MITメディアラボ
MIT Media Lab
『ビーイング・デジタル-ビットの時代 新装版』
ニコラス・ネグロポンテ 著
西和彦 監訳・監修
福岡洋一 訳
(アスキー)
1985年、マサチューセッツ工科大学建築計画スクール内に設置された研究所。デジタルメディアの技術や教育をおもな研究対象としている。同大学長(当時の)のジェローム・ウィーズナーとともにラボを創設した同大教授のニコラス・ネグロポンテはもともと建築の専門家だが、「メディアルーム」や「アスペン・ムービーマップ」を発表するなど1960年代より独自のメディア研究も行なっており、ラボ設置後は彼の主導のもとにパーソナル電子新聞、アイ・トラッキング(視線検出)、3次元ホログラフィ、高品位TV、画像圧縮などの研究プロジェクトが実施された。現在でもタンジブル・ビット研究者の石井裕同大教授らが在籍して、人間とコンピュータの強調を軸に、芸術と工学の融合、コンテキストウェアネス、量子コンピューティング、人工知能などの研究が行なわれており、学際的、芸術的なメディア研究の拠点として国際的にもひろく認知されている。2006年2月には、著名なコンピュータ研究者のフランク・モスが所長に着任した。なお、研究所が入居している校舎は、ルーヴル美術館ピラミッドを手がけた世界的建築家のイオ・ミン・ペイの設計である。
マシーン・エイジ
Machine Age

『LIFE』創刊号(1936年11月23日)
Margaret Bourke-White photo of Ft. Peck Dam.
LIFE Magazine © Time, Inc.
機械がもつダイナミズムとスピード感を新しい時代の象徴として捉える機運が強かった、両大戦間のアメリカの時代精神を指していう言葉。その傾向は美術、写真、建築、デザイン等の各ジャンルで広く認められた。エンパイアステートビルの竣工(1931)に始まるニューヨークの摩天楼群の建設はマシーン・エイジの火蓋を華々しく切り、他にも鉄とガラスとコンクリートによって構成されるインターナショナルスタイルの建築、フォートベックダムのグラビアによって写真誌『LIFE』創刊号の表紙を飾ったマーガレット・バークホワイトの写真、巨大な機械を精密に描いたチャールズ・シーラーの絵画などこの時代ならではのダイナミックな表現が続々と生み出された。とくに、レイモンド・ローウィーやノーマン・ベル・ゲティーズ、ヘンリー・ドレフュスらを代表格とする流線形の造形は、スピードと未来というテーマに基づく大量生産を目指した、マシーン・エイジの理念を体現したデザインであった。この傾向は、20年後のアメリカを見せることを目的とした「フューチャラマ」が上映された1939年のニューヨーク万博でピークに達したが、第2次世界大戦の到来による時局の急激な変化は、マシーン・エイジの理想をも過去へと追いやってしまった。
マルセル・デュシャン
Marcel Duchamp (1887-1968)

『マルセル・デュシャン』
ジャニス・ミンク 著
(タッシェンジャパン)
フランスの美術家。ノルマンディー地方ブランヴィルの裕福な家庭に、7人兄弟の三男として生まれる。それぞれ画家、彫刻家となった2人の兄の影響で幼い頃より美術に強い関心を示し、パリのアカデミー・ジュリアンで美術を学び、印象派やフォーヴィズムの影響を受けた絵画を制作するが、徐々に絵画制作への意欲を失い、1913年にアーモリー・ショーで大きな反響を呼んだ『階段を降りる裸体』(No.2)が実質的に最後の絵画作品となる。第1次世界大戦を機にアメリカに拠点を移して以後は、フランシス・ピカビアやマン・レイと並んでニューヨーク・ダダの中心人物として活躍、署名しただけの既成の便器をそのまま美術展へと出品した『泉』(1917)、未完のまま放置された『大ガラス』(1923)、視覚をかく乱する効果をもつ『ロトレリーフ』(1935)などの問題作で物議を醸した。既製品に手を加えてまったく新たな意味や文脈を創出する「レディメイド」という手法を多用するなど、その制作姿勢には芸術への根本的な懐疑が滲んでおり、戦後世界では「現代美術の父」として絶大な影響力をもつにいたった。自作をめぐる膨大なメモを書き残し、女装してローズ・セラヴィを自称するなど、その特異な思考は平素の言動にまで及んだが、後半生はチェスに熱中し、ほとんど作品制作を行なわなかった。
摩天楼
Skyscraper
©joyphoto.com超高層建築(日本では高さ100メートル以上、欧米では150メートル以上のものを指す場合が一般的)がつくりだす都市景観の名称。もともとは大型帆船のマストから派生した言葉だが、空際線をなぞるかのような景観が「天を摩する」ように見えることから、摩天楼という日本語が定着した。史上初めて摩天楼が出現したのは1930年代のニューヨークで、「エンパイアステートビル」(1931年)を皮切りに続々と建設された超高層ビル群は、新たな都市文明と経済成長の象徴として衝撃を与え、多くの映画などの舞台ともなり、世界各国の都市計画に大きな影響を及ぼした。とりわけ国土の狭い日本では、超高層建築は容積率を高めることのできる手法としても注目され、70年代には東京・西新宿の一帯に世界でも有数の超高層ビル群が登場した。現在、世界最高の高さを誇っているのは「台北国際金融センター」(2004年)の508メートルだが、現時点でもこれを上回る高さの超高層ビルの建設計画が複数進行中であり、ニューヨークのグラウンド・ゼロ(世界貿易センター跡地)に建つ予定のフリーダム・タワーは高さ540メートル、アラブ首長国連邦(UAE)のドバイに建設中のブルジュ・ドバイは約800メートル、また2008年7月に同じくドバイでの建設計画が発表されたナキール・ハーバー&タワーズは約1,000メートルにも達する予定である。




