Vol.8 写真の命

10年ひと昔といわれるが、写真という技術がひと昔前まで存在していた。1839年にパリで発表されて以来興隆をきわめ、21世紀に入ると急速に廃れてしまった。ちょうど160年ほどの寿命だったことになる。かわりに登場したのが名前は似ているがまったくたちの違うデジタル写真という技術だ。いったい何がそんなに違うのかというと、写真には証拠能力があった。写真に撮られた「もの」や「こと」はほんとうにあったもの、ほんとうにあったこと、だったのだ。いわば写真は世界の存在証明だったのだ。

ウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット
『自然の鉛筆』1844-1846年 表紙

東京都写真美術館蔵
世界最初の写真集として知られている

1871年のパリコミューンの際、昂揚した市民はバリケードを築いてそのうえに誇らしげに立ち、初の革命政府の樹立を祝うように写真を撮らせたのだが、2ヶ月あまりで制圧されたあとでパリ警察はその写真を動かぬ証拠として用い、誉れの姿は死罪へと直結することになったのだ。写真の証拠能力、つまりクレディビリティーは人々の歴史の見方もおおきく変えた。1854年から始まったクリミア戦争ではじめて戦場の写真が撮られたのだ。戦闘後の原野に屍が累々と横たわる様は、戦争のリアリティーとはいかなるものかを人々に知らしめた。それまでは戦場とは英雄像と重なりあうファンタジーの世界だったのだ。こうして人類の歴史はナポレオン戦争までは絵に描かれ、クリミア戦争以後は写真に撮られることになった。

杉本博司「漏光」展 展示風景(ギャラリー小柳、東京)

デジタル時代になって写真は世界の存在証明能力を喪失してしまった。デジタル写真によって世界は手を入れられる材料に堕してしまったのだ。写された世界は操作され、処理され、そしてファンタジーへと変換されるのだ。そうした意味ではデジタル写真は絵画への逆行であるともいえる。画家は写真という強敵が現われるまで、のほほんと世界を恣意的に描いてきた。写真の発明は多くの絵描きを失職させた。絵描きがリアリティーの描写において、写真に勝ち目がないということを悟ったおかげで、近代絵画というものが発明されたといっても良い。それは印象派やキュビズム、シュールレアリスム、ひいては現代美術へと発展したのだ。

今度のデジタル革命とやらはどこへ向かうのだろう?食品の虚偽表示にはあれほどめくじらを立てる社会が、どうして世界の虚偽表示である写真のデジタル化を喜ぶのか、私にはその気心が知れない。

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