Vol.6 幽霊映画

これまで何本かホラー映画を撮った。いわゆる幽霊の出る映画だ。普段はそんなことは考えないのだが、おかげで幽霊とは何か、考えざるをえない羽目になった。ずばり幽霊はいるのかいないのか、ということだ。どうでもいいと思うかもしれないが、映画をつくる側にとってこれは決してうやむやにはしておけない問題である。なぜなら、映画は見えるものは撮れるが、見えないものは撮れないからだ。たとえば「人間」なら、目の前にちゃんといるので、俳優を使ってさまざまな角度からこれを撮ることができる。しかし、たとえば「愛」は撮ることができない。それは見えもしないし、モノとして存在もしていない。同様に「風」も見えないが、しかし存在はしているから、木の葉っぱを揺らすなどの工夫をしてほのめかすことはできる。じゃあ「ゴジラ」はどうだ。普通誰も目にしたことはないが、映画のなかだけには目に見えるものとして立派に存在している。「幽霊」はどうか。愛か風かゴジラか…

ここで重大な事実に気づく。幽霊はまぎれもない「人間」だった。以前生きていて、いまは死んでしまった人間が幽霊になる(のだろう)。そうであるなら、さまざまな角度から撮ることができるはずだ。つまり、俳優という生きた人間を使って、工夫をこらせば、とうに死んでしまった人間のことを目に見え、存在しているモノとしてこれを撮影することができるのではないか。こうして何となくゾンビのような形状の人間らしきモノの姿がもやもやと浮かびあがってきたのだが、しかしそれはどこか幽霊とはまた違った存在のようにも思える。

だいいち、人間は死ぬとどうなるのか?考えだすと途方もない難問だが、ホラー映画監督は少なくとも自分の撮影現場ではその答えを出さなければならない。幽霊役の俳優が「どんな表情をすればいいか」と聞いてくる。監督は「悲しい表情です。死は悲しいものだから」と答える。照明技師が「どんな光を当てましょうか」と聞いてくる。監督は「当てないでください。死は暗闇と同じだから」と答える。

しかし最近これが変わってきて、「どんな表情を」という問いには「普通に」と、「どんな光を」という問いには「普通の光を」と答えることが多くなった。いかなる心境の変化なのか自分でもよくわからないのだが、どうも死はごく普通のことのような気がしてきたのだ。死んだらもちろん目には見えなくなる。でも、ごく普通に存在しつづけているんじゃないのか。それは意外や…風に似ているのかも… ホラー映画を撮ったおかげで、そんなことを思うようになった。

ページ上部へ戻る

Pick Up Archive 今こそ読みたい。これまでの記事をご紹介

中村 勇吾

巨匠インタビュー
中村 勇吾

ボツになるほど、引き出しが増えていくということですから...

トーチカ

作家インタビュー
トーチカ

作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは...

竹宮 惠子

巨匠インタビュー
竹宮 惠子

スランプでも描くことをやめなかったことが、一番私を救ったと思う...

渋谷 慶一郎

コラム:データミュージアムは可能か? 渋谷 慶一郎

電子音楽とメディアアートの関係について考えてみると、その2つの...

押井 守

巨匠インタビュー
押井 守

実写であれ、アニメであれ、僕が一貫してやってきたことは...