時代精神の分岐点
文/夫馬 基彦
ベトナム戦争の余波は日本国内にも及んだ。1968年の佐世保闘争では、米軍主力空母のエンタープライズが長崎県佐世保港に入港するのを阻止しようと、学生や労働者、市民が機動隊と激しい衝突を繰り返した。
[写真提供:共同通信社]
ベトナム戦争は、1960年から始まり1975年まで続いた15年に渡る戦争だったので、関わった年代によっていろんな受け取り方があろう。
が、特に1960年代においては、当事国のベトナムおよびアメリカはもちろん、世界にとって最大問題の一つであった。理由は要するに、世界最強国家の最強軍隊が何年かかっても東南アジアの一農業小国とゲリラに勝てず、次第に泥沼に引きずり込まれていったことだ。
米軍は最大54万人が投入され、更にオーストラリアや韓国軍までが「反共産主義」を旗印に参戦。北ベトナムの主要都市は米軍空爆によって破壊され、南ベトナムのジャングルも枯葉作戦等によって多くを自然破壊された。ベトナム人の死傷者は市民を含め膨大な数に上り(戦死者だけで100万人)、アメリカ兵の死者も5万8000名に上った。
ゆえに世界中から反戦の声が沸き起り、徴兵で戦争に送り込まれるアメリカの若者自身も多数がそれに加わった。日本は直接参戦はしていなかったが、在日米軍基地が空爆機の直接発進基地であり、後方基地そのものだったから、やはり若者を中心に反戦運動が盛り上がった。連日、反戦デモが行われ、新宿駅西口広場では反戦フォーク集会が自然発生し、青年たちはジョーン・バエズやボブ・ディランの反戦歌を国境を越えて歌った。
「愛と平和」をスローガンとする「フラワー・チルドレン」がいわゆるヒッピー潮流を形成して世界に広がり、ビートルズも巡礼したインドに集って連帯を確かめ合ったもした。
私自身もその一人で、インドのゴア海岸やネパールの丘の上で、各国からの同世代者と輪になってビートルズの歌を合唱した。その中にはベトナムで現地除隊した元米軍兵士や徴兵忌避で逃亡中のアメリカ人青年もいたりした。
非暴力・平和を唱える原始仏教やヒンドゥー教、メディテーション(瞑想)、自然食運動などが関心を呼び、若者たちの宗教化現象も生じた。私の周辺にも頭を剃り出家した青年が何人もいたし、私自身、一時期は仏教徒を自称したものだ。同時期に、連合赤軍によるリンチ殺人事件や新左翼セクト間の内ゲバ殺人が相次いだせいもあり、いわば時代精神がマルクス主義から宗教的精神世界へ動いた時期とも言える。
私個人のことでいえば、ベトナム戦争の転機となった1968年の「テト攻勢」にサイゴン(現ホーチミン市)で遭遇し、危うく死ぬところであった。30年後、同地を再訪、その体験を小説化したのが「五十肩のベトナム戦争」(講談社刊『按摩西遊記』所収)である。我が世代にとっての贖罪のつもりであった。
夫馬 基彦(ふま もとひこ) 1943年愛知県生まれ。早稲田大学仏文専修中退。小説家、連句人、日本大学芸術学部文芸学科教授。 |


