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葛西 薫 (かさい かおる)
1949年札幌生まれ。(株)サン・アド。サントリーウーロン茶、ユナイテッドアローズなどの長期にわたる広告制作のほか、近作に、SUNTORY新CIのディレクション、TORAYA CAFÉの一連のグラフィックワーク、鹿島建設TORANOMON TOWERSのサイン計画、映画「花よりもなほ」のタイトルワークと宣伝制作、森村泰昌写真集「卓上のバルコネグロ」(青幻舎)の装丁などがある。ADCグランプリ、毎日デザイン賞、講談社出版文化賞ブックデザイン賞など受賞。
聞き覚えのあるメロディーが中国語で流れてくる。画面に映し出されるのは、清々しく心地いい、そしてどこか懐かしい異国の風景。そんなサントリーウーロン茶のCMに代表されるような、静かでゆるやかな空気がただよう広告をせわしない現代社会に送り出してきた葛西薫氏。広告だけでなく、CI、パッケージ、装丁、映画や演劇のグラフィックなど、多彩な方面で活躍している葛西氏に、社会性が要求されるCMの目指すべき方向や、実際の制作現場について伺った。
――いつ頃からデザインや広告に関わる仕事を目指していたのでしょうか。
もともと、図画工作、特に手を動かして立体物をつくるのが大好きで、そういう仕事につきたいなと思っていたのですが、高校生の時に「レタリング」という文字のデザインをする職業があることを知って、デザイナーを目指そうと思うようになりました。美術系の大学には行けなかったので、高校を卒業してすぐに東京の印刷所に就職しました。広告に目を向けるようになったのは、たまたま印刷所に出入りしていたデザイナーから、朝日広告賞に応募してみないかと誘われたのがきっかけです。朝日広告賞は、自分にとって一種の登竜門みたいなもので、幸い2年目にして準朝日広告賞を受賞することができ、大谷デザイン研究所を経て、今のサン・アドに入社しました。新聞広告やポスターのデザインから、そのうちにテレビやラジオのCMのディレクションをするようになっていくのですが、もともと文字が大好きだったということから、いつのまにか言葉に関わることが好きになって、言葉にかかわることで、広告やCMへと仕事がだんだん広がっていたんですね。
――広告だけでなく、装丁の仕事などもされていますが、どちらがより楽しいというのはありますか。また、CMの仕事との大きな違いはどのような点にありますか。
両方楽しいですね。装丁の楽しさは、共同作業ではないので個人に戻れるところ。CMよりはわがままをさせてもらったり、自分で絵を描いたりすることもあります。小説家の本の装丁だったとしたら、読者はもちろん、まずその小説家に喜んでもらいたいと思っています。
CMの楽しさは共同作業の楽しさで、しかも思いもよらない場所に行ったり、思いもよらない人に会ったりすることができること。苦しさもありますが、広告のおかげで楽しませてもらっているところもありますね。どちらかひとつに仕事をしぼれないのはそういう理由かもしれないですね。
本というものは、好きな人がお金を出して買ってくれるものなので、個性を出すことがあるとしたら、装丁の仕事の場合は多少やってもいいと思うのです。拒否する権利が相手にありますから。ただCMの場合は、チャンネルは変えられますが、一方的に見たくない人に向かっても流れてくるわけですよね。しかも不特定多数を相手にするのですから、社会性をもたないとだめだと思います。くだらない冗談を連発するこれ見よがしなCMを制作したとしても、狙っている層にはあっているかもしれないけど、商品と関係ない人も見ているかもしれない。まじめに言えば、子どもに変なものを見せられないと思うわけです。だからある程度のセーブをする必要があると思いますね。
――全体的に心地よい空気感が流れているようなCMを手がけていらっしゃる気がするのですが、制作の際に心がけていることはあるのでしょうか。
自分には、これが好きというものはあまりないけれども、嫌いなものはたくさんあります。たとえば、ビールの広告は嫌いじゃないけれど、多くのCMでゴクゴクッと飲んだあとに「プハァーッ!」って顔をしますね。あんなことは大嫌いですね。絶対に僕にはできない。なぜなら、日常生活ではあまりやらないことだからです。しみじみとうまいなあ、と思うことのほうが多い。あれは手法が先にあって、スターたちが無理矢理させられているというのが見えてくる。こうした「させられている風景」を見るのが耐えられないです。
だからと言って、大げさなのが嫌だとか、うるさいのが嫌というのではなくて、不自然だったら不自然でも構わないんです。ミュージカル仕立てだとか、踊りながら飲んでいるとか、ちゃんと不自然だということを演出すればいい。そういうストーリーであるなら許せるのですが、「させられているという感じ」だけは嫌ですね。
もともとCM自体が好きではないので、自分がつくるときはせめて見てくれるもの、見ないより見てよかったと思われるようなCMをつくりたいですね。人の邪魔をしたくないし、見る側に立った時に迷惑になるものをつくりたくないので、その部分を何とかしようとしています。
――最近のCMの傾向をどのようにとらえていますか。
全体的にCMの世界は幼児化していると思います。うまく言えないけれども、若者にこびているものが多いのではないかという気はちょっとしています。子どもたちが見て、年取ったらあんな大人になりたいなと思えるようなCMが少ないですね。そういうCMのほうが、子どもにとっても嬉しいだろうと思いますけどね。僕自身が子どもの頃にそうだったんですね。たとえばウイスキーの広告を見て、今の自分は子どもだから関係ないけど、ああいう大人っぽい感じっていいなあ、と憧れたのですが、最近では大人向けのCMでも若者に受けるようにつくったりしていて、僕たち団塊の世代はどうすればいいのだろうという気がする。あんまり階段を下りないほうがいいですね。ふんぞりかえるという意味ではなくて、若者はこの階段をのぼっておいで、というような位置関係のほうがいいなあ。自分もできればそうありたいと思っています。最近は、年寄りっていいなと思わせるCMってないですねえ。
――そうした大人向けのCMが少ない理由はどこにあるのでしょう。
短絡的かもしれないですが、大きな原因はデジタル社会にある気がします。結論を早く出そうと急ぐ。それからハイヴィジョンに象徴されるように、今はまる見えの世界なんですね。
昔は文明が発達していなかったおかげで、表の部分と闇の部分があったんですよ。表の一角を見せることで闇を想像する。たとえば、「元気です」と書いてある手紙が来たとしますよね。でも文字に元気がなかったりすると、もしかしたらこいつは元気だと言っておきながら、人に心配させないように無理して書いているんじゃないだろうか、とその人のことを想像したりします。そういうのが、見えている部分と見えていない部分の関係だと思うんですよ。ところが今は、メールや携帯で即座に状況を伝えることができる。手紙よりもスピーディーだし、画質でいえばハイヴィジョンは毛穴まで見える。せっかちでなんでもまる見えで、本当はそこに見えないものがあるはずなのに、もう全部解決しているような気になっちゃう。1から10まで伝えれば、すべて伝わったと思い込んでしまう。類推するという感覚がスポイルされているような気がします。みんな忙しくなって、言った、言わないという話になる。デジタル化にもいいところはあるんだけど、みんな急いでますよねえ…。
また、経済が優先されて、人の感情が後からついてくるような感じがするんですね。頭で考えるのではなくて、感覚の人というか、身体で感じることが主体の人がもうちょっと前に出てきてもいいんじゃないかなと思います。そういう人たちも、経済を牛耳る人に押さえ込まれているような気がして残念だなあと思いますね。結局みんなマニュアル化しているわけですね。
今はあまり使わない言葉ですが、夕暮れ時の写真がすごくいいということで、ある人が、その時間を「マジックアワー」と呼ぼうと言い出した。「マジックアワーで撮れば人心は非常にロマンチックになります」。そんな名目を与えた瞬間に、じゃあ今度はマジックアワーで行こう、という単なるつまらない引き出しになるわけです。でもマジックアワーと一言で片付けても、ある人にとっては最良の時間かもしれないし、別の人にとっては最悪の時間かもしれない。一概に言えないわけです。そうやってカテゴリーを分けてカタカナ化して、決め込むことですべて記号化されていくのも、一種のデジタル化だと思います。
――デジタル化あるいはマニュアル化しているのはクライアント側も同じで、広告の現場もかなりシビアだと思うのですが、クライアントありきの仕事で大切に感じていることは何ですか。
今の世の中は、他の人にならえという傾向が強い。それは相対的な価値観でしかない。自分を見ないで、周りばっかり見ている。相手があることで自分があるのではなくて、自分はこうするんだという気概が少ない。クライアントも人によりますが、やはり売上に一喜一憂しますし、制作者側もそれに左右されます。僕は統計や数字は信じないですし、人間感情として自分はこう思うということのほうが普遍だと考えています。
クライアントに対して何かを伝える時は、経済的な言葉で説明するのではなくて、広告を受け取る側を想像してもらうと理解を得やすいですね。CMも人と人との付き合いとまったく同じコミュニケーションです。テレビを見ていてね、昨日までやっていたCMではAだと言っていたのが、今日はBだと言いだしたら、この企業は何かあったのではないかとか、二枚舌だなと疑いますよね。多少のことがあっても、不器用にやっている企業のほうが信頼できるけど、右に走れ、左に走れと方向を変える企業は信用できないわけです。ライバル社がこんなことを言ってきたからといって、こちら側のフレーズを変える必要はなくて、ほっとけばいい。なぜなら、見る側から言えば、動いたら動いただけ、だらしなくておぼつかない企業に見えてしまうからです。スタートした時には自信があったなら、それを押し切ったほうがむしろ誠実さが伝わる。
広告は、お金じゃなくて気持ちの占有率に換算したほうがいいと思いますね。いっとき売れたとしても、気持ちのシェアが落ちてしまっては意味がない。一過性じゃなくて一貫性が大事。現在は、一週間単位、一日単位で動きまわっていて、一過性の世の中ですが、何十年という単位で考えた時に、一貫性を感じるか感じないかが大切だと思います。多少右往左往するのはしょうがない。でも目指すべき1点が動かなければ、長いスパンで俯瞰したときに一直線に見える。企業はそういう感覚をもつべきですね。これを個人に当てはめるとよくわかる。考えていることが定まっている人がいちばん信用できるんですよ。視線が定まっていれば、自然とデザインも落ち着いてきます。
――プレゼンテーションはどのように行なっていますか。
広告は商品ありきで、それを買ってもらうという仕事ですから、自分の表現をするためにやるのではないというのが大前提にあります。まずオリエンテーションがあって、今回の方針やライバル社の製品に対する戦略といった条件が出されます。クライアントの要望を汲んで、そうした条件をもとに発想していくのが基本です。
烏龍茶のように長年かかわっている仕事の場合は、意識せずとも制作者側がある種の世界観を共有しているのですが、それを守りすぎてしまうとマンネリになるので、いつも去年と違うものをつくるということを目標にしています。常に新発売だという気持ちを忘れない。この道何十年という雰囲気は絶対に出さない。それぐらいでちょうどいいんです。
僕自身のプレゼンテーションは、非常に素朴で原始的ですね。手描きの絵と文章で意志を伝えるくらい。その良さは、とてもあいまいなプレゼンなので、相手がいろいろと想像できるところ。色のついてないへたくそな絵だと、このモデルは美人だろうなとか、きっと赤い服着ているだろうとか、僕もまだ決めてないことを相手がいろいろ想像することができる。
近頃は、合成ができるようになったから、いろんな雑誌から素材をかき集めて、すごいプレゼンをするわけです。そうするとそれが完成品に見えちゃうんですね。相手の想像力がスポイルされるわけです。逆に、完成品ができてから、思っていたのと違うという話になってしまう。プレゼンの段階では、多くを語らないほうがいいと思うんですよね。いつもおぼろげな闇を伝えているほうがいい。謎があるとね、人はそのことを考えるようになる。そのほうがクライアント自身も参加できて、自分のものになるわけですよ。最初からがっちり組み込まれていたら、これはあなたのものだから私には関係ないということになって、共有感がなくなる。本当は誰もがみな想像力があるのに、想像力を働かせることのできない示し方をしているだけなんですね。
――作品制作に関わる時、チームワークがうまくいく秘訣を教えてください。
無理をしないということですね。CMの場合は、クライアントにプレゼンテーションをしてから制作に入りますが、実際に撮影場所に行ってみたら、モデルの性質やその時の天候状態といった、その場の条件というものがあるんですよね。その場の状況に逆らって、東京でプレゼンテーションしたものを強引にやろうとすると、やっぱりおかしなものができる。もちろん、大きな部分は変えないですが、その場で出合ったことに対してなるべく逆らわないで、従っていくようにすればするほど、モデルもいい顔をするし、撮影も気分が乗ってくる。
つまり、僕らが感動することに対して素直になること、つくるという感覚ではなく、見せてもらう。起こったことを一緒に経験することが大切です。つくっているということを忘れたほうがいいですね。感じる、見る、聞くといった、日常的な感覚を大事にすれば、いいものを逃さない。どうしても自分たちが決め込んでしまった目で見ると、見逃してしまうものが多い。本当はいい表情しているのに、狙いの表情じゃないと思ってしまう。それはもったいない。やっぱり僕らがいいなと思えば、いい写真が撮れる。必ずしも毎回そういうふうにいくわけではないですが、経験上そういうものだと思いますし、そこを目指しています。
――CM制作においてインスピレーションはどこから得ているのでしょうか。
CMで若者を描くとしたら、自分が若い頃どうだったろうと想像します。参考になるのは自分の経験ですね。それもデザインにかかわる以前の記憶のほうが役に立っています。なまじデザインとか広告の仕事してからの経験というのは、役に立たないとまでは言いませんが、妙なものが作用している気がしますね。
学生にもよく言っているのは、今までの経験で十分デザインはできる、そのかわりハタチ過ぎたら技術を覚えなさいということ。経験はもうじゅうぶん豊富だからアイデアもたっぷりある。それをかたちにできないのは、技術がないから。自分の経験上はそう思います。それに世の中アイデアをほしがってないです。だって、いちいち凝ったことを見せられたら、疲れますからね。少なくとも僕はそうです。いいアイデアでしょうと言われたら見たくない。静かなものを提供されるほうが嬉しいですね。
――これから広告業界を目指す人に向けてメッセージをいただけますか。
社会性とうらはらですが、いい意味で個人的であっていいと思います。あまりバランスを考えないで、自分が好きなものってなんだろう、好きな人が好むのは何だろうと考えてみること。マスというのは、ひとりひとりの集合体ですよね。自分もひとりで相手もひとりなんだから、ひとりであるということをいつもイメージする。
たとえば、シェア70%と言われて喜んだりすることがあるけど、この場合、残りの30%の人を無視しているわけですよね。戦争と同じで、蟻の大群に何かを撃ち込んで70%獲得すればいいと思っている。でも本来は、70%の人も30%の人も同じ立場で、それぞれが同じ量の感情をもっている。その30%を忘れてほしくない。伝える側もひとりなんだから、個人の感情に立ち返るべきですね。きちんとしたイメージをもって挑めば、相手に伝わる仕事ができる。よく「これは個人的な意見ですが」と発言することがあるでしょう。個人的な意見で構わないですよ。責任のある発言は、個人の発言だと思いますから。僕はこう思うというのがいちばんいい発言。それは表現者であろうが、営業マンであろうが、みんな同じだと思います。
僕自身、「あの広告が大好きです」と誰かひとりからでも言ってもらえたら、大成功ですね。とても嬉しい。うわあやった!と思っちゃいますね。それがいちばんです。


