ポストモダン
Postmodern
『ポスト・モダニズムの建築言語』(1978)チャールズ・ジェンクス 著
/竹山実 訳
建築と都市 a+u
モダニズムを批判的見地からとらえ、その克服を目ざそうとする思想や運動の総称。1970年代にチャールズ・ジェンクスの『ポストモダニズムの建築言語』が出版されるなど、最初は建築にあらわれた新たな傾向は、1980年代初頭には他の領域にもひろく波及していった。禁欲的、合理的なモダニズムに対して、歴史への回帰や過剰な装飾性などをつうじて反機能主義、反合理主義的なスタイルを打ちだす傾向がつよく認められる。建築では磯崎新やマイケル・グレイヴス、デザインではエットーレ・ソットサスらのメンフィスが代表格と目され、サブカルチャーの分野でもさまざまな展開が見られた。なおモダニズムの旧套(きゅうとう)を打破しようとする思想は1968年のパリ5月革命を出発点としており、その圧倒的なインパクトのもとに形成されたフランス現代思想は、同時代の先端的なスタイルに対する格好の理論的援護射撃としても機能したが、その根底に左翼的なラディカリズムが潜んでいることがしばしば指摘される。なおポストモダンは近代批判全般を、いっぽうポストモダニズムは1980年代に顕在化したその動向を指す場合が多いが、当然のことながら両者の厳密な区分は困難である。
ポンピドゥー・センター
Centre National d'Art et de Culture Georges Pompidou
『ポンピドゥー・センター物語』岡部あおみ著
紀伊國屋書店出版部(1997)
1977年にパリで開館した国立の総合芸術センター。正式名称はジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センターといい、国立現代美術館、産業創造センター、音響音楽研究所、公共図書館からなる複合施設である。そもそも同センターは、フランス美術界の重鎮ジャン・カスーと建築家ル・コルビュジエが共同で提唱していた「20世紀美術館構想」を受けてポンピドゥー大統領(当時)が発案したもので、1971年に実施されたコンペでは、パイプとガラス面を大きく露出させ、また可動壁を動かすことによって展示室を自由にデザインできる特徴をもったレンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースのユニークな案が当選した。国立現代美術館はルーヴル、オルセーとの役割分担によって20世紀美術を対象としており、杮落としを飾ったデュシャン展以来、パリと他の大都市を比較した「二都展」シリーズ、日本の現代美術を大々的に取りあげた「前衛芸術の日本展」、マルチカルチャリズムに先鞭をつけた「大地の魔術師たち展」などの斬新な展覧会企画をつぎつぎと実現し、アメリカへの対抗意識を隠さず、世界の美術界をリードしようとする強い意欲を見せている。2008年には地方都市のメス市に分館をオープンさせる予定。
ポール・ポワレ
Paul Poiret(1880‐1944)
ポール・ポワレ イブニング・ドレス(1933~35年頃)神戸ファッション美術館蔵
フランスの服飾デザイナー。生地商の息子としてパリに生まれる。幼少から演劇、絵画、服飾に興味を持ち、1903年、オペラ座周辺に婦人服店を開く。1906年、ドレス「ローラ・モンテス」を発表、当時の主流だったアール・ヌーヴォーの優美な曲線とは正反対の発想に基づく直線型のシンプルなシルエットに加え、コルセットでウェストを締めつけるそれまでの婦人服の常識を覆したデザインで大きな反響を呼んだ。その後もバレエ・リュスや、日本や中国の要素を取り入れた衣装を次々と考案したほか、高級衣装組合を結成したり、香水を発売したりと、ベル・エポックのファッション王という異名にふさわしい多くの話題を振りまいた。有名な顧客としては、女優サラ・ベルナールや画家ラウル・デュフィらが挙げられる。しかし、ココ・シャネルが台頭した第一次世界大戦後の社会変化に対応できず、1925年の「アール・デコ展」でスポットライトを浴びたのを最後に、しだいにファッション界から忘れられ、晩年は孤独のうちにパリで病死した。現在では、20世紀初頭の服飾革命をリードしたデザイナーとして再評価が進んでいる。




