Vol.5 川本 喜八郎

  • インタビュー
  • キーワード
  • 作品リスト

キーワード

Keyword1 東宝撮影所時代

川本氏が東宝撮影所のスタッフとして参加した最初の映画は、五所平之助監督の『今ひとたびの』(1947)であった。また平川透徹氏にもつき、衣笠貞之助監督の『女優』(1947)を担当した。
「右も左もわからない状態で仕事をはじめましたね。最初はいじめられたりもしましたが、すぐにみんな仲間になって、とても暮らしやすいところでした。『女優』という映画は、有楽座という劇場のなかだけで芝居が進行していく作品なので、ほとんどセットだけで撮られていました。たとえば、外に雨が降っているというのを劇場内だけで描写しなければいけない場合、照明を使って表現するのですが、これはとても勉強になりました」

Keyword2 持永 只仁(もちなが ただひと)

川本氏が人形アニメーションの技法の基本を学んだ、日本人形アニメーションの創始者。
戦前に瀬尾光世の下でセルアニメを担当。終戦直前に満州へ渡り、満州映画協会に入社。敗戦後も中国に残り、東北電影製片廠で映画技術者を養成。さらに上海電影製片廠美術片組の創立に参画し、人形アニメ技術を独自開発。1953年に帰国し、「人形芸術プロダクション」に参加。1955年に独立して人形映画制作所を設立。1960年にはMOMプロダクションを設立して、米ランキン=バス・プロダクションの下請けを行う。この時期の作品は国内では評価が低いが、米国では分厚いハードカバーの研究書(Rudolph The Red-Nosed Reindeer: The Making Of The Rankin/Bass Holiday Classic)が発売されているほどの人気。

Keyword3 イジィ・トルンカ(Jiri Trnka)

人形作家のヨゼフ・スクーパに師事し人形劇を学び、絵本作家としても活動した。そして1945年に設立された、プラハの国立アニメスタジオ「トリック・ブラザーズ」を任される。当初はセルアニメを手がけるが、『チェコの四季』(1947)からは人形アニメーションをつくりはじめ、長編5本、短編21本の作品を残した。イジー・トルンカ、トゥルンカなどのカナ表記もある。写真は川本氏所有の妖精パックの人形(トルンカ作『真夏の夜の夢』(1959)に使用されたもの)。

Keyword4 新しいテクノロジー

川本氏は伝統文化の大切さを強調されるが、決して新テクノロジーを嫌っているわけではない。たとえば『火宅』のクライマックスシーンでは、東洋現像所(現IMAGICA)に導入されたばかりのスキャニメイトを使用している。スキャニメイトとは、米コンピュータ・イメージ社が開発したアナログCGマシンで、オーディオ・シンセサイザーのようなしくみで映像を生成するもの。
「当時はスキャニメイトが頭のなかにあって、“あたり全体が火のように燃えている”という効果を表現するためやってみたかったんです。でもあれは、ほんのちょっといじるだけで、ガラッと絵が変わっちゃう。『アッ、そこ!』と言ったときにはもう遅い。本当はもっと赤くしたかったんですが、時間切れで終わっちゃった(笑)。僕は新しいテクノロジーを使うことに抵抗はなくて、CGも自分が納得できるようなものならやってみたいですね」

Keyword5 『パペットアニメーショウ』

川本氏は、1970年代には非常に早いペースで作品をつくっている。この原動力となったのは、岡本忠成氏とのコラボレーション・イベント『パペットアニメーショウ』であった。岡本氏は1971年にワンマンショーを行ったが、毎年ひとりだけでは無理だということで、1972年から5回だけの約束ではじまった(実際は6回行なわれている)。毎回、ライブの人形劇と新作フィルムの上映がセットになっており、題名の語源はアニメーションとパペットショウのくみあわせ。1999年にはライブパートの再演が日本橋三越劇場で行なわれている。
「僕は勤勉じゃありませんから、『パペットアニメーショウ』がなければあんなに作品をつくってませんでしたね。あれはお金が儲かるということはなかったけど、とてもいい運動になったと思います(笑)。ホールの予約から何から、全部自分たちでやりましたからね。東京は5日間ほどやって黒字になるんですが、地方公演となると『こんな宿は嫌だ』とか、『もっとうまいものを食わせろ』とか、みんながワガママを言いはじめるんで、結局赤字になってしまうんです(笑)」

Keyword6 ディズニー

1950〜60年代には、「ディズニー長編の自然主義的表現は時代遅れで、ノーマン・マクラレンの抽象アニメーションや、UPAのリミテッド・アニメーションの方が進歩的だ」という論調が流行した。これに対し川本氏はこう述べている。 「当時はそういう風潮がありましたね。でも飯澤先生はディズニーをちゃんと評価してました。またトルンカも『ヨーロッパではディズニーの評判が悪いけど、人を笑わせるというのは大変なことですよ』と、ディズニーを尊敬しているようでした。でもトルンカは、決してアメリカのマネはせず、新しいチェコの様式を築こうとしました。チェコは外国に占領されていた時代が長いので、余計に独立心や自分たちのアイデンティティを守っていきたいという感情が強いのかもしれませんね」

  川本喜八郎作品リスト >>

ページ上部へ戻る

Pick Up Archive 今こそ読みたい。これまでの記事をご紹介

中村 勇吾

巨匠インタビュー
中村 勇吾

ボツになるほど、引き出しが増えていくということですから...

トーチカ

作家インタビュー
トーチカ

作品をつくろうと思ってつくったものじゃないんです。始まりは...

竹宮 惠子

巨匠インタビュー
竹宮 惠子

スランプでも描くことをやめなかったことが、一番私を救ったと思う...

渋谷 慶一郎

コラム:データミュージアムは可能か? 渋谷 慶一郎

電子音楽とメディアアートの関係について考えてみると、その2つの...

押井 守

巨匠インタビュー
押井 守

実写であれ、アニメであれ、僕が一貫してやってきたことは...