1980年代

MITメディアラボ

[ 1980年代, , ]

『ビーイング・デジタル-ビットの時代 新装版』 『ビーイング・デジタル
 -ビットの時代 新装版』 
ニコラス・ネグロポンテ 著
西和彦 監訳・監修
福岡洋一 訳
(アスキー)

1985年、マサチューセッツ工科大学建築計画スクール内に設置された研究所。デジタルメディアの技術や教育をおもな研究対象としている。同大学長(当時の)のジェローム・ウィーズナーとともにラボを創設した同大教授のニコラス・ネグロポンテはもともと建築の専門家だが、「メディアルーム」や「アスペン・ムービーマップ」を発表するなど1960年代より独自のメディア研究も行なっており、ラボ設置後は彼の主導のもとにパーソナル電子新聞、アイ・トラッキング(視線検出)、3次元ホログラフィ、高品位TV、画像圧縮などの研究プロジェクトが実施された。現在でもタンジブル・ビット研究者の石井裕同大教授らが在籍して、人間とコンピュータの強調を軸に、芸術と工学の融合、コンテキストウェアネス、量子コンピューティング、人工知能などの研究が行なわれており、学際的、芸術的なメディア研究の拠点として国際的にもひろく認知されている。2006年2月には、著名なコンピュータ研究者のフランク・モスが所長に着任した。なお、研究所が入居している校舎は、ルーヴル美術館ピラミッドを手がけた世界的建築家のイオ・ミン・ペイの設計である。

MTV

[ 1980年代, ]

音楽番組を専門とするケーブルテレビのチャンネル。1981年、ワーナー・タイム社とアメリカン・エキスプレス社が共同で出資したWASECを母体に設立され、同年8月1日午前0時1分より放送が開始された。若者を主な視聴者として想定し、24時間ポピュラー音楽のビデオクリップを流しつづける番組のスタイルを確立して、ヒット曲のプロモーションに大きな力を発揮し、一時期は絶大な影響力を持っていた。1985年にはパラマウント映画などを傘下に置くメディア企業のバイアコム社によって買収されて現在に至る。1996年にはMTVとMTV2に分割され、前者はエンターテインメント番組中心の構成となったため、従来の音楽番組のスタイルは後者へと継承された。現在でも世界161カ国で放映されているが、ダウンロード配信が主流となるなど、音楽の受容形式が大きく変化したため、その影響力は低下している。日本でも1980年代より民放の音楽番組枠などを通じて断片的に放映され、1992年には本格的に進出を果たしたが、その後も数回にわたって経営形態やチャンネルが変化した。現在は音楽専門チャンネルでは上位の契約数を誇るなど、経営的には安定しているが、邦楽中心の番組構成には賛否両論が寄せられている。

つくば科学万博

[ 1980年代, ]

つくば科学万博 提供:財団法人つくば科学万博記念財団

1985年3月17日~9月16日、茨城県筑波郡谷田部町(現つくば市御幸が丘)で開催された国際博覧会の通称。正式名称は国際科学技術博覧会。開催テーマは「人間・居住・環境と科学技術」。日本で開催された万博としては1970年の大阪万博、1975年の沖縄海洋博に次ぐもので、科学技術に特化した特別博として博覧会協会の認証を得た。48カ国と37の国際機関が参加したが、科学博ということもあってか国際展示以上に企業パビリオンの展示が目立ち、住友館の「3D-ファンタジウム」やソニー館の「ジャンボトロン」などが異彩を放っていた。またこの万博は1970年代より開発が進められてきた筑波研究学園都市の整備も大きな目的としており、当時のメイン会場は現在では筑波西部工業団地へと転用されているほか、一部の区画には科学万博記念公園が造営された。万博の翌年には、メモリアル施設として筑波エキスポセンターが設置された。国内で3度目の万博ということもあり、新鮮味に欠けたためか観客動員は伸びなやんだが、それでも当時の特別博の最高記録に相当する、のべ2033万4727人の動員数を記録した。

サイバースペース

[ 1980年代, ]

『クローム襲撃』 『クローム襲撃』 
ウィリアム・ギブスン 著
浅倉久志・他 訳
(早川書房)

コンピュータ・スクリーンの内側を空間に見たてた比喩的な表現。サイバネティックスと空間を組みあわせた造語で、日本語ではかつて電脳空間や仮想空間と翻訳されることが多かった。SF作家のウィリアム・ギブスンがSF小説『クローム襲撃』(1982)や『ニューロマンサー』(1984)のなかではじめて提唱したこの概念は、当時は空想の世界の出来事と思われていたが、その後本格的なインターネット時代を迎えて身近なものとなり、ギブスンの先見性が証明された格好となった。コンピュータの内側を無限の空間に見たてたこの発想は多くのアーティストやデザイナーの想像力を刺激し、油彩や水彩とはまったく異なる質感をもつコンピュータ・グラフィックス(CG)、膨大な量の作品画像が収録されたヴァーチャル・ミュージアム、現実の空間ではありえない形態でもデザインすることのできるヴァーチャル・アーキテクチャーなどの新しい表現が生みだされた。今日のメディアアートにとっても欠くことのできない空間だが、21世紀の現在でも、テクノロジーの発達に対して法整備は大きく遅れている。

ネオ・ジオ

[ 1980年代, ]

1980年代後半、ニューヨークのイーストヴィレッジ周辺で起こった美術運動。代表作家と目されるアシュレイ・ピカートン、ピーター・ハリー、ジェフ・クーンズ、マイヤー・ヴァイスマンの4人はいずれも同時期にインターナショナル・ウィズ・モニュメント・ギャラリーを中心に活躍していた。ネオ・ジオメトリック・コンセプチュアル・アートという正式名称のとおり、ニューペインティング現象の衰えからほどなく生起した幾何学的でコンセプチュアルな作風をさす用語といわれるが、この定義に厳密に対応する作風の持ち主は4人のなかでもハリーだけであり、所属作家を売りだすためのギャラリーのプロモーション戦略としての側面がしばしば指摘される。その一方、理論家としても知られるハリーはボードリヤールの消費社会論などをベースとした方法論を発表したが、そこで述べられている内容の大半は同時期のより包括的な動向であるシミュレーショニズムへと回収される性質をもっていた。一時期大きな話題をさらったが、イーストヴィレッジのアートシーンが閉鎖された1980年代末には急速に衰微していく。

パフォーマンス

[ 1980年代, ]

《言葉の滝》 2005年 ローリー・アンダーソン
《言葉の滝》 2005年
資料提供:ICC

美術家による身体表現の総称。ダンス、演劇、バレエ、サーカス、ライブ演奏などとは異なり、あくまでも美術の一環とみなされる。今日のパフォーマンスの起源は、ふるくはダダイスムにおけるトリスタン・ツァラらの詩の朗読などに認めることができる。その後1960年代には、アラン・カプローやフルクサスらの「ハプニング」や「イヴェント」によって新しい身体表現の可能性が切りひらかれ、1980年代以降はより能動性の強いパフォーマンスという呼称が一般にひろく用いられるようになった。本来は劇場にかぎらず美術館、ギャラリー、カフェなどさまざまな場所で上演されるが、1980年代以降はオルタナティブスペースという空間で上演されることが多くなった。台本にしたがって行なわれる場合も即興の場合もあり、また生身の上演以外にも、テクノロジーを活用した上演や、上演の様子を記録した映像を公開する場合もある。ボディ・アートや公開制作までふくめて考えれば、その表現はきわめて多岐にわたり、統一的な把握はきわめて難しい。日本では、1980年代の中ごろにヨゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、ローリー・アンダーソンらが相次いで来日公演を行ない、おおきな反響を呼んだのを機にパフォーマンスという呼称が定着した。

ブレードランナー

[ 1980年代, ]

ブレードランナー 『ブレードランナー ファイナル・カット スペシャル・エディション』
リドリー・スコット 監督
(発売:ワーナー・ホーム・ビデオ)
(価格:3,980円(税込))

1982年公開のアメリカ映画。リドリー・スコット監督作品。フィリップ・K・ディックのサイバーパンク小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とする。前作『エイリアン』でSFとホラーを融合した新境地を切りひらいたスコットは、本作ではさらに先鋭的な視覚イメージを追求し、環境汚染にまみれた近未来の巨大都市を舞台に、レプリカントと呼ばれる人造人間が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する、ハードボイルドやフィルム・ノアールの要素を取りいれた凝りに凝った映像世界をつくりあげた。この映像美は、スコットの才覚にくわえ、美術担当のシド・ミードや視覚効果監修のダグラス・トランブルといったスタッフの卓越した手腕にも負う部分が大きかった。『スター・ウォーズ』や『レイダース』でトップスターとなったハリソン・フォード主演の大型作品ということもあって観客動員も期待されたが、難解で陰鬱な作風が受けずロードショー時は日米ともに不入りに終わった。しかしビデオソフトの普及を機に多くのファンに浸透し、再評価が進んだ現在ではSF映画史上屈指の傑作との声も少なくない。紆余曲折があった作品の受容プロセスを反映してか、本作には5つの異なるヴァージョンが存在する。

ポストモダン

[ 1980年代, ]

『ポストモダニズムの建築言語』 『ポスト・モダニズムの建築言語』(1978)
チャールズ・ジェンクス 著
/竹山実 訳
建築と都市 a+u

モダニズムを批判的見地からとらえ、その克服を目ざそうとする思想や運動の総称。1970年代にチャールズ・ジェンクスの『ポストモダニズムの建築言語』が出版されるなど、最初は建築にあらわれた新たな傾向は、1980年代初頭には他の領域にもひろく波及していった。禁欲的、合理的なモダニズムに対して、歴史への回帰や過剰な装飾性などをつうじて反機能主義、反合理主義的なスタイルを打ちだす傾向がつよく認められる。建築では磯崎新やマイケル・グレイヴス、デザインではエットーレ・ソットサスらのメンフィスが代表格と目され、サブカルチャーの分野でもさまざまな展開が見られた。なおモダニズムの旧套(きゅうとう)を打破しようとする思想は1968年のパリ5月革命を出発点としており、その圧倒的なインパクトのもとに形成されたフランス現代思想は、同時代の先端的なスタイルに対する格好の理論的援護射撃としても機能したが、その根底に左翼的なラディカリズムが潜んでいることがしばしば指摘される。なおポストモダンは近代批判全般を、いっぽうポストモダニズムは1980年代に顕在化したその動向を指す場合が多いが、当然のことながら両者の厳密な区分は困難である。

大ルーヴル計画

[ 1980年代, ]

大ルーヴル計画 『パリ・ルーヴル美術館の秘密』
(発売元:IMAGICA 販売元:レントラックジャパン)
(価格:5,670円(税込))

20世紀末に実施されたルーヴル美術館の大改造計画の総称。1981年に着任したフランソワ・ミッテラン仏大統領はルーヴル美術館の大改造を宣言、それまで一部の建物を占拠していた大蔵省を移転してルーヴル宮を美術館専用施設とすることが決定されるいっぽうで、大幅な展示面積の増加とサーキュレーションの整備を軸とする計画が始動した。1983年には大ルーヴル計画公団を結成して改造計画案のコンペを実施し、中国系アメリカ人建築家イオ・ミン・ペイの案が選出された。ペイの計画案は大規模な地下工事によってナポレオンの中庭の地下に受付ロビーを設置、そこから地上の各棟へとアクセスできるようにするもので、中庭には新生ルーヴルのシンボルであるガラス製のピラミッドが設置され、1989年3月にはその落成式が行なわれた。工事はその後も継続され、1990年代半ばまでには、ルーヴルは以前の約2倍の総展示面積を持つ巨大美術館として生まれかわった。ちなみに、このフランスの国家的な威信を賭けた大規模な計画には、観光客の大幅増による外貨の獲得という副産物をもたらした。日本でもこれに刺激を受けて、上野公園で大規模な地下工事を実施し各館をネットワーク化しようという上野ルーヴル構想が提唱されたことがある。

脱構築

[ 1980年代, ]

脱構築 『デリダ』
ジェフ・コリンズ 著
鈴木 圭介 翻訳
(筑摩書房)

フランスの思想家ジャック・デリダの中心をなす思想。ハイデガーの『存在と時間』に登場する「Destruktion」という概念を独自に解釈し、破壊のみならず建設的な意味合いを持たせたもので、内部/外部、自己/他者、善/悪、男/女など、古代ギリシア以来の西洋形而上学が確立してきた二項対立を打破し、そこから新しい差異を生みだそうとする意図を持つ(デリダはそうした新しい差異を、従来の差異「différence」と差別化するために差延「différance」と命名した)。1960年代にこの概念を着想して以来、デリダは多くの著作を通じてさまざまな問題を提起し、フランスの思想界で大きな議論を呼んだ。本来は哲学の概念だが、その議論は海を越えてアメリカにも波及し、ポール・ド・マンをはじめとする批評家が文学のテキスト解釈に応用、「脱構築派」と呼ばれる大きな勢力を築いた。さらに1980年代には、フランク・O・ゲーリーやピーター・アイゼンマンらの装飾的なデザインが脱構築にたとえられるなど建築の分野にも影響が及び、1988年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)にて「脱構築の建築」展が開催された。デリダ自身もアイゼンマンとの協働を試みたことがある。

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