1990年代

ICC NTTインターコミュニケーション・センター

[ 1990年代, , ]

ICCロゴ

東京・初台の東京オペラシティ内に所在するメディアアートの展示を中心としたアートセンター。現在の運営母胎はNTT東日本。1989年、NTT(当時)が電話100周年記念事業として「21世紀ミュージアム構想」を発表したのを機に新しい美術館の計画がスタート、ほどなくして当時国内には皆無だったメディアアートの専門館とする方針が固まり、内幸町にプロジェクトルームを開設し、また機関誌「InterCommunication」を創刊するなどの準備を進め、1997年4月に現在の場所に鳴り物入りで開館した。大規模な企画展示室のほか、無響室などからなる常設コーナー、ガラス張りのショーケースを年表に見立てて、20世紀の芸術文化と科学技術を紹介した「アート&サイエンス・クロノロジー」、多くの蔵書を揃えた図書室などが設置され、また多くのメディアアート作品や映像アーカイブを所有する。そのいっぽうでは、杮落としを飾った「海市――もうひとつのユートピア」展以来、数多くのユニークな企画展を開催し、海外からも日本のメディアアートの拠点施設として評価されている。開館以来数度のリニューアルを経て、2006年6月以降は「ArtXCommunication=Open!」というコンセプトを掲げて活動を行なっている。

インターネット

[ 1990年代, ]

世界的な規模で相互接続された巨大なコンピュータ・ネットワークの総称。接続されたコンピュータが各々情報の受発信を行なう分散型ネットワークのため、全体を統括するホスト・コンピュータは存在しない。米・国防総省の高等研究計画局(ARPA)が1969年に開始した分散型ネットワーク研究プロジェクト「ARPANet」が起源であるというのが定説だが、その開発にはMIT関係者をはじめとする数多くの技術者・研究者が関与しており、ひとりの発明者を特定することは不可能である。その後、1986年にはARPANetから分割される形で学術ネットワーク「NSFNet」が登場し、90年代前半より本格的な民生利用が開始され、HTML言語やwwwによるハイパーリンク機能が整備されたことにともない爆発的に普及し、短期間のうちに世界最大級の通信インフラとしての地位を確立した。一般に、通信プロトコルとしてはTCP/IPが用いられ、ユーザーは任意のIPアドレスを使用するが、提供されているサービスの大半はTCP/IPを用いていないので、PCの機種の違いとは関わりなく広大なネットワークの構築が可能である。ネット空間を用いたアートの制作も広く試みられている。

キヤノン・アートラボ

[ 1990年代, ]

『キヤノン・アートラボ』 古橋悌二『LOVERS』
Canon ARTLAB Exhibition at Spiral Garden, 1998

大手精密機器メーカーのキヤノンが、デジタル技術を用いたアート作品の制作を支援していたプロジェクト。1990年、国際花と緑の博覧会(花博)に寄せられた反響でデジタル技術の創造性に着目したキヤノンが、翌年より同社の社会・文化支援センター文化支援推進課を事務局として本格的な支援活動を開始、内外の気鋭のメディアアーティストを招聘して、1991~2000年にかけて毎年企画展を開催したほか、1995年からはアートラボ・プロスペクト展も並行して開催し、斬新な作品の紹介に務めた。多くの作品が発表されたなかで、とりわけ古橋梯二の『LOVERS』は、ニューヨーク近代美術館の常設コレクションとして収集されるなどの国際的な反響を得た。1990年代にはICCと並んで日本のメディアアートの牽引車的存在であったが、常設会場を持たず、構想から展覧会のプレゼンテーション、作品の制作までをアーティストとエンジニアやキュレーターがコラボレーションとして展開するなど、そのプロジェクトのスタイルは大きく異なっていた。1996年には企業メセナ協議会審査委員特別賞を受賞するなど社会的な評価も高かったが、キヤノン本社の文化支援の見直しにともない、2001年6月の第5回プロスペクト展を最後に、活動を休止した。

バーチャル・リアリティ

[ 1990年代, , ]

『デジタル・メディア・ルネッサンス―バーチャル・ワールドとアートの潮流』 『デジタル・メディア・ルネッサンス―バーチャル・ワールドとアートの潮流』
志賀 厚雄 著
(丸善ライブラリー)

人間の視覚、聴覚、触覚などに働きかけ、人工的に作り出した架空の世界を擬似的な現実として認識させる技術の総称。日本語では仮想現実ということが多い。もともとは1980年代後半に米VPLリサーチ社が製品カテゴリを説明するために使った言葉であり、同社の創始者にしてコンピュータ科学者、ビジュアル・アーティストでもあるジャロン・ラニアーが命名者だと言われている。現在知られている技術の中でも特に著名なのが、米航空宇宙局(NASA)でスコット・フィッシャーらがテレプレゼンス(遠隔ロボット操作)を目的に開発したものである。これは、被験者がヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)、データグローブ、データスーツなどを装着して、身体の動きをコンピュータ・グラフィック上の動画にフィードバックすることで実現されるものだが、サイバースペースが広く認知された現在では、ほかにもさまざまな技術が開発されるようになった。軍事、航空、医療、教育などの諸分野で様々に用いられており、アートと科学をつなぐインターフェイスとしてもその可能性が期待されているが、人間の精神にも大きな影響を与える懸念があり、日用品への本格的な導入には一般的なコンセンサスの形成が不可欠である。

ビル・ヴィオラ

[ 1990年代, ]

『ビル・ヴィオラ はつゆめ』 『ビル・ヴィオラ はつゆめ』
ビル・ヴィオラ 著
(淡交社)

アメリカの美術家。ニューヨーク生まれ。シラキュース大学視覚・舞台芸術学部卒業。大学在学中の70年よりビデオ作品の制作を開始し、72年には処女作『野生の馬』を発表。大学卒業後はナム・ジュン・パイクのアシスタントなどを務め、独立後は各地で旺盛な制作活動を展開し、音と映像で会場全体を包み込む大規模なビデオ・インスタレーションによって世界的な名声を確立、21世紀以降はプラズマや液晶モニターの使用にも着手して新境地を切り開いた。作風としては、時代の最新テクノロジーを積極的に活用するいっぽうで、90年代以降は命、誕生、死、再生、感情といった普遍的なテーマを扱う傾向を強めており、そのピクチャレスクな画面にはさながらカトリックの宗教絵画を思わせる荘厳な趣がある。そのいっぽうで、1980~81の約1年半日本に滞在し、ソニーのアーティスト・イン・レジデンスにて代表作の『はつゆめ』を制作したことから、禅や能などの伝統的な日本文化の影響を指摘する意見も少なくない。ヴェネチア・ビエンナーレのアメリカ館代表作家として出品するなど国際経験も豊富で、1997年にはICCで、2006年には森美術館で個展が開催された。

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