メディアアートとノーテーション
『ジョン・ケージ』DVD
監督:クラウス・リンデマン
発売元:アップリンク
前回の話では、スティーブ・ライヒの『The Cave』をとりあげましたが、この作品を魅力的にしている要素は、人間の話し声(モノローグや会話)を物理的音声として録音・分析し、その個別性と普遍性の間に見いだすことができる律動や抑揚を、音楽としてとらえ直すという発想でした。ライヒはそれ以前に、『テヒリーム』(1981) において、ヘブライ語聖書詩編の伝統的な詠唱の研究から、形式の中に潜む物理的な音声の特徴を抽出して、独自の形式へ再編集し直しますが、さらに『ディファレント・トレインズ』(1988)では、多数の人間の語りを録音し、その音声的特徴から音楽的音列要素の抽出・還元をこころみています。その総括的な集大成が『The Cave』というわけです。『The Cave』では、分析的に旋律化された音声のリズム的特徴が、マルチスクリーンの映像のザッピング的なリズムにも反映されていきます。
ここでおもしろいのは、ライヒが、さまざまな音楽の伝統によるノーテーション(記譜法)を、さらに録音技術、分析技術を統合した新しい次元の再現法へ展開していることでしょう。ライヒにとっては、総合芸術とは、表象される映像や音の直接的な関係だけではなく、空間/時間が対等に編集論的にとらえられている意味において引っかかってくるのです。いわば作品自体が、ノーテーションとその可変性を体現しているといっていいかもしれないシステム的なフォーマットを生み出していく。これは、総合芸術の生みの親である、ワーグナーのムジークドラーマ(楽劇)のステージが、舞台表象の次元ではきわめて現代的にアプローチされても、音楽の方法では、いまだに19世紀の再現方法を変えていない(変えてはいけない)のと好対照だと思います。
一昔前にマクルーハンの、音声か、書記文字かの主流メディアの移行によって文明が変動する、というような予言的理論がありましたが、そこにおいて見えていなかったのは、メディアの変化とは以前のものに新しい何がとって代わるということだけではなく、つねにメタレベルの編集メディアが出現するということ、さらにそれらの複数性はメタポジションにとどまり続けるだけでなく、パラサイト的に再還元や融合をメディア間、メタポジション間で輻輳(ふくそう)的に繰り返していくということです。したがって「メディアアートとは、こういうものだ」といいきれない理由には、かつてこのように限定されていたメディアによって生み出された、形式とメディアとのスタティックな関係性が、現在のメディア社会では見いだし得ないからだということが挙げられます。

(上)ソフトウェアの動作進行を表すモニター2台とvexationの回数を示すカウンター
(下)展示空間内に吊られ、録音をしているマイク
毛利悠子+三原聡一郎
『Vexations - c.i.p.(コンポジションインプログレス)』2006
山口情報芸術センター(YCAM)
音の問題と、再編集的なメディアのあり方を意識させる現在の作品例に、毛利悠子+三原総一郎の『vexations - composition in progress』(2005〜)があります。若いフレッシュな世代のアーティストのコラボレーション作品ですが、これは家具の音楽で有名なエリック・サティーの19世紀末に作曲された謎の反復音楽=1分ほどの短い音列と和音を840回繰り返す『ヴェクサシオン』というピアノ曲の反復行為を基にしています。しかしこの作品では、人間による生のピアノ演奏は行なわれず、コンピュータがサンプリングしたピアノ音によって演奏が再構成されます。しかも演奏と同時に録音が行なわれ、コンピュータソフトによる録音解析と再楽譜化が連動され、「自動再生〜自動録音〜自動解析〜再楽譜化〜自動再生」という反復が延々と繰り返されていくのです。
人間は、音楽再現という物理現象から不純音を意識から排し、メロディーや和音、リズムという予定調和的な指針によって修正された「理想として規定された音楽」だけをそこに聴き取るのですが、マイク+コンピュータは物理的音の状態しか聞き取りません。われわれが耳にするのは、「音楽 vs 音響」、つまり観念の中にある「音=音楽」が徐々に摩耗していき、その場所の物理的空間特性が次第に現出していくさまであり、そこでそのズレと反復を目の当りにすることになるのです。
かつてのジョン・ケージの『4’33”』(1953)では、「音楽 vs ノイズ」が対照されていたわけですが、そこでも志向されていなかった不可視の「光景=場」の空間特性がこの作品では露(あらわ)になってくる。ノーテーションの複数的連動や逆送という複雑な事態の発明こそが、メディアアートのユニークさであり、新たな認識を生み出す一例ということができるのではないかと思います。メディアアートが発見するメディアの複数性とは、平面レベルで加算されるのではなく、多層的であり、多系的であり、さらにいえば多経路的、多方向時間的事態が連結されていくことだ、ともいえそうです。
阿部 一直(あべ かずなお) 山口情報芸術センター(YCAM)/キュレーター/ア—ティスティックディレクター 1991〜2001キヤノン株式会社アートラボの専任キュレーター。数々のメディアアートプロジェクトを手がける。2001年より現職。YCAMにおけるメディアアート、コンテンポラリーダンス、映画、教育普及などの多領域のプログラムをディレクションする。transmediale 2006(ベルリン)国際コンペティション審査員。 |


