バックミンスター・フラー
Richard Buckminster FULLER(1895-1983)
『宇宙船地球号操縦マニュアル』バックミンスター・フラー 著
(ちくま学芸文庫)
アメリカの発明家、建築家、デザイナー。マサチューセッツ州ミルトン生まれ。ハーバード大学を中退した後、海軍兵学校に学び、第一次世界大戦に従軍、飛行機や自動車の構造や建築デザインに強い興味を持つ。除隊後に本格的な研究と事業を開始し、1930年代には自ら「ダイマクション」(ダイナミックで最大限の能率を有するという意味の造語)と名づけた量産型のメカニカルな構造を考案、この構造を応用した住宅や自動車を続々と発表した。第二次大戦後は合金、合板、プラスチックなどの規格化された三角形の部材でドームを形づくり、その下に可能な限り大きな空間を得る「ジオデシック」という構造を考案し、その実用化を推進、モントリオール万博(1967年)のアメリカ館の成功を通じて彼の名声は世界的なものとなった。そのほかにも、「シナジェティック」「バイオスフィア」「宇宙船地球号」など、今日でいうサステイナビリティの視点に基づく多くの先駆的な研究を発表したが、それらの研究の大半は一部の信奉者の熱狂的な支持こそ得たものの実現されることはなく、また幾度かの事業の失敗や長女の死にも見舞われるなど、波乱の多い生涯を送った。
フォト・セセッション
Photo-Secession
1902年、アルフレッド・スティーグリッツとエドワード・スタイケンが中心になって結成された写真家グループ。ほかにはアルヴィン・ラングダン・コバーン、フランク・ユージン、クラレンス・ホワイト、ガートルード・ケーゼビアらが参加した。機関誌『カメラワーク』を通巻50号に渡って刊行し、また1910年にはニューヨーク州バッファローのオルブライト・アート・ギャラリーで「絵画主義写真国際展」を開催するなど、写真による絵画的表現を目指したピクトリアリズムを牽引した。その一方で1905年には、ニューヨーク5番街291番地に小ギャラリーを開設(1908年に「291」と改称)、ここを拠点にロダン、マティス、ピカビア、ブランクーシらの作品を初めてアメリカに紹介する一方、マースデン・ハートリーやジョージア・オキーフ、ジョン・マリンなどの若いアメリカ人画家にも発表の場を提供するなど、今世紀初頭のアメリカのモダニズム芸術運動の展開に当たって大きな役割を果たした。その活動は、実質的には1910年代前半に、名目的にも機関誌が終刊し、ギャラリーが閉廊した1917年には終焉するが、中心人物であったスティーグリッツはその後もアン・アメリカン・ブレイズなどの画廊で、新しい芸術動向の紹介を積極的に続けた。
フラクタル理論
Fractal Theory
中山 雅紀『captive julia』フランス出身の数学者でIBMの研究員だったブノワ・マンデルブロが1975年に提唱した数学理論。フラクタルの語源は「壊れた不規則な断片」を意味するラテン語の「fractus」。自然界には、月の表面、海岸線、生物の細胞組織など、一見複雑なように見えても、実は一部を拡大すると全体と同じ形状を示す事例が非常に多いのだが、これらの事例は、簡略化した数式の計算を繰りかえすことによって、より詳細な全体の形状をつくりだすことが可能となる。このような性質の図形をフラクタル図形といい、その形状に応じてマンデルブロ集合、ジュリア集合、カントール集合などのさまざまな種類に区分することができる。自然界のあらゆる局面に存在するフラクタル図形の発見は、一見無秩序な自然が秩序によって満たされていることを証明する結果にもつながったのである。はじめは主に物理学、科学、地理学などの形状解析に用いられたが、1982年にIBMでマンデルブロの同僚だったリチャード・ヴォスが惑星のCGを作成したのをきっかけに、アートの世界でも関心が高まり、多くのアーティストによって無数のフラクタル図形が作成されている。
ブラジリア
Brasilia
提供:「ブラジリアへようこそ」ブラジルの首都。内陸部の標高約1100メートルの高原地帯に建設された計画都市で、行政的には連邦直轄地区としてほかの26州と同様の権限を有する。ポルトガルからの独立以来、ブラジルは旧首都であるリオデジャネイロやサンパウロなど、広大な国土の南端に位置する大都市に人口や資本が偏っており、19世紀以来遷都の必要が叫ばれていた。1956年、新大統領に当選したジュゼリーノ・クビチェクは内陸部への遷都を決断、5年間の任期中の新首都建設を目指してコンペを実施した結果、ルチオ・コスタが当選し、実際の設計実務はコスタとオスカー・ニーマイヤーの手に委ねられた。ブラジリアと名づけられた新首都はその後急ピッチで建設が進められ、1960年の供用開始時には、モダニズム様式によって建てられた国会議事堂、行政庁舎、最高裁判所による未来都市が出現し、その威容はいち早く世界に紹介された。ニーマイヤーの師にあたるル・コルビュジエは、ブラジリアを見て自らもなしえなかった都市計画を実現した弟子の偉業をたたえたという逸話も残っている。1987年には異例の早さで世界遺産に登録されるなど、その都市計画と景観は高く評価されているが、新首都建設に要した莫大な費用は、その後長年にわたってブラジル経済を大きく圧迫することになった。
ブラックマウンテン・カレッジ
Black Mountain College
1933年、アメリカ、ノースカロライナ州のブラックマウンテンに建設された芸術学校。「人々が共通の目的と責任を分かち合う共同体の確立と、芸術のもっとも高度な長所が花開くような風土を創造すること」を目標に、ナチスの圧力で閉鎖を余儀なくされたバウハウスから招かれたジョゼフ・アルバースらが教鞭をとり、その実験精神を継承するかのようなユニークな教育が行なわれた。1944年にはアッシュビルに移転し、それを機にジョン・ケージ、マース・カニングハム、リチャード・バックミンスター・フラーらが教員として着任し、またロバート・ラウシェンバーグ、ヘレン・フランケンサーラー、ブライス・マーデンらが受講生として参加、学校教育の方向性はさらに実験的なものとなった。その先駆的な教育は後のネオ・ダダやフルクサスにも大きな影響を与え、なかでもラウシェンバーグの「コンバイン・ペインティング」がケージの「チャンス・オペレーション」をヒントに考案された逸話は有名である。経営難のため1957年には閉鎖されたが、優れた人材を輩出し、戦後アメリカのアートとデザインの先端的な部分を担っていた意義はいまなお高く評価されている。
ブレードランナー
Blade Runner
『ブレードランナー ファイナル・カット スペシャル・エディション』リドリー・スコット 監督
(発売:ワーナー・ホーム・ビデオ)
(価格:3,980円(税込))
1982年公開のアメリカ映画。リドリー・スコット監督作品。フィリップ・K・ディックのサイバーパンク小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とする。前作『エイリアン』でSFとホラーを融合した新境地を切りひらいたスコットは、本作ではさらに先鋭的な視覚イメージを追求し、環境汚染にまみれた近未来の巨大都市を舞台に、レプリカントと呼ばれる人造人間が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する、ハードボイルドやフィルム・ノアールの要素を取りいれた凝りに凝った映像世界をつくりあげた。この映像美は、スコットの才覚にくわえ、美術担当のシド・ミードや視覚効果監修のダグラス・トランブルといったスタッフの卓越した手腕にも負う部分が大きかった。『スター・ウォーズ』や『レイダース』でトップスターとなったハリソン・フォード主演の大型作品ということもあって観客動員も期待されたが、難解で陰鬱な作風が受けずロードショー時は日米ともに不入りに終わった。しかしビデオソフトの普及を機に多くのファンに浸透し、再評価が進んだ現在ではSF映画史上屈指の傑作との声も少なくない。紆余曲折があった作品の受容プロセスを反映してか、本作には5つの異なるヴァージョンが存在する。
ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」
Das Kunstwerk im Zeitalter Seiner Technischen Reproduzierbarkeit

『複製技術時代の芸術』
ヴァルター・ベンヤミン 著
(晶文社クラシックス)
ドイツの批評家ヴァルター・ベンヤミンが著した複製芸術論。「芸術作品は、原理的には、常に複製可能であった」との書きだしで始まる同書は、古代ギリシアにおけるブロンズ像、テラコッタ、硬貨に複製芸術の起源を見出し、その後中世期の銅版や腐蝕銅版、19世紀初頭のエッチングへと展開されていく複製芸術の系譜を追っていく。なかでも、19世紀中頃に登場した写真は複製芸術の革命的な転機として位置づけられており、ベンヤミンはその技術的核心を「この技術によって人間の手が形象の複製のプロセスの中でこれまで占めていたいちばん重要な役割から、はじめて解放されることになった」と評した。この指摘は、オリジナルと変わらない質のコピーを大量生産することが可能な写真が、唯一無二の存在であることに由来する芸術の「真正性」を、ひいてはオリジナルの作品のみがもつ「アウラ」を大きく揺り動かし、またそれと同時に美術作品の観賞形態が唯一無二の「アウラ」を珍重する礼拝価値から、多くのモノ自体の価値を等閑視しようとする展示価値へと移行したという画期的な見解へと繋がっていく。 小著だが、1936年の発表時点でいち早く複製芸術の本質に着目していた優れた先見性によって、著者の代表作であるばかりか、20世紀の最も重要な芸術論のひとつに数えられている。
不完全性定理
Gödelsche Unvollständigkeitssatz
『ゲーデル 不完全性定理』ゲーデル 著
(岩波文庫)
アメリカの数学者クルト・ゲーデル(1906-1978)が1931年に発表した定理。「一見矛盾のない理論体系のなかに、肯定しても否定しても矛盾が生じる命題が、必ず存在する」という第一不完全性定理と、「ある理論体系に矛盾がないとしても、その理論体系は自分自身に矛盾がないことを、自らの体系の内部では証明できない」という第二不完全性定理のふたつからなり、いずれも数学基礎論のなかでももっとも重要な定理とみなされている。当時の数学界では、巨匠ダフィット・ヒルベルト(1862-1943)を中心に、どんな問題でも真偽の判定が可能であることを証明しようとする「ヒルベルト・プログラム」がさかんに展開されていたが、この野心的な企ては、ゲーデルの発表したふたつの定理によって事実上頓挫してしまった。ちなみに、この定理は数学のみならずほかの論理体系にもほぼそのまま応用可能であり、科学哲学などにも大きな影響を与えた。とりわけ、「ボクは嘘つきである」という命題が真偽いずれだと仮定しても矛盾が生じてしまう「自己言及のパラドックス」は、この定理の代表例としてしばしば言及される。




