
田中氏のオフィスは、ロボットやインベーダーゲーム、海外のキャラクターなど、数々のオモチャであふれている。オフィス自体がすでに田中氏の作品のような空間だ。「ガラクタがいっぱいありますが、自分が子どもの頃に流行ったものばかりです。これは仕事の資料でもあるのですが、こうしたものを集めるのは趣味ですね(笑)。今はあんまりやらないですが、スーパーファミコンの時代まではゲームにも熱中していました。自分の趣味は、ほとんどが仕事の延長線上にあります。全然関係ないのは、釣りかサッカー観戦くらい」 |

さまざまなメディアで仕事をしているので、そのジャンルによって仕事の関わり方が変化する、と言う田中氏。TV番組と広告では、アート・ディレクターの立場はまったく違う。「TVの場合、プロデューサーや作家といった方々がコンセプトや骨組みをつくりあげて、アート・ディレクターは表面的な飾りの部分を手がける感じですが、広告になるとアート・ディレクターがキーとなるヴィジュアルやイメージを考えて、そこからスタッフが発展させていくといった具合に最初から関わっていきます。どちらの立場も楽しいですよ」 |

「Amiga(アミーガ)」は、アメリカのコンピュータ会社であるコモドール社が1985年から発売したパーソナルコンピュータ。Amigaの出現は、パソコン1台でCGが制作できる環境の幕開けだった。本文中にあるように、『ウゴウゴルーガ』では、Amigaで作成されたCGが使われていた。「これまで何千万円もしていたシステムが、いきなり10分の1くらいの価格で手に入るようになったんですよ。またAmigaは、アニメーションのソフトウェアも数多く出ていました。個人でもCG制作のシステムが購入できる時代になったというのは、自分にとって大きな転機でした」 |

1992年〜95年にかけてフジテレビで放映された伝説の子ども向け番組。「制作している側も、こんなものをオンエアしてもいいのかなという感覚でつくっていました。早朝の番組だったせいか、特に大きな制約はなくて、TV番組の基本的なルールから逸脱しなければ何をしてもいい、という感じでしたね。ただし、制作スケジュールは本当に無茶でした。自分は他にまったく仕事がなかったので、ずっとつきあっていましたが、ほとんど1週間まったく休みなしで、毎日徹夜といった状態が2〜3年続きました」 |

「CGやデジタルを使ってデザインを表現したいと思ったのも、中高校生の頃にYMOやKraftwerk、HIP-HOPカルチャーといった音楽の分野で、デジタルツールを使用して音を制作する風潮があったから。それまでは、コンピュータというのは難しい理系の学者が使うイメージがありましたが、払拭されました。デジタルな表現で芸術やカルチャーが生まれるというインパクトを受けたのは、音楽が最初でしたね。映像も、ヨーロッパのプロモーションビデオなどから影響を受けることが多いです」 |

「アートとエンターテインメントの境界は曖昧になってきていると思うのですが、判断基準は、制作した本人がどう考えているのか、どちらの方向性で制作しているのかという点だけだと思います。作者が自分でアートだと言うならアートだし、エンターテインメントと言うならエンターテインメントでしょう。別の人が判断することではないという気がします」 |