シベリア鉄道

[ 1900年代, ]

ウラジオストク駅

ロシアのシベリア南部を東西方向に横断し、ロシア西部と極東地方を結ぶユーラシア大陸横断鉄道。当初開通したのはウラル山脈東麓のチェリャビンスクから日本海に臨むウラジオストクに至る7416キロメートルの区間だったが、現在ではモスクワとウラジオストク間の約9300キロメートルの区間が開通している。1891年に帝政ロシア政府はシベリア地方の開発と軍事力の強化を目的として大陸横断鉄道の建設を決定し、多くの囚人を動員した過酷な建設工事の結果、1895年より各区間が断続的に開通し、日露戦争の最中の1904年9月に全線が開通、極東の戦場に数十万の将兵と大量の武器弾薬を送り届ける役割を果たした。ロシア革命後も、シベリア開発のために不可欠なインフラであることにかわりはなく、またシベリア鉄道をモデルとしたポスターなども多数制作された。21世紀の現在、シベリア鉄道は全線電化されており、中国や北朝鮮に延びる支線も開通している。モスクワ-ウラジオストク間は、ハバロフスク、イルクーツク、ノボシビルクスなどを経由する路線によって、6泊7日で結ばれている。

シュルレアリスム

[ 1920年代, ]

シュルレアリスム 『シュルレアリスムとは何か』
巌谷 国士 著
(ちくま学芸文庫)

超現実主義。両大戦間のヨーロッパで広く展開された総合芸術運動。この語の命名者はギヨーム・アポリネールだが、運動としてのシュルレアリスムは1924年、医師にして詩人であったアンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム第一宣言』を発刊したことによって始まる。同書において、ブルトンはシュルレアリスムを「理性によるいっさいの制約、美学上、道徳上のいっさいの先入見を離れた、思考の書き取り」、また「これまで閑却されてきたある種の連想方式の優れた現実性への信頼、および思考の非打算的活動への信頼に根拠を置く」と定義、当初はおもに文学の領域で展開されたが、やがて美術の分野でも自動記述やコラージュ、デペイズマンなどの技法を駆使した作品が制作されるようになった。その傾向は、ジョアン・ミロやマックス・エルンストのように記号的なイメージを多用したものと、サルヴァドール・ダリやルネ・マグリットのように夢の中の風景を具象的に描いたものとに大別される。理論的には精神分析の強い影響下にあり、また多くの作家はダダの流れを汲んでいた。ナチスによる弾圧も受けたが、第二次世界大戦後も継続されるなど寿命は比較的長かった。

シリコンバレー

[ 1970年代, ]

『シリコンバレー』 シリコンバレーにあるグーグル本社

米国カリフォルニア州北部、マウンテンビュー、サンタクララ、サンノゼ周辺の細長い地域の通称。多くの集積回路(IC)関連企業がこの周辺地域に密集していることから、集積回路の主原料であるシリコンにちなんでこの名で呼ばれるようになった。この地と電子機器のかかわりは古く、20世紀初頭に発明家リー・ド・フォレストがパロアルトで三極真空管を発明したことに始まる。その後、1939年には、同地区きっての名門スタンフォード大学出身のウィリアム・ヒューレットとデヴィッド・パッカードが、恩師の教えに従って同地にてガレージ・カンパニーを創業。また、1955年には翌年にノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ショックレーが研究所を開設、そこからフェアチャイルド・セミコンダクターやインテルが分岐していくなど、多くの企業が居を構えるようになり、1970年代には最先端テクノロジーの研究拠点としてのイメージが定着した。現在はアドビシステム、アップル、eBAY、グーグル、オラクル、ヤフーなどの多くの大手IT企業が拠点を置く。そのいっぽうで、マイクロソフトなどが拠点を置くワシントン州シアトル周辺は、シリコン・フォレストと呼ばれることもある。

シーグラフ

[ 1970年代, ]

ラジオシティサンプル ラジオシティ法を使用したCG
資料提供:
東京大学 西田研究室

アメリカコンピュータ学会におけるコンピュータグラフィックス(CG)研究のための分科会。正式名称はSpecial Interest Group on Computer GRAPHics。1967年に設立され、1974年にデンバーで第1回総会が開催された。1970年代、アメリカのCG技術は飛躍的な進歩を遂げ、3次元ワイヤー・フレーム・モデルの陰線除去やレイ・トレーシング法、テクスチャー・マッピング法などの新しい技術が開発されていた。シーグラフ総会はその流れを受けて開催されたもので、以後毎年の総会には世界各国から技術者や研究者が参加し、研究成果をまとめた論文や新製品の発表、最新のCG作品の上映会などが行なわれている。フラクタル理論、パーティクル法、CAD、VRなど、シーグラフで発表された研究成果は、その後多くのアーティストやクリエイターの創作にもいかされている。なおシーグラフが創設したクーンズ賞はCG界ではもっとも栄誉ある賞とされており、2005年には、間接照明の効果測定法であるラジオシティ法の考案者の1人である西田友是がアジアではじめて同賞を受賞した。

ジャズ

[ 1910年代, ]

ジャズ 『ジャズの歴史-絵本で読む音楽の歴史』
ジュゼッペ・ヴィーニャ 著
(ヤマハミュージックメディア)

19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部で発達した音楽の1ジャンル。使用する楽器や基本的な演奏法は西洋のクラシック音楽に準拠しているが、そのリズム感覚にはアフリカの民俗音楽の影響が多大であり、4分の4拍子の第2拍と第4拍にアクセントを置くオフ・ビートのリズム、ブルーノートの音階、インプロビゼーション、演奏者の個性に大きく左右されるサウンドとフレージングなどに強い独自性が認められる。ニューオリンズの黒人ブラスバンドに由来し、下品な隠語を意味するjassが語源ともいわれるが、詳細は不明。1917年、ニューオリンズ出身のオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドが初めて2枚の商業用レコードを発売したのを機に急速に広まり、第一次世界大戦の終戦から世界恐慌が始まるまでの約10年間は「ジャズ・エイジ」とも呼ばれる人気を博した。その後もブルースやラグタイムなどの要素を取り込んださまざまなバリエーションが開発され、黒人文化やクレオール文化に由来するポピュラー音楽として、世界各地で親しまれている。

ジャン・ウジェーヌ・アジェ

[ 1900年代, ]

hitoyotake.jpg

『ウジェーヌ・アジェ写真集』
ウジェーヌ・アジェ(写真)
原信田 実(翻訳)岩波書店

フランスの写真家。ボルドー近くの町リブルヌで、馬車の修理工の家に生まれる。幼くして親と死別し、祖父母に育てられる。水夫、画家、旅回りの役者など複数の職業を転々とした後、30歳を過ぎた頃より写真家としてのキャリアを開始する。当初は絵画のモチーフとなる街頭風景を撮影して画家に販売する仕事をしていたが、1898年にパリ市歴史図書館と写真の売買契約を結び、その後約30年を通じて8,000枚以上の写真を残した。パリの街並みや郊外、地方などを舞台としたその写真は、特に目新しい技法は用いられていないが、庶民の視線で当時の人々の生活を生き生きと伝える一方、時代とともに移り変わる景観を正確に記録しており、その傑出したドキュメント性によって近代写真の先駆に数えられる。商業写真家に徹し、弟子も助手もおらず、サロンでの作品発表を行わなかったため、生前はほとんど無名だったが、晩年になってマン・レイに見出され、彼の弟子にあたる女性写真家ベレニス・アボットの手を通じてその作品が徐々に知られるようになる。初の写真集『アジェ、パリの写真家』が刊行されたのは死後の1930年、ニューヨーク近代美術館がそのコレクションを購入したのは1968年のことであった。

人工知能

[ 2000年代, ]

人間と同程度の知能を持ったコンピュータ、もしくはそれを実現しようとする技術体系の総称。計算や情報処理ばかりでなく、人間の自然言語を理解し、論理的な推論能力を獲得している必要がある。1956年にダートマス会議においてジョン・マッカーシーが命名、1959年にはMIT(マサチューセッツ工科大学)に人工知能研究所が設立され、本格的な研究がスタートした。人工知能の実現可能性は、コンピュータが開発されて以来常に議論されてきたテーマだが、現在では大量の既知情報の統計分析によってみずからの行動原理を導きだすエキスパート・システムと、後天的な学習の積み重ねによって認識能力を高めていく計算知能の、ふたつの方向性に大別して考えることができる。前者の代表格にあたるマーヴィン・ミンスキーの『フレーム理論』などがとくに著名。高度な翻訳機やチェスを指すことのできるプログラミング機能が開発されたが、いまだに「意識」を有する人工知能の開発にはいたっていない。『2001年宇宙の旅』や『AI』など多くのSF作品の題材となったほか、現在では、テクノロジーのみならず哲学、倫理学、心理学等多方面からの議論が待たれている。

十二音音楽

[ 1920年代, , ]

平均律音階中の十二音を同等に扱う音楽の総称。調性音楽では当然の主音を中心とするヒエラルキーを崩壊させたことから、ドデカフォニーとも呼ばれる。この音楽はアントン・ウェーベルンの『チェロとピアノのための3つの小品』やヨゼフ・マティアス・ハウアーの『トローペ』などを原型とするが、一般にはアーノルト・シェーンベルクが1921年に確立したものとされる。シェーンベルクは、まず12の半音が一度ずつ現れるひとつの音列の原形をつくり、ついでそれを基にして原形を後ろから辿った逆行形、音程の上芸を反対にした反行形、反行形と逆行形を組み合わせた反行逆行形の4つの形、さらにそれを十二音に配置した総計48の音列をつくり出した。そのうちいくつかの音列を用いて音楽を構成する対位法的な十二音技法を考案し、『5つのピアノ曲』(1923年)『セレナード』(1923年)『ピアノ組曲』(1924年)などを作曲した。シェーンベルクの弟子にあたるウェーベルンは十二音理論をさらに発展させてミュージック・セリエルの基礎をつくり、また戦後にはストラヴィンスキーもこの理論に基づいて作曲を行なった。現代音楽の作曲で用いられることはあまりない技法だが、理論的な影響力はきわめて大きい。

周期表

[ 1920年代, , ]

元素を原子番号に従って配列した表。配列の規則のことを周期律ということからこう呼ばれる。周期律という考え方は古くから知られていたが、今日用いられている周期表は、1869年にロシアの物理学者ドミトリ・メンデレーエフによってその基礎がつくられたものである。周期表の作成にあたって、メンデレーエフは天然の諸元素を原子量の順に配列することによって、さまざまな関係や科学的挙動が現れることを発見した。今世紀になって、この周期表の研究をさらに推し進めたのが、デンマークの理論物理学者ニールス・ボーアである。量子力学の研究でアインシュタインと並び称されるボーアは、1913年には電子が原子核の周りを回っているボーア・モデルと呼ばれる原始モデルを考案、1921年にはさらにそれを発展させるかたちで、より厳密な周期律のモデルを発表し、翌1922年にはこの研究を含めた原子物理学への貢献によってノーベル物理学賞を受賞した。なおボーアは1927年には相補性を提唱するなど、その後も画期的な研究によって科学やテクノロジーの発展に大きく寄与したが、その原子理論がアメリカの原爆開発に利用されるなどの一面もあった。

実験工房

[ 1950年代, ]

1950_kitadai.jpg

『モビール・オブジェ(回転する面による構成)』北代省三
撮影:北代 省三
東京国立近代美術館所蔵
提供先:川崎岡本太郎美術館

多くの若手作家からなる前衛芸術グループ。1951年、日本橋髙島屋にて開催されたピカソ展の前夜祭をきっかけに結成された。命名者は詩人・美術批評家の瀧口修造で、彼の周囲に集ったメンバーは園田高弘、福島秀子、武満徹、湯浅譲二、鈴木博義、佐藤慶次郎、北代省三、秋山邦晴、山口勝弘、駒井哲郎、福島和夫、今井直次など美術、音楽、文学の各ジャンルに跨っていた。1952年~1955年にかけて毎年実施された主催公演では、アルノルト・シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』、オリヴィエ・メシアンの『前奏曲集』、『世の終わりのための四重奏曲』、『アーメンの幻影』の日本初演など音楽が中心を占めていたが、その活動は絶えず美術との協働がはかられ、そのなかから北代や山口の造形作品が生まれてきた。創作バレエ『生きる悦び』を上演し、またテープレコーダーやスライド写真を導入するなど、総合芸術やメディア芸術という観点からも、戦後美術史上いち早く重要な足跡を残している。グループは1957年に解散するが、ここを拠点に最初期の作品発表を行っていた武満徹は、ちょうどこの年に作曲した『弦楽のためのレクイエム』がストラヴィンスキーに絶賛され、その後の世界的評価の礎石を築いた。

ページ上部へ戻る

Pick Up Archive 今こそ読みたい。これまでの記事をご紹介

中村 勇吾

巨匠インタビュー
中村 勇吾

ボツになるほど、引き出しが増えていくということですから...

トーチカ

作家インタビュー
トーチカ

作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは...

竹宮 惠子

巨匠インタビュー
竹宮 惠子

スランプでも描くことをやめなかったことが、一番私を救ったと思う...

渋谷 慶一郎

コラム:データミュージアムは可能か? 渋谷 慶一郎

電子音楽とメディアアートの関係について考えてみると、その2つの...

押井 守

巨匠インタビュー
押井 守

実写であれ、アニメであれ、僕が一貫してやってきたことは...