MEMEX
MEMory EXtender
ヴァネバー・ブッシュが提唱した記憶拡張装置の略称。ブッシュはMITでアナログ計算機の研究に取り組んでいた数学者で、第2次世界大戦中は原爆開発プロジェクトである「マンハッタン計画」の指揮をとっていた。仕事の必要上膨大な数の文献に目を通さなければならなかったブッシュは、多くの文献やレポートを関連づけて相互に参照することをできるようにし、作業効率を大きく高めるテクノロジーの必要性を実感し、1945年の論文「我々が考えるように」でその構想を始めて提唱した。同論文には、資料撮影用のカメラ、マイクロフィルム、フィルム投影及び書き込み用のスクリーンが一体化した机のイラストが掲載されており、ブッシュが机に座ったままで図書館の多数の文献を検索できるデバイスを構想していたことがわかる。ブッシュ自らは実現できなかったこの構想は後年、米海軍のレーダー技師ダグラス・エンゲルバートが開発したNLS(oN LINE SYSTEM)へと継承されていく。コンピュータに懐疑的だったブッシュはマイクロフィルムをデバイスの中心として考えていたのだが、結果的にその理念はハイパーテキスト概念の先駆を為すものであった。
メタボリズム
metabolism
『中銀カプセルタワービル』撮影:大橋 富夫
提供:(株)黒川紀章建築都市設計事務所
1960年代の日本を代表する建築運動。創設メンバーには浅田孝、川添登、菊竹清訓、黒川紀章、栄久庵憲司、粟津潔がおり、1960年に東京で開催された「世界デザイン会議」を機に「来るべき社会の姿を、具体的に提案するグループ」として結成された。会議と同時に出版されたマニフェスト『METABOLISM/1960』(この提案には、創設メンバー以外にも槇文彦と大高正人が参加した)には、創設メンバーによる「塔状都市」「海上都市」「新宿ターミナル再開発計画」などのプロジェクトが収められており、「建築や都市は閉じた機会であってはならず、新陳代謝=metabolismを通じて成長する有機体であらねばならない」という明快な主張が展開されている。そこには、高度成長期を迎えつつあった当時の趨勢に加え、多くのメンバーにとって師匠的な存在であった丹下健三の強い影響を容易に指摘することができる。多くの計画は日の目を見ることはなく、1970年の大阪万博を最後の花道として歴史に埋没していったが、現在では、東南アジア諸国をはじめ、日本発の建築運動が国際的に強い影響力を持った先例として再評価されている。
メディアテーク
mediatheque
提供:せんだいメディアテーク書籍に加え、CDやDVDなどの音楽、映像ソフトも多数所有し、またコンピュータやインターネットを本格的に導入するなど、先端型の情報拠点としての性格を強く持った図書館。「メディアを収める棚」を意味するフランス語から派生した。従来の蔵書カードに代わってOPACが普及した現在では、一般の図書館でもオンライン検索は当たり前になっているが、メディアテークという場合には、多目的スペースや複合文化施設としての性格を強く持っている施設を指すことが多い。1990年、パリ新国立図書館のコンペに際して若手建築家のドミニク・ペローが斬新なメディアテークを提案して当選したのを機に国際的に波及し、各国でさまざまな特徴を有したメディアテークが開設されるようになった。日本でも、図書館、映像ライブラリー、市民ギャラリーの一体型施設であるせんだいメディアテーク(2001年、設計=伊東豊雄)や、図書館、ギャラリー、シアターの一体型施設である山口情報芸術センター(2003年、設計=磯崎新)など、著名な建築家を起用した斬新なデザインのメディアテークが建設されている。
せんだいメディアテーク
http://www.smt.city.sendai.jp/



