あるジャンルが誕生してまもない、まだ「何でもあり」状態の時期には、その後の、ジャンルの諸文法が確立した時期にはありえない独特の自由さ、奔放さが見られることがある。たとえば18世紀の西洋小説は、小説の王道が確立した19世紀小説よりも、形式上の実験性に関しては往々にして斬新である(その最良の例が、ローレンス・スターンの怪著『トリストラム・シャンディ』)。
アメリカ漫画の場合、20世紀初頭の、まだ誕生して十年かそこらながら、当時の主要メディアたる新聞の一番の人気ページとして、フルページ、フルカラーという豪華な環境が与えられていた時期がそれにあたる。
たとえばウィンザー・マッケイの『眠りの国のニモ』は、毎回ニモ少年が幻想的な冒険にたずさわり、最後のコマでベッドから転げ落ちて夢から覚める、というフォーマットを使って、悪夢を楽しく、恐ろしく、美しく描いた。アメリカ中西部の砂漠のような場を舞台に、シュールで叙情的な世界を展開したジョージ・へリマンの『クレイジー・キャット』と並んで、様式美ということでいえば、どこの国の漫画であれ、この二作の上を行く作品を僕は知らない。
一方、美しさにおいてはこれら二作に劣るが、奇想の度合なら優っているのが、オランダ人宣教師の息子で、長崎生まれのグスタフ・ヴァービークなる人物が描いた、『アップサイド・ダウンズ』シリーズである。
アート・スピーゲルマンの『消えたタワーの影のなかで』(2004)の巻末で紹介されているのを見て僕も知ったのだが、この作品のフォーマットはすごい。まず普通に、左から右、上から下に進んで1〜6コマを読み、つぎにこれをひっくり返すと、続きの7〜12コマ目が展開されているという仕組みになっている。ラヴキンズ(女の子)が竜にさらわれ、竜が眠っているすきに逃げると、そこへマファルー(お爺さん)が現われて、竜をやっつけめでたしめでたし……という具合。ひとつのキャラクターが、こっちを上にすればラヴキンズ、こっちを上にすればマファルー、となっているところがミソで、あるコマなどは、一方から見れば巨大な鳥がラヴキンズをくわえていて、もう一方から見れば、島と魚とボートとマファルーが現われるという離れ業。1904年、これが毎週、『ニューヨーク・ヘラルド』日曜版に掲載された。
さすがにこのアイデアを長続きさせるのは大変だったようで、この漫画は短命に終わり、ヴァービークは数年後版画に転じて、芸術家としてそこそこの成功を収めたという。このへんは、やはり20世紀初頭に斬新な漫画を描いたあと、バウハウスの一員となり画家として活躍したライオネル・ファイニンガーに似ている。
ヴァービークをはじめ、異色のアメリカ漫画を数多く紹介した快著にDan Nadel, Art Out of Time: Unknown Comics Visionaries, 1900-1969 (2006) がある。いまはもう忘れられた漫画家たちが、それぞれ独自の形でジャンルの可能性を押しひろげた作品が並んでいて、ぱらぱら眺めているだけで実に楽しい。




































