をもっており、それゆえに実に積極的な非安定さをもっている、実態をつかめないアートジャンルなのだ、といえることになるのではないでしょうか。
阿部 一直(あべ かずなお) 山口情報芸術センター(YCAM)/キュレーター/ア—ティスティックディレクター 1991〜2001キヤノン株式会社アートラボの専任キュレーター。数々のメディアアートプロジェクトを手がける。2001年より現職。YCAMにおけるメディアアート、コンテンポラリーダンス、映画、教育普及などの多領域のプログラムをディレクションする。transmediale 2006(ベルリン)国際コンペティション審査員。 |


