Vol.1 クール・ジャパンはクールではない

「クール・ジャパン」とはなにか。それは、アニメやゲーム、ファッションなど、伝統的な日本の魅力からは離れた、しかし国際的に強い競争力をもっている現代日本の先端的なソフト産業について、政策的観点を加えて論じられるときに使われる言葉である。「コンテンツ政策」「知財立国」などと深い関連のある言葉だ。

海外でアニメやゲームが強いのはいまに始まったことではない。それがなぜ2000年代に入って、突然のように話題にされるようになったのか。その理由は、アニメやゲームの市場がいまや無視できない大きさになり、作品の質も急速に向上してきたから――だといいのだが、実際は異なる。

現在のコンテンツ政策の盛り上がりは、外圧をきっかけにしている。2002年に、アメリカの若いジャーナリスト、ダグラス・マグレイが『日本のグロス・ナショナル・クール』と題する小論を英語圏で発表した。それが翌年に日本語に訳され、政策担当者の関心を惹きつけた。「クール・ジャパン」と言われ始めたのはこの時期で、それ以降、彼の名前はあちこちで引用されるようになる。ところが、その論文は拍子抜けするほど一般論しか述べていない。それは当然で、マグレイは日本の研究家でもなければ、コンテンツ産業専門のジャーナリストというわけでもない。筆者は2005年にマグレイに会ったが、彼自身も日本での過剰な評価に戸惑っていた。この事態はむしろ、海外からのお墨付きを大事にする、日本の政策担当者の独特のスタンスを証明している。

そもそも、日本ではあまり語られないが、「クール・ジャパン」という言葉自体が、1990年代のイギリスで展開された「クール・ブリタニア」のまね、というかパクリなのである。クール・ブリタニアは一定の内実を伴った政策だったが、クール・ジャパンはその足下にも及ばない。日本から新たな価値の発信を、などと言っても、その中核のキャッチフレーズが物まねではどうしようもない。

確かに、日本のポップカルチャーは高い競争力をもっている。しかし、その力は別に2000年代に強くなったわけではない。むしろいまや、日本起源の感性があまりに拡がったため、コンテンツ産業の一部はすでに衰え始めているようにも見える。もし、いまの日本にクールな部分があるとすれば、それは、「クール・ジャパン」などという言葉に踊らされている人々には、決して見えない場所に潜んでいることだろう。

ページ上部へ戻る

Pick Up Archive 今こそ読みたい。これまでの記事をご紹介

中村 勇吾

巨匠インタビュー
中村 勇吾

ボツになるほど、引き出しが増えていくということですから...

トーチカ

作家インタビュー
トーチカ

作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは...

竹宮 惠子

巨匠インタビュー
竹宮 惠子

スランプでも描くことをやめなかったことが、一番私を救ったと思う...

渋谷 慶一郎

コラム:データミュージアムは可能か? 渋谷 慶一郎

電子音楽とメディアアートの関係について考えてみると、その2つの...

押井 守

巨匠インタビュー
押井 守

実写であれ、アニメであれ、僕が一貫してやってきたことは...