ライカ
Leica

ドイツのカメラ・ブランド。1849年にウェッツラーで創業された老舗メーカー、エルンスト・ライツ社のカメラを「LEItz CAmera」と略称したことに由来する。1916年、ライツ社に勤めていた技術者オスカー・パルナックは、当時の標準機だった重い乾板を利用した大型カメラとは異なる、小さいネガを採用した小型カメラ「ウル・ライカ」を独自に考案したが、その高性能ぶりに眼を見張った2代目社長エルンスト・ライツ2世は1925年、レンズに改良を施した同機の市販タイプを開発、「ライカA型」の名で世に送りだした。初年度の生産台数は約1,000台に過ぎなかったが、ライカはそのコンパクトなサイズと解像力の高さにおいて並ぶものがなく、1934年にはライカタイプと呼ばれる量産型カメラの製造を開始し、そのブランド名は世界のカメラ市場に広く浸透した。当時はシュルレアリスト、ダダイスト、あるいはロシア構成主義やバウハウスなどによって新しい写真表現の可能性が開拓され、またアメリカでは新しい写真雑誌「ライフ」が創刊されるなど、本格的なフォト・ジャーナリズムの時代を迎えつつあったが、高性能で気軽に持ち運ぶことのできるライカはその趨勢のなかにあって大いに重宝され、世界中のジャーナリストやアーティストの注目の的となったのである。
ライカカメラジャパン
http://www.leica-camera.co.jp
ライト・アート
Light art
光を制作素材とした美術作品の総称。大地を舞台とした大規模な作品はアース・アートと呼ばれる場合もある。白熱電球の点滅などによって光を運動表現へと応用したキネティック・アート、錯視効果を応用した絵画を描くオプ・アート、自在に組みあわせた蛍光灯を室内で発光させるダン・フレイヴィンの照明インスタレーション、密室を発光した大気で満たしたジェームス・タレルの「ガスワークス」、LEDを用いた宮島達男のデジタル・カウンターなど、さまざまなタイプの作品が存在する。制作素材としての光を一種の造形言語とみなし、その発光・発色や吸収・屈折、感光反応の仕方などによって、直接光、間接光、反透過光、屈折光などに区分することがある。代表作家のなかでも、フレイヴィンにはミニマル・アートの、タレルには抽象表現主義やアースワークの強い影響が認められ、彼らの表現が60~70年代の美術の動向との連続性によって産み落とされたものであることがわかる。21世紀の現在も、オラファー・エリアソンら新世代のアーティストがライト・アートの可能性を探求しており、将来的にはさらに新しいテクノロジーを応用した作品が出現することが予想される。
ラジオ・デイズ
Radio Days
『ラジオ・デイズ』ウディ・アレン 監督
(発売:20世紀フォックス ホームエンターテイメント)
1930年代に黄金時代を迎えたアメリカのラジオ文化を称した言葉。アメリカに初めてラジオ局が開局したのは1920年のことだが、それから10年後の1930年に全米のラジオ局は総数600を超えるほどに成長した。各地のラジオ局で流れていたグレン・ミラー、ベニー・グッドマン、トミー・ドーシー、アーティ・ショーらのポピュラー音楽はいずれも大ヒットを記録し、また19世紀末に創刊された音楽雑誌『ビルボード』はその大ヒットを受けて大幅に誌面を刷新、独自の統計に基づいて週単位で楽曲をランキング化する「ヒットチャート」を導入して大成功を収めた。またこの当時のラジオでは、台詞の朗読によるラジオドラマも人気を博しており、『エイモスとアンディ』や『ローンレンジャー』などの人気番組は3000万人以上の聴衆をひきつけたといわれている。第二次大戦後、大衆娯楽の主役は新しいメディアであるテレビへと移行していくが、音楽ショー、ドラマ、バラエティといった番組の形式は、いずれも戦前のラジオに由来している。1987年には、この時代の無邪気な雰囲気を巧みに再現したウディ・アレン監督・脚本の映画『ラジオ・デイズ』が公開された。
ラスコー洞窟壁画
Lascaux Cave Painting
フランス西部のドルドーニュ県、ヴェゼール渓谷モンティヤック村近辺に所在するラスコー洞窟に描かれた壁画。スペインのアルタミラ洞窟の壁画と並び称される洞窟壁画である。1940年9月、洞窟付近で遊んでいた地元の子どもたちによって発見された。主洞、支洞、奥洞からなる洞窟には馬、野牛、羊、山羊、鹿などの動物や人間の手形などが多数描かれていた。これらの絵は獣脂、樹皮、炭、血などを原料とした顔料を動物の毛皮でつくった筆や手を使って描いたものと推測されるほか、動物のなかには遠近法の図式によって描かれているものもあり、描いた人々の高い文化水準が察せられる。発見当初は後期旧石器時代前半のものと思われていたが、その後の調査研究によって、現在では後期旧石器時代後半、約1万5,000~1万6,000年前に描かれたものというのが定説となっている。「ヒトはなぜ絵を描くのか」という関心を広く呼んだこの洞窟壁画は人気を呼び、多くの観光客を集めたが、二酸化炭素による壁画の損傷がひどかったため、1963年には一般公開が禁止されて修復が進められ、現在は1日数名程度の研究目的での鑑賞のみ認められている。1979年には、この壁画が描かれたラスコー洞窟を含むヴェゼール渓谷一帯の洞窟郡が世界文化遺産に指定された。
ラズロ=モホリ・ナジ
László Moholy-Nagy (1895-1946)
両大戦間に活躍した写真家、美術教育家。本名ヴァイス・ラズロー。モホイ=ナギ、モホリ=ナギなど複数の呼称があり、1つに定着するにいたっていない。ハンガリー生まれ。当初は法律を学ぶが、戦傷の療養中に美術に関心を抱き、亡命先のドイツでリシツキーやグロピウスの知遇を得る。1923-1928年の間、グロピウスの招聘に応じてバウハウスにて教鞭を執る。バウハウス退職後はオランダ、イギリス滞在を経てアメリカに渡り、1937年にはシカゴでニュー・バウハウス(現在のイリノイ工科大学))を設立した。『動く構成組織』(1921)や『光=空間調節器』(1930)などの重要な作品を残し、ドイツ新興写真(ノイエ・フォト)の中心人物としても活躍する一方で、造形教育でも本領を発揮し、バウハウスの芸術概念の工業や建築への応用の可能性を追究したほか、「写真は光の芸術である」との確信のもと写真やタイポグラフィを講じ、フォトグラムやフォトモンタージュの理論と実践を後進に伝えた。その教育理念と数多くの映像実験の成果は、バウハウス叢書の一冊として刊行された『絵画・写真・映画』にまとめられて大きな影響を与えたが、志半ばで没した。




