「コネクティング・ワールド—創造的コミュニケーションに向けて」展
写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
アートはコミュニケーションだーー表現したいものを持った「作家」がいて、「作品」があって、
その向こう側にそれを解釈する「鑑賞者」がいる。
このコミュニケーション、突き詰めれば「作家」と1人1人の「鑑賞者」の最終的な解釈という、1対1のコミュニケーションとなるのかも知れない。
しかし、実際には両者の間には「作品」以外にも、展示の横に掲げられた「解説」や、一緒に鑑賞する「友人の声」、作品の「評判」といった他者の声も介入してくる。
パソコンがインターネットにつながり、ワープロや絵を描く道具以上に、コミュニケーションの道具として発展してきた今日、
その勢いがますます加速している。
昔は作品の評判は、権威のある評論家か、ごく近しい知り合いから発せられるものしか手に入れられなかったが、今ではインターネットのアートコミュニティーを通して、もっと広く求められるようになった。
アート雑誌のウェブサイトやアート情報サイトは権威を持つ識者による情報発信が中心となるが、そこに掲載された記事は、さまざまなブログやツイッターからリンクが貼られ、引用され、読んだ人のコメントが書き加えられる。
もっと、市井の人の意見に耳を傾けたければ、「TOKYO ART BEAT」のような、東京のアート情報を草の根で発信しているサイトもある。同サイトは、都内の美術展やギャラリーを、利用者が相互に勧めあったり、感想を書きあったりしている(http://www.tokyoartbeat.com/list/feed/reviews.rdf)。感想を書いている一人一人は、アートの専門家ではないかも知れないが、それだからこその視点の面白さがある。
最近では、「ソーシャルメディア」とも呼ばれるインターネット上の人のつながりとアートの接点がさらに増えている。
作家の中には、このソーシャルメディア上の人のやりとりそのものをアート作品にしてしまおうとする人もいる。例えばウェイン・クレメンツの作品『un_wiki』は、特定多数の人々の共同作業で誕生した百科事典「Wikipedia」を題材に、項目を共同編集作業で、書き換えられたり、削除された表現を並べることで、この共同作業の裏側を映し出している。
一方で、「ソーシャルメディア」を、作品の舞台あるいは展示場所にしようとする作家もいる。インターネット上に仮想の社会をつくりだした「セカンドライフ」の中では、仮想の巨大アート作品の展示からパフォーマンスまで、さまざまなアートの試みが行われた(実は同様のことは'90年代から行われている。中でも北欧ではMUDと呼ばれるインターネットゲームを通して、さまざまな試みが行われていた)。
一方で、「ソーシャルメディア」を、作品づくりに必要なコミュニケーションの手段とする作家たちもいる。
「フラッシュ・モブ」と呼ばれる、ソーシャルメディアで何気なく集まってきた見ず知らずの人々が、集団でパフォーマンスをするような形式の関わり方もあれば、形のある作品を不特定多数の人が、ソーシャルメディアを通して、少しずつ手を加えていく形での作品づくりもFARKや2ちゃんねる、mixiなどさまざまなソーシャルメディアで頻繁に行われている。そうした作品の多くは、どこまでが、誰の作家の手によるものなのか線引きが難しいので、アノニマス(作家不詳)の作品となることが多い。
著作権そのものの枠組みを変えて、作品の一部を他の作品づくりの材料にしてもらおうとするCreative Commonsという動きもあり、見知らぬ作家同士のコラボレーションによる作品づくりも増え始めている。こうした形の作品づくりであれば、スキル不足な部分を材料として使う他人の作品で補うことができるので、より多くの人が自分のアイデアを「作品」に変え表現できる。
アートの世界にも「ソーシャルメディア」が進出してくることで、作品づくりや作品展示そして評論も民主化、大衆化が進みそうだ。
これにはいいところもあれば、悪いところもあるだろう。作家のムンクは、自らの作品を雨や風、雪といった自然にさらして、絵がなじむのを自然の風化に任せたと言われるが、「ソーシャルメディア」を通して人々の手を入れることも、これに似た人手による風化をもたらしてくれる部分もあるのかも知れない。
































