1970年代

アート&ランゲージ

[ 1970年代, ]

1968年に英国コヴェントリーで結成されたコンセプチュアル・アートのグループ。オリジナルメンバーはテリー・アトキンソン、デイビッド・ペインブリッジ、マイケル・ボールドウィン、ハロルド・ハレルの4人で、翌年より機関誌『アート&ランゲージ』の刊行を開始、1970年の第2号刊行を機に、アメリカを拠点とするジョゼフ・コスースが同国代表の編集者として参加し、彼を経由するかたちでソル・ルウィットをはじめとする多くのアーティストや批評家が同誌に寄稿するようになった。『アート&ランゲージ』誌上では、つねにモダニズム美術や美術と市場の関係などをめぐって激しい論戦が展開されたが、その背景には芸術とは何かを問おうとするコンセプチュアル・アートならではの問題提起が潜んでおり、また、言語や音楽をも素材とした彼らの制作活動と密接に結びついていた。一時は参加者が30名を越える活況を呈したが、つねにメンバーの離脱が絶えず、1977年の時点でオリジナルのメンバーはボールドウィンを残すのみだった。ボールドウィンがその後もアート&ランゲージを名乗り、作品を発表するいっぽうで、それを痛烈に批判するコスースとアトキンソンは1997年にアート&ランゲージ2を結成した。

ガイア理論

[ 1970年代, ]

『ガイア理論』 第1回文化庁メディア芸術祭デジタルアート〔インタラクティブ〕部門優秀賞『ファイナルファンタジーVII』

地球自体が生物圏、大気圏、大洋、大地などをひっくるめて、ひとつの巨大な生命体であるとみなす理論。ガイア仮説ともいう。当初は自己統制システムと呼ばれていた。イギリスの科学者ジェームス・ラブロックが1979年に出版した『ガイアの時代』のなかで提唱した。ギリシャ神話の女神ガイアに由来する理論の名は、1983年にノーベル文学賞を受賞した作家ウィリアム・ゴールディングの提案による。NASAで惑星研究に従事し、宇宙船バイキング号の火星探査計画に深く関ったラブロックは、火星の大気の組成が地球と大きく異なるいっぽうで、地球の大気が生命システムに酷似しているかに着目し、極めて多様な生物層を生みだした地球全体を一種のエコシステムと考える立場に行きついた。この理論はエコロジーや生態学の分野からは多くの支持を得たが、半面リチャード・ドーキンスやスティーヴン・J ・グールドらの著名な生物学者は、惑星には生物の個体のように進化論が当てはまらないことなどを理由に反対を表明、ラブロックも多くの批判を踏まえて理論の改訂に取りくんだ。人気RPG『ファイナルファンタジー』のシリーズ作品にも、この理論の影響がうかがえるものがある。

コンセプチュアル・アート

[ 1970年代, ]

『岩波 世界の美術 コンセプチュアル・アート』 『岩波 世界の美術 コンセプチュアル・アート』
トニー・ゴドフリー著

岩波書店

「概念芸術」。美術の形式的な側面よりも観念的な側面を重視した制作活動の総称。絵画や彫刻に加え映像なども幅広く活用し、文字、記号、音などの非物質を制作素材とする場合も多い。対象範囲はきわめて広く、古くはマルセル・デュシャンやダダイストらの実験もこれにふくめて考えることができるが、現代美術の文脈では、フルクサスによる一連の実験を最初期のものとみなし、1960年代後半~1970年代前半に盛期を迎えた動向と考えるのが一般的である。これは、代表作家の1人と目されるジョゼフ・コスースが「概念としての概念としての芸術(Art as Idea as Idea)」というコンセプトにもとづいて言語や記号をもちいた作品を制作し、当時強い影響力を有していたフォーマリズムの超克を自らの制作目的として示したことが大きい。そのため、ヨゼフ・ボイス、ソル・ルウィット、ダニエル・ビュランなど、他の代表作家にもフルクサスやミニマル・アートの出身者が多く、問題意識の連続性が認められる。河原温、荒川修作、松澤宥らの作品もこの動向にふくめて考えることができる。

シリコンバレー

[ 1970年代, ]

『シリコンバレー』 シリコンバレーにあるグーグル本社

米国カリフォルニア州北部、マウンテンビュー、サンタクララ、サンノゼ周辺の細長い地域の通称。多くの集積回路(IC)関連企業がこの周辺地域に密集していることから、集積回路の主原料であるシリコンにちなんでこの名で呼ばれるようになった。この地と電子機器のかかわりは古く、20世紀初頭に発明家リー・ド・フォレストがパロアルトで三極真空管を発明したことに始まる。その後、1939年には、同地区きっての名門スタンフォード大学出身のウィリアム・ヒューレットとデヴィッド・パッカードが、恩師の教えに従って同地にてガレージ・カンパニーを創業。また、1955年には翌年にノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ショックレーが研究所を開設、そこからフェアチャイルド・セミコンダクターやインテルが分岐していくなど、多くの企業が居を構えるようになり、1970年代には最先端テクノロジーの研究拠点としてのイメージが定着した。現在はアドビシステム、アップル、eBAY、グーグル、オラクル、ヤフーなどの多くの大手IT企業が拠点を置く。そのいっぽうで、マイクロソフトなどが拠点を置くワシントン州シアトル周辺は、シリコン・フォレストと呼ばれることもある。

シーグラフ

[ 1970年代, ]

ラジオシティサンプル ラジオシティ法を使用したCG
資料提供:
東京大学 西田研究室

アメリカコンピュータ学会におけるコンピュータグラフィックス(CG)研究のための分科会。正式名称はSpecial Interest Group on Computer GRAPHics。1967年に設立され、1974年にデンバーで第1回総会が開催された。1970年代、アメリカのCG技術は飛躍的な進歩を遂げ、3次元ワイヤー・フレーム・モデルの陰線除去やレイ・トレーシング法、テクスチャー・マッピング法などの新しい技術が開発されていた。シーグラフ総会はその流れを受けて開催されたもので、以後毎年の総会には世界各国から技術者や研究者が参加し、研究成果をまとめた論文や新製品の発表、最新のCG作品の上映会などが行なわれている。フラクタル理論、パーティクル法、CAD、VRなど、シーグラフで発表された研究成果は、その後多くのアーティストやクリエイターの創作にもいかされている。なおシーグラフが創設したクーンズ賞はCG界ではもっとも栄誉ある賞とされており、2005年には、間接照明の効果測定法であるラジオシティ法の考案者の1人である西田友是がアジアではじめて同賞を受賞した。

フラクタル理論

[ 1970年代, ]

『フラクタル理論』 中山 雅紀『captive julia』

フランス出身の数学者でIBMの研究員だったブノワ・マンデルブロが1975年に提唱した数学理論。フラクタルの語源は「壊れた不規則な断片」を意味するラテン語の「fractus」。自然界には、月の表面、海岸線、生物の細胞組織など、一見複雑なように見えても、実は一部を拡大すると全体と同じ形状を示す事例が非常に多いのだが、これらの事例は、簡略化した数式の計算を繰りかえすことによって、より詳細な全体の形状をつくりだすことが可能となる。このような性質の図形をフラクタル図形といい、その形状に応じてマンデルブロ集合、ジュリア集合、カントール集合などのさまざまな種類に区分することができる。自然界のあらゆる局面に存在するフラクタル図形の発見は、一見無秩序な自然が秩序によって満たされていることを証明する結果にもつながったのである。はじめは主に物理学、科学、地理学などの形状解析に用いられたが、1982年にIBMでマンデルブロの同僚だったリチャード・ヴォスが惑星のCGを作成したのをきっかけに、アートの世界でも関心が高まり、多くのアーティストによって無数のフラクタル図形が作成されている。

ポンピドゥー・センター

[ 1970年代, ]

『ポンピドゥー・センター物語』 『ポンピドゥー・センター物語』
岡部あおみ著
紀伊國屋書店出版部(1997)

1977年にパリで開館した国立の総合芸術センター。正式名称はジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センターといい、国立現代美術館、産業創造センター、音響音楽研究所、公共図書館からなる複合施設である。そもそも同センターは、フランス美術界の重鎮ジャン・カスーと建築家ル・コルビュジエが共同で提唱していた「20世紀美術館構想」を受けてポンピドゥー大統領(当時)が発案したもので、1971年に実施されたコンペでは、パイプとガラス面を大きく露出させ、また可動壁を動かすことによって展示室を自由にデザインできる特徴をもったレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースのユニークな案が当選した。国立現代美術館はルーヴル、オルセーとの役割分担によって20世紀美術を対象としており、杮落としを飾ったデュシャン展以来、パリと他の大都市を比較した「二都展」シリーズ、日本の現代美術を大々的に取りあげた「前衛芸術の日本展」、マルチカルチャリズムに先鞭をつけた「大地の魔術師たち展」などの斬新な展覧会企画をつぎつぎと実現し、アメリカへの対抗意識を隠さず、世界の美術界をリードしようとする強い意欲を見せている。2008年には地方都市のメス市に分館をオープンさせる予定。

ヨゼフ・ボイス

[ 1970年代, ]

『ヨゼフ・ボイス』 ヨゼフ・ボイス『ロシア皇帝冠を溶かす』 
Photo:Kanji Wakae

ドイツの現代美術家。ドイツ北西部の町クレーフェ生まれ。当初は医者を目指すが、レームブルックの彫刻やシュタイナーの神智学に傾倒して美術へと進路を変更し、第二次世界大戦後にはデュッセルドルフ芸術アカデミーに学び、その後母校の教員となる。従軍中の特異な体験からフェルトや脂肪を素材とした作品制作を思いつき、そのいっぽうで1960年代には国際的な美術運動フルクサスのメンバーとしても活動、いち早く自分の制作にパフォーマンスを取りいれた。1970年代に入ると、「緑の党」に深く関わって、反核を唱える政治運動の先頭に立つなど、ボイスの活動は急速に社会的、政治的な性格を強めていく。社会がひとつの芸術的総体であるとの立場に立つ彼は、パフォーマンスやエコロジー運動なども含めた自らの創作活動を社会彫刻として位置づけ、人間はだれでも芸術家であると主張し、一部の若者から熱狂的な支持を受けた。これらの活動が祟って1972年には母校の教授職を追われるが、教育熱心なボイスはその2年後にはだれでも自由に受講できる自由国際大学を開設し、ゲルハルト・リヒター、ジグマール・ポルケ、アンゼルム・キーファーといった戦後のドイツを代表するアーティストを輩出した。

ライト・アート

[ 1970年代, ]

光を制作素材とした美術作品の総称。大地を舞台とした大規模な作品はアース・アートと呼ばれる場合もある。白熱電球の点滅などによって光を運動表現へと応用したキネティック・アート、錯視効果を応用した絵画を描くオプ・アート、自在に組みあわせた蛍光灯を室内で発光させるダン・フレイヴィンの照明インスタレーション、密室を発光した大気で満たしたジェームス・タレルの「ガスワークス」、LEDを用いた宮島達男のデジタル・カウンターなど、さまざまなタイプの作品が存在する。制作素材としての光を一種の造形言語とみなし、その発光・発色や吸収・屈折、感光反応の仕方などによって、直接光、間接光、反透過光、屈折光などに区分することがある。代表作家のなかでも、フレイヴィンにはミニマル・アートの、タレルには抽象表現主義やアースワークの強い影響が認められ、彼らの表現が60~70年代の美術の動向との連続性によって産み落とされたものであることがわかる。21世紀の現在も、オラファー・エリアソンら新世代のアーティストがライト・アートの可能性を探求しており、将来的にはさらに新しいテクノロジーを応用した作品が出現することが予想される。

大阪万博

[ 1970年代, ]

『公式長編記録映画 日本万国博』 『公式長編記録映画 日本万国博』 谷口千吉監督
¥5,985 (税込)

発売元・販売元:
ジェネオン エンタテインメント

1970年3月14日~9月13日、大阪府吹田市の千里丘陵を会場に開催された万博の通称。正式名称は日本万国博覧会。アジアではじめて開催された万博であり、計77カ国と4つの国際機関が参加、6,421万8,770人の観客動員記録は今なお破られていない。オリンピックに続く国家的行事として、東京大会終了直後の1964年11月に招致が決定され、約5年の準備期間を経て完成された会場はさながら未来都市といった趣があった。前年にアポロ11号が持ち帰った「月の石」などの目玉展示には連日長蛇の列ができ、メタボリズムや具体美術協会がここを集大成の場とするなど、参加パヴィリオンの展示や映像などの制作には内外の多くの研究者や技術者、クリエイターたちが関わり、実験的な試みが繰りひろげられた。「人類の進歩と調和」というテーマには高度成長期だった当時の雰囲気が強くあらわれているが、その一方で同年に予定されていた日米安保条約改定と並ぶ学生運動の標的となり、「ハンパク」と称される反対運動も展開された。会期終了後会場は緑地化され、ほとんどの関連施設は取りこわされたが、今でも残る岡本太郎の「太陽の塔」などが当時の面影を伝えている。

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