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コラム

1960年代 【アート】 アンディ・ウォーホル

「アカ、アオ、ミドリ…」

文/浅葉 克己(アートディレクター)

「TDKビデオテープ」 ポスター 1983年
TDKの広告でブラウン管をかかえるアンディ・ウォーホル
アートディレクター:浅葉 克己 写真:十文字 美信
コピー:真木 準

ぼくの机の上に、アンディ・ウォーホルと浅葉克己が並んだスナップ写真が額装されて置かれている。ウォーホルのサイン入りだ。マジックインクのサインは時代とともに薄れてきた。

ぼくは、当時TDKの仕事をしていて、新しいハイグレードなビデオテープが発売となるという広告に、以前から注目していたポップ・アート界の鬼才を使いたいと思っていた。

ひょんなことから、ウォーホルがニューヨークのモデルクラブに所属していて、ポートレートなら$600で撮影OKという情報を得た。さっそくニューヨークに住んでいたコーディネーターのジョンと順子ちゃんに、ウォーホルがTDKの広告に出演してくれるか打診してもらった。TDKの仕事はCFからグラフィックまでの大キャンペーンで、演出を亀井武彦、写真を十文字美信、コピーを真木準さんにお願いした。まずプレゼンを提出したあと、ぼくは前から決まっていたアリナミンの仕事でモンゴルロケに出発。もし、プレゼンが通れば、ウランバートル→モスクワ回りでニューヨーク入りするつもりだった。そして、プレゼンが通った。モンゴルの過酷な僻地ロケをこなし、ようやくニューヨークに入ろうとしたところで、大事件が起きる。韓国の旅客機が領空侵犯でソ連のミサイルに撃ち落とされたのだ。ソ連と日本との国交が遮断された。モスクワで足止めかと思っていたら、タイ行きの最終便があるから手荷物だけでそれに乗れとの指示。思わぬバンコックナイト。命からがらのニューヨーク入りだった。

ニューヨークでの撮影の日、ウォーホルに紹介された。ウォーホルは「どこから来たの」と質問してきた。ぼくは「モンゴルから来た」と言った。おかげで、日本人スタッフにはモンゴル人もいるのかと誤解されてしまった。

カラーバーの入ったブラウン管を持ったウォーホルを撮影した。真木さんのコピーでウォーホルの声も録った。「アカ、アオ、ミドリ、グンジョーイロ、キレイ」。何度聞いても最後の「キレイ」が、「キライ」に聞こえて困ったのを覚えている。

バット・ハケットが編集したウォーホルの日記の、1983年9月17日土曜日の日付にあの日のことが記してある。

クイーンズでTDKの広告の撮影をしていて、その二日目なので朝六時に起きた。気前のいい小切手のためなら、早起きも苦にならないというわけだよ。撮影は五時半までかかるはずだったが、昼ですんだ。場所は四五番ブールヴァードだったかな、とにかくロングアイランド・シティだ。二十人の日本人が待っていた。……。

「アカ、アオ、ミドリ、グンジョーイロ、キレイ」

(『ウォーホル日記』 パット・ハケット/編 中原 佑介・野中 邦子/訳 文芸春秋刊)

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浅葉 克己

浅葉 克己 (アートディレクター)

1940年生まれ。株式会社ライトパブリシティを経て、1975年株式会社浅葉克己デザイン室を設立。サントリー、西武百貨店など、数々の広告を手がける。日宣美特選、日本宣伝賞、紫綬褒章、東京ADC賞グランプリなど受賞多数。東京ADC委員、東京TDC会長、JAGDA理事。中国に伝わる、生きた象形文字「トンパ文字」に造詣が深い。書家・石川九楊に師事。卓球六段。

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