E.A.T.

[ 1960年代, , ]

『Solstice《至点》』 『Solstice《至点》』
ロバート・ラウシェンバーグ
撮影:高山幸三
国立国際美術館蔵
提供:ICC

1960年代後半に活動していた前衛芸術グループ。グループの中心を占めていたのは、当時AT&T社のベル電話研究所に在籍していたエンジニアのビリー・グルーヴァーで、他にもロバート・ラウシェンバーグ、ロバート・ホイットマン、ジョン・ケージらの著名なアーティストが参加、ニューヨークを拠点に、美術、ダンス、音楽、映像などの各ジャンルを横断してアートとテクノロジーの境界を追求する活動を展開した。代表的なプロジェクトとしては、1966年に約40人のエンジニアが参加して開かれた「9つの夕べ――演劇とエンジニアリング」や1968年にブルックリン美術館で開催された「サム・モア・ビギニングス」展などが挙げられ、1970年の大阪万博にもペプシ館の展示によって参加している。その組織的活動は70年代半ばには終焉するものの、全盛期は数千人もの会員を擁したほか、1967年にマサチューセッツ工科大学(MIT)に設立された先端視覚研究センターの母胎となり、またパフォーマンスやコラボレーションの先駆的な役割を果たすなど、後の世代に与えた影響は大きい。2003年にはNTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で回顧展が開催され、日本ではほとんど無名だったグルーヴァーの足跡がはじめて本格的に紹介された。

NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]
http://www.ntticc.or.jp/

「E.A.T.―芸術と技術の実験」展 アーカイブ・ページ
http://www.ntticc.or.jp/Archive/2003/EAT/index_j.html

ENIAC

[ 1940年代, , ]

1946年に開発されたデジタル電子計算機。長らく世界最初のコンピュータと言われてきた。そもそもは大砲の弾道計算を目的に構想されたもので、ジョン・エッカートとジョン・モークリーという2人の技術者が米陸軍より資金提供を受けて1943年より開発に着手、戦後にはペンシルバニア大学へと研究拠点を移して完成された。約20,000本の真空管と7,000基の抵抗器を使用するなど本体の大きさは体育館ほどもあり、また記憶媒体を備えていないため計算のたびに最初からプログラムを入力しなければならなかったこと、リングカウンターという回路を用いて十進法で計算を行なうことなど、二進法を基準とする今日のコンピュータとの相違点も少なくなかったが、故障が少なくその稼働率は極めて高かった。プログラム内蔵型の次世代コンピュータEDVACが開発されたことに伴って1955年には活動を停止、現在は分解された部品がスミソニアン博物館やペンシルバニア大学などに保管されている。コンピュータ研究の進展に伴い、世界最初のコンピュータという定説には異論が提出されるようになっているが、その後トランジスタ、IC、LSIへと進んでいくハードウェア開発の起点に位置づけられる存在であることは間違いない。

MEMEX

[ 1940年代, , ]

ヴァネバー・ブッシュが提唱した記憶拡張装置の略称。ブッシュはMITでアナログ計算機の研究に取り組んでいた数学者で、第2次世界大戦中は原爆開発プロジェクトである「マンハッタン計画」の指揮をとっていた。仕事の必要上膨大な数の文献に目を通さなければならなかったブッシュは、多くの文献やレポートを関連づけて相互に参照することをできるようにし、作業効率を大きく高めるテクノロジーの必要性を実感し、1945年の論文「我々が考えるように」でその構想を始めて提唱した。同論文には、資料撮影用のカメラ、マイクロフィルム、フィルム投影及び書き込み用のスクリーンが一体化した机のイラストが掲載されており、ブッシュが机に座ったままで図書館の多数の文献を検索できるデバイスを構想していたことがわかる。ブッシュ自らは実現できなかったこの構想は後年、米海軍のレーダー技師ダグラス・エンゲルバートが開発したNLS(oN LINE SYSTEM)へと継承されていく。コンピュータに懐疑的だったブッシュはマイクロフィルムをデバイスの中心として考えていたのだが、結果的にその理念はハイパーテキスト概念の先駆を為すものであった。

MITメディアラボ

[ 1980年代, , ]

『ビーイング・デジタル-ビットの時代 新装版』 『ビーイング・デジタル
 -ビットの時代 新装版』 
ニコラス・ネグロポンテ 著
西和彦 監訳・監修
福岡洋一 訳
(アスキー)

1985年、マサチューセッツ工科大学建築計画スクール内に設置された研究所。デジタルメディアの技術や教育をおもな研究対象としている。同大学長(当時の)のジェローム・ウィーズナーとともにラボを創設した同大教授のニコラス・ネグロポンテはもともと建築の専門家だが、「メディアルーム」や「アスペン・ムービーマップ」を発表するなど1960年代より独自のメディア研究も行なっており、ラボ設置後は彼の主導のもとにパーソナル電子新聞、アイ・トラッキング(視線検出)、3次元ホログラフィ、高品位TV、画像圧縮などの研究プロジェクトが実施された。現在でもタンジブル・ビット研究者の石井裕同大教授らが在籍して、人間とコンピュータの強調を軸に、芸術と工学の融合、コンテキストウェアネス、量子コンピューティング、人工知能などの研究が行なわれており、学際的、芸術的なメディア研究の拠点として国際的にもひろく認知されている。2006年2月には、著名なコンピュータ研究者のフランク・モスが所長に着任した。なお、研究所が入居している校舎は、ルーヴル美術館ピラミッドを手がけた世界的建築家のイオ・ミン・ペイの設計である。

MTV

[ 1980年代, ]

音楽番組を専門とするケーブルテレビのチャンネル。1981年、ワーナー・タイム社とアメリカン・エキスプレス社が共同で出資したWASECを母体に設立され、同年8月1日午前0時1分より放送が開始された。若者を主な視聴者として想定し、24時間ポピュラー音楽のビデオクリップを流しつづける番組のスタイルを確立して、ヒット曲のプロモーションに大きな力を発揮し、一時期は絶大な影響力を持っていた。1985年にはパラマウント映画などを傘下に置くメディア企業のバイアコム社によって買収されて現在に至る。1996年にはMTVとMTV2に分割され、前者はエンターテインメント番組中心の構成となったため、従来の音楽番組のスタイルは後者へと継承された。現在でも世界161カ国で放映されているが、ダウンロード配信が主流となるなど、音楽の受容形式が大きく変化したため、その影響力は低下している。日本でも1980年代より民放の音楽番組枠などを通じて断片的に放映され、1992年には本格的に進出を果たしたが、その後も数回にわたって経営形態やチャンネルが変化した。現在は音楽専門チャンネルでは上位の契約数を誇るなど、経営的には安定しているが、邦楽中心の番組構成には賛否両論が寄せられている。

エスプリ・ヌーヴォー

[ 1920年代, ]

エスプリ・ヌーヴォー 提供:大成建設株式会社

建築家ル・コルビュジエと画家アメデ・オザンファンが共同で刊行していた雑誌。1920年の創刊から1925年の終刊まで、通巻28号を刊行する。画家でもあったル・コルビュジエは、スイスからパリに上京して間もない1918年にオザンファンと知りあい、当時盛期を迎えていたキュビスムへの批判的見解で意気投合、共著の出版やふたり展の開催を経てピュリスムという絵画運動を創始し、その拠点として新雑誌を創刊した。『新しい精神』という意味のタイトルにふさわしく、この新雑誌には多くの詩人、画家、建築家らが寄稿し、また彫刻、文学、音楽、演劇、映画、サーカス、スポーツ、ファッションなどのさまざまな話題が取りあげられ、ときに論争が繰り広げられた。この誌面の活気は、社交家であったオザンファンの手腕によってもたらされた部分が大きい。またこの雑誌は、それまで本名のシャルル・エドエワール・ジャンヌレで活動していたル・コルビュジエが風変わりなペンネームを名乗りはじめたきっかけともなり、その後著書にまとめられる多くの原稿が発表されたが、建築家としての名声の高まりにつれてオザンファンとの関係が悪化し、雑誌も終刊を余儀なくされた。

有人飛行機

[ 1900年代, , ]

有人飛行機

胴体に取りつけた翼によって揚力を、エンジンによって推進力を得る有人の飛行物体の総称。以前から多くの飛行実験が試みられ、芸術作品のモデルともなってきたが、現在ではウィルバーとオービルのライト兄弟が1903年12月17日にアメリカ・ノースカロライナ州キティホークで行なった実験が、人類史上最初の有人飛行の成功例と目されている。このときに用いられた実験機ライトフライヤー3号は最高時速48キロメートルを記録したほか、(1)右と左の主翼を逆方向にねじることにより左右の揚力バランスを変え機体を傾ける機構、(2)対重量比で多くの動力を生みだすガソリンエンジンを搭載、(3)木製の骨組みに布を張ることによって軽量化された機体、(4)腹ばいで機体にまたがり、左右の操縦桿で機体を操作する操縦法、などの優れた特徴を備えていた。これらの特徴は、いずれもグライダーによる多くの飛行実験によって得られたデータに基づき考案されたものである。その後有人飛行機は、第一次世界大戦で本格的に軍用化されるなど、わずか10数年のうちに飛躍的な進歩を遂げるが、ライト兄弟の偉業は、周囲の嫉妬や無理解、あるいは特許権等の複雑な要因もあって、彼らの生前には必ずしも正当には評価されなかった。