ハプニング

[ 1950年代, ]

1950年代~70年代にかけて、ギャラリーや市街地などを舞台として展開された非再帰的な身体表現を指す言葉。ダンス、バレエや演劇とは異なり、あくまでも美術の一形式とみなされる。史上初のハプニングは1959年、ニューヨークのリューベン・ギャラリーで開催されたアラン・カプローの初個展「6パートに分かれた18のハプニング」とされている。この個展に際して、カプローはギャラリーの室内の中に木枠とビニールシートで3つの部屋に分けた小屋を作り、そのなかで自分自身を含む6人のアーティストが事前に用意したシナリオに従って行う身体表現を披露し、観客の大きな反響を呼んだ。カプローは以前からジャクソン・ポロックのドリッピング絵画に傾倒しており、絵画制作における身体性をアッサンブラージュや環境という要素を取り込んで発展させることによって、双方向的な身体表現としてのハプニングというアイデアにたどり着いた。その後、空間を作品化しようとする発想はインスタレーションへと、一方より能動的な身体表現を実践しようとする発想は、フルクサスによるイヴェントや80年代以後のパフォーマンスへと継承されていった。時期的にはカプローと前後して過激な身体表現を試みていた具体美術協会や草間彌生らの作品もハプニングの一種である。

ハリウッド

[ 1910年代, ]

カリフォルニア州ロサンゼルス市のダウンタウンから北西約10キロに位置している地区。ハリウッドという地名は、この地区にセイヨウヒイラギ(holly)が多数自生していることに由来する。もともとは農村地区であったが、1880年代より宅地開発が始まり、1903年に市制施行、1910年にロサンゼルス市に合併された。1年の大半が好天に恵まれ、またメキシコ国境に近く安価な労働力の調達が容易であったため、1911年にネストール社が初めて映画スタジオを建設したのを皮切りに、一部の大手業者の寡占に反発した多くの中小映画会社が続々とこの地区へと拠点を移した。ハリウッドランド社によって山の中腹に「HOLLYWOODLAND」のサインが設置された1923年前後には、それまでの東海岸に代わってアメリカの映画産業の一大中心地となっていた(のちに「LAND」の部分を削除)。映画産業が斜陽化したために全盛期の華やかさは失われたが、現在でも毎年多くの映画が製作されており、映画スターのサインや手形を集めた蝋人形博物館やチャイニーズ劇場、公開製作を行なうスタジオなどは人気スポットとして内外から多くの観光客を集めている。

バウハウス

[ 1910年代, ]

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『バウハウス』
マグダレーナ・ドロステ 著
(タッシェンジャパン)

第1次世界大戦後のドイツ・ワイマール共和国に営まれた芸術学校。同校を拠点として展開されたモダニズム芸術運動を総称する場合もある。1919年にワイマールにて開校し、初代校長のワルター・グロピウスを中心に、ラズロ・モホリ=ナジ、ヨハネス・イッテン、パウル・クレーらの教授陣が家具、舞台装置、ファッション、絵画、写真、映画、テキスタイル、グラフィック等の各ジャンルにまたがる多彩な教育を行ない、多くの成果を生み出した。抽象志向、幾何学的形態、機械芸術、応用芸術などを重視した独自の造形教育理念には、アート・アンド・クラフト運動やドイツ工作連盟からの強い影響がみられ、またドイツ語で「建築の家」を意味する校名にならって、それらの理念はすべてを器としての建築へとまとめあげていく方向性をもっていた。その影響は遠く日本にまで及んでいる。なお同校は、1928年にはハンネス・マイヤーが第2代の、1930年にはミース・ファン・デル・ローエが第3代の校長に着任するが、1925年にはデッサウに、1932年にはベルリンに移転するなど、財源不足とナチスの弾圧によって不安定な運営を余儀なくされ、1933年に閉校となる。なお東西ドイツ統一後の1996年に、ワイマールの旧校舎を拠点としてバウハウス大学が設立され、かつてのバウハウスの流れを汲む実験的な芸術教育が行なわれている。

バックミンスター・フラー

[ 1930年代, , ]

バックミンスター・フラー 『宇宙船地球号操縦マニュアル』
バックミンスター・フラー 著
(ちくま学芸文庫)

アメリカの発明家、建築家、デザイナー。マサチューセッツ州ミルトン生まれ。ハーバード大学を中退した後、海軍兵学校に学び、第一次世界大戦に従軍、飛行機や自動車の構造や建築デザインに強い興味を持つ。除隊後に本格的な研究と事業を開始し、1930年代には自ら「ダイマクション」(ダイナミックで最大限の能率を有するという意味の造語)と名づけた量産型のメカニカルな構造を考案、この構造を応用した住宅や自動車を続々と発表した。第二次大戦後は合金、合板、プラスチックなどの規格化された三角形の部材でドームを形づくり、その下に可能な限り大きな空間を得る「ジオデシック」という構造を考案し、その実用化を推進、モントリオール万博(1967年)のアメリカ館の成功を通じて彼の名声は世界的なものとなった。そのほかにも、「シナジェティック」「バイオスフィア」「宇宙船地球号」など、今日でいうサステイナビリティの視点に基づく多くの先駆的な研究を発表したが、それらの研究の大半は一部の信奉者の熱狂的な支持こそ得たものの実現されることはなく、また幾度かの事業の失敗や長女の死にも見舞われるなど、波乱の多い生涯を送った。

バーチャル・リアリティ

[ 1990年代, , ]

『デジタル・メディア・ルネッサンス―バーチャル・ワールドとアートの潮流』 『デジタル・メディア・ルネッサンス―バーチャル・ワールドとアートの潮流』
志賀 厚雄 著
(丸善ライブラリー)

人間の視覚、聴覚、触覚などに働きかけ、人工的に作り出した架空の世界を擬似的な現実として認識させる技術の総称。日本語では仮想現実ということが多い。もともとは1980年代後半に米VPLリサーチ社が製品カテゴリを説明するために使った言葉であり、同社の創始者にしてコンピュータ科学者、ビジュアル・アーティストでもあるジャロン・ラニアーが命名者だと言われている。現在知られている技術の中でも特に著名なのが、米航空宇宙局(NASA)でスコット・フィッシャーらがテレプレゼンス(遠隔ロボット操作)を目的に開発したものである。これは、被験者がヘッド・マウント・ディスプレイ(HMD)、データグローブ、データスーツなどを装着して、身体の動きをコンピュータ・グラフィック上の動画にフィードバックすることで実現されるものだが、サイバースペースが広く認知された現在では、ほかにもさまざまな技術が開発されるようになった。軍事、航空、医療、教育などの諸分野で様々に用いられており、アートと科学をつなぐインターフェイスとしてもその可能性が期待されているが、人間の精神にも大きな影響を与える懸念があり、日用品への本格的な導入には一般的なコンセンサスの形成が不可欠である。

パフォーマンス

[ 1980年代, ]

《言葉の滝》 2005年 ローリー・アンダーソン
《言葉の滝》 2005年
資料提供:ICC

美術家による身体表現の総称。ダンス、演劇、バレエ、サーカス、ライブ演奏などとは異なり、あくまでも美術の一環とみなされる。今日のパフォーマンスの起源は、ふるくはダダイスムにおけるトリスタン・ツァラらの詩の朗読などに認めることができる。その後1960年代には、アラン・カプローやフルクサスらの「ハプニング」や「イヴェント」によって新しい身体表現の可能性が切りひらかれ、1980年代以降はより能動性の強いパフォーマンスという呼称が一般にひろく用いられるようになった。本来は劇場にかぎらず美術館、ギャラリー、カフェなどさまざまな場所で上演されるが、1980年代以降はオルタナティブスペースという空間で上演されることが多くなった。台本にしたがって行なわれる場合も即興の場合もあり、また生身の上演以外にも、テクノロジーを活用した上演や、上演の様子を記録した映像を公開する場合もある。ボディ・アートや公開制作までふくめて考えれば、その表現はきわめて多岐にわたり、統一的な把握はきわめて難しい。日本では、1980年代の中ごろにヨゼフ・ボイス、ナム・ジュン・パイク、ローリー・アンダーソンらが相次いで来日公演を行ない、おおきな反響を呼んだのを機にパフォーマンスという呼称が定着した。

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