5 minutes media arts

5 minutes media arts plus メディア・アートをキュレーターがわかりやすく案内するリレーコラム

【vol.8】

アルトゥール・ジミェフスキのキリエ

アルトゥール・ジミェフスキ《歌のレッスン1》

アルトゥール・ジミェフスキ
《歌のレッスン1》 2001年

聞こえない「音」を楽しむ

十数人の若者たちが教会の祭壇を背に聖歌を歌っている。場所はポーランドのワルシャワにあるアウクスブルク信仰告白福音派の三位一体教会である。荘厳なオルガンの伴奏で歌われているのはヤン・マクラキュヴィチ作の「ポーランドのミサ曲」から「キリエ」である。粛々とした空気が流れ、楽譜を手にして指揮者に真剣な眼差しを向けて歌う若者たちの姿はしかし、教会での聖歌隊のミサの場面としては、むしろ見馴れたものである。ちがうのは、彼らの「うた」が「うた」になっていないこと。「音のカオス」が堂々たるオルガンの調べに乗って繰り広げられているのである。
歌っているのはワルシャワ聾唖(ろうあ)学校の学生たちである。『歌のレッスン 1』(2001年)と題されたこの作品で、アルトゥール・ジミェフスキはプロの指導者と協力して彼らに歌い方や楽譜の読み方、指揮者を中心とした「合唱」のあり方を教え、教会でお披露目をして、その成果としての彼らの晴れの舞台を記録している。繰り広げられる映像だけではなく、歌のレッスンからお披露目まで、アーティストと学生たちが共同で創っていく過程すべてが「作品」となっているのである。
歌っている当事者たちは決して聞くことのできない「音楽」。「歌」というものがどのようなものなのか、聞こえる人たちとはまったく違った認識を持たざるを得ない彼らは、「合唱」という未経験の行為を、体全体で真剣に受け止め楽しんでいるように見える。彼らの奏でる音は、客観的には不協和音にすぎないのだが、その聞こえない「音」を全身で「楽しむ」彼らを観ていると、その「音」が、まさに天上の音楽のように思えてくる。

固定観念からの解放

振り返ってみれば、80年代以降の現代美術の中心的課題とは、固定観念からいかに観る者を自由にできるか、という一点に集約できるのではないかと思う。「あたりまえ」と思われていることの不自然さを暴き出し、その「あたりまえ」に縛られている意味を提示して、「あたりまえ」からはじき出されている人や価値観に寄り添いながら、「あたりまえ」を作り出す構造的な問題にまで切り込んで、多様な価値観を受け入れる。多数者によって作り出された「あたりまえ」は少数者を排除する。セクシュアリティでもジェンダーでも、宗教、年齢、障害等々、マイノリティの視点から提示される作品は、多数者が「あたりまえ」として気にもしない「あたりまえ」の不合理をまざまざと見せつける。優れた現代美術作品には必ず、そういう要素が含まれている。
ジミェフスキの『歌のレッスン 1』において、聾唖であることは「障害」でもなんでもない。彼らは音が聞こえないからこそ作り出すことのできる「音楽」を楽しむことができるのだ。彼らの「音楽」においては音が聞こえる者の方が「障害者」なのである。そしてまた「聞こえない」ことを平気で「障害」と言ってしまう「あたりまえ」の不遜さに身震いがする。そしてわたしたちは彼らの聞いている天上の音楽に思いを馳せる。

profile

笠原 美智子(かさはら みちこ)

笠原 美智子(かさはら みちこ)

1957- 東京都写真美術館事業企画課長、明治学院大学非常勤講師 長野県生まれ。1983年明治学院大学社会学部社会学科卒業。1987年シカゴ・コロンビア大学修士課程修了(写真専攻)。1989年より東京都写真美術館学芸員。2002年より東京都現代美術館学芸員を経て、2006年より現職。写真美術館での主な展覧会として、「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」展(1991)、「アメリカン・ドキュメンツ 社会の周縁から」展(1991)、「発言する風景」展(1993)、「はるかな空の下から 日本の現代写真」展(1993)、「ジェンダー 記憶の淵から」展(1996)、「アルフレッド・スティーグリッツとその仲間たち」展(1997)、「ラヴズ・ボディ ヌード写真の近現代」展(1998)、「ポラロイド・コレクション アメリカ 写真の世紀」展(2000)、「手探りのキッス 日本の現代写真」展(2001)、「風景論 日本の新進作家」展(2002)他。主な著作に『ヌードのポリティクス 女性写真家の仕事』(筑摩書房、1998)、『写真、時代に抗するもの』(青弓社、2002)、『従軍のポリティクス』(共著、青弓社、2004)他。写真美術館以外での展覧会企画としては「urban relationship, japanese contemporary art」展(ソウル市美術館、2003)、「out of the ordinary/extraordinary, japanese contemporary photography」(Japan foundation, 2004、現在海外巡回中)、「mot annual 2005 愛と孤独、そして笑い」展(東京都現代美術館、2005年)。第51回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館コミッショナーとして「石内都:マザーズ 2000-2005 未来の刻印」展(ヴェネチア・カステッロ公園日本館、2005年6月12日〜11月6日)を開催し、同展は2006年10月に「「石内都:マザーズ」として写真美術館でも開催した。

ページ上部へ戻る

Pick Up Archive 今こそ読みたい。これまでの記事をご紹介

中村 勇吾

巨匠インタビュー
中村 勇吾

ボツになるほど、引き出しが増えていくということですから...

トーチカ

作家インタビュー
トーチカ

作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは...

竹宮 惠子

巨匠インタビュー
竹宮 惠子

スランプでも描くことをやめなかったことが、一番私を救ったと思う...

渋谷 慶一郎

コラム:データミュージアムは可能か? 渋谷 慶一郎

電子音楽とメディアアートの関係について考えてみると、その2つの...

押井 守

巨匠インタビュー
押井 守

実写であれ、アニメであれ、僕が一貫してやってきたことは...