
ワタシの一冊目の著書のタイトルは『スペインの宇宙食』というのですが、これはご想像の通り、天才フェラン・アドリアの「エルブリ」(※1)のことですけれども、エルブリもこれが早いモンで今年で10周年を迎えまして、すっかり定着文化、世界中にエピゴーネンがいますし、いまやちょっとしたレストランだったら前菜の盛りつけはカンディンスキーみたくて当たり前。という世の中でして、これはエルブリの功罪相見えるところですが、いずれにせよワタシ、<食とアート>の、少なくとも<マリアージュ>は4〜5年前をピークに、終わったと思っております。

マリアージュというぐらいで、やはりこれは妻と夫と同じく、支配するかされるか。という関係の形は動かし難く、そしてフェミニスティックに言えば、平等の関係を装って支配しようというマッチョなんかサイアクー。なわけですが、そもそも「アート」って、二言目には「なんとかかんとかはアートだ」とか言われて、言われるがままに誰とでも結婚するし、常に自分が上だと思ってるような、マッチョなような、タカビーのようなものを感じ、「アートって、だから嫌われるんだよなあ。自分で気がついてないんだもんそこに」などと思うわけですが、だからかどうか、過去、「アートが食事を支配した」例は、頭のおかしい旦那が哀れな嫁さんをひきずりまわしてるみたいなのばっかりで(食材でアッサンブラージュを造り、展示中に腐る。みたいな)、痛々しいばかりだったのですが(唯一の例外として、謝淋さん(※2)という女性アーティストが90年代に発表した、<青いデコレーションケーキと青い紅茶でお茶会>はとてもよかったです。エルブリ直前夜ですね)、じゃあ逆だと微笑えましかったりするのかと言えばこれがそうでもなく、エルブリ以前も以後もロクなことがありません。
なんかこう、無理にくっつかなくてよいんじゃないですかね。
「それって、料理とアートに特化した話じゃなくて、マリアージュ全般に言えることなんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、ワタシ、この構造、「音楽と映像」にもそっくり当てはまると思います。料理とアートのように、近いようで一番遠い関係ですからね。視覚と聴覚は。いずれにせよ、アメリカのモダンアートは、マクドナルドをポップアートにできなかったことで離婚社会が到来したと個人的には思いますね。
最後に、いま、イタリア料理界のトレンド知ってますか?「一皿おきに、ミニマルアート風のモッデルノと、田舎料理風のレッジョナーレが交互に出るコース」なんですよ。これってアートに翻訳できるのかしら。
(※1)フェラン・アドリアの「エルブリ」
フェラン・アドリアは1962年、スペイン・バルセロナ生まれ。18歳でホテルに皿洗いとして雇われたのをきっかけに料理の世界に。レストランや兵役を務めた海軍で料理を担当し、1983年に見習として「エルブリ」に入り、1984年にシェフに抜擢される。世界中から年間50万件の予約が殺到する「エルブリ」は、スペインのリゾート地、ロサスにある。コースメニューは20皿から60皿をこえることもあるという。
(※2)謝琳
1967年生まれ。広告、雑誌、CM、イベントなど、おもにお菓子を使ったビジュアルの製作、コーディネーションを手がける。これまでの仕事として、雑誌「olive」(マガジンハウス)へのお菓子レシピコラム連載、オンライン「MYLOHAS」のブログ掲載、著書に『おいしいお菓子の国へようこそ』(大和出版)。飲食店へのデザート提供などほか多数。
































