バスケットボール、そして剣の道。その描画は身体的でありながらも静かに、強く存在感を放っている。
いまや日本マンガ界の代表的な存在として注目される井上雄彦氏。そのストイックな作風を生み出す背景とマンガに対するスタンス、そして井上氏が考える未来とは。
※このインタビューは昨年行なった「日本のメディア芸術100選」に伴い収録したものです。
──井上さんの描くマンガでは、バスケットボールや剣術など、「身体」が重要な要素となっているように思います。それは特に意識されているんでしょうか?
結果的に選んだ題材が身体を使うものだったんですが、最初に「身体のことを描くぞ」ということで始めているわけではないんです。続けるうちにだんだんとそういうところへたどり着きつつありますね。
──実際描いていて、自分が体を動かしたくなることはありますか?たとえば今なら剣道をやりたくなるとか。
ありますね。実は剣道は前にやっていたんです。ただ、自分がやっていた剣道と武蔵がやっていた剣道とはちょっと違うので、武蔵を描いているからといって自分が剣道をまたやりたいというわけではないですね。
ただ子どもの頃にやっていたので、単純にまたやりたいなあという気持ちは常にありますが、描いているからやりたいというのとはちょっと違う気がします。
──動きを1コマ1コマ描いていくのに難しさを感じますか?
常に難しさを感じますね。どう見せるかというのも難しいですが、それ以前にどう動いているのかというのを私自身は知らないわけです。剣術、とくに武蔵のような達人の剣術では—今描いている現状の武蔵が達人かどうかはわかりませんが—身体をどのように使うのかを実際の体験として理解することはできないんです。
つまりどう見せるかというよりも、どうだったのかを知ることが難しいですね。
──それでは実際にコマを考えるとき、構図を考えるときにどうしていますか。身体の動きを1コマに落とし込む瞬間をどう決めるのですか?
難しい質問ですね…。まず、動きの刹那を切り取るなかで、伝えなければいけないことがあります。単純に言えば、「斬っているのかどうか」、「どのように斬っているのか」、「どこを斬ったのか」、「これで死んだのか」、などの情報をまず満たさなければいけないということが一つ。
もう一つはかっこよくなければいけないということ。スピード感や、怖さなど、そうしたいろんなものを伝えようとした結果、落ち着くべきところに落ち着いていると思います。

──井上さんの作品は、前半ではストーリーがあってそれに身体の動きがついてくるのが、後半になるにつれて、だんだんとストーリーが身体の動きについてくるように感じますが。
僕のなかではストーリーというのは二次的なもので、それほど重要視していません。人間がきちんと動いていれば、人間として描けていれば、そしてどんなことをやってもその人間の人生であればストーリーは生まれてきます。人それぞれ生きていれば、それぞれの人生がおもしろいはずだから、人間さえきちんと描けていれば、ストーリーづくりでそんなに悩むことはないです。特にマンガの場合、絵もありますから、重要ではないと僕は思っています。
──描くことで得られる快感ってありますか?
あるんでしょうねえ(笑)なければこんなに続かないですから。
──でも作品を描くときにすごくエネルギーを使うんじゃないですか?例えば、私は『スラムダンク』を読み終えたときに疲れたのですが。
疲れましたか(笑)よく言われますね。
──描いている井上さんはどうなのでしょうか。
連載は何年にも渡りますから確かに疲れますね。しかも短期間なら良いのですが、長い時間をかけてやらなければいけないので、変化しならがらとはいえ、そこにずっととどまっていないといけないっていうのが、キツイです。
──仕事で使われている道具に関してお伺いします。今は筆を使われていますが、そのきっかけは?
(『バガボンド』の)小次郎編になってすぐに筆を使いはじめたのですが、それまでの何年間かはペンで描いてきたんです。自分の絵は最初と比べれば成長している…、というより変化していると思うんですけど、ある「壁」を感じた時期があったんです。空気感だったりとか、その場面の匂いとか湿度とか風とか、そういうものを表現したいと思っているんですが、ペンで描いていると、これ以上はいけないんじゃないかって思う段階があったんですね。
それとともに人間の身体の使い方、例えば柔らかさというものを表現したかったんですが、ペンで描いている間って、柔らかくしようと思っても、ペンそのものが硬いものなんです。それにペンではすごく計算内というか、狙った所にペンの先が行くもので、行かなきゃならないということがあるのに対して、筆だともうちょっと曖昧ですね。
あとはペンは伝えたいことを言葉、つまり言語化して伝える感じだと思っているんですけど、筆はもうちょっと曖昧さを曖昧なままに伝えられる。そして、そう伝えたいという欲求で、いつのまにか筆に惹かれていました。それでやってみたところ、すごく難しかったんですね(笑)でも毎週やっているうちに、少しずつ自分のものになってきたような気がします。
──感覚としてもペンと筆は違いますか?
そうですね。違う筋肉を使う感覚です。ペンはある程度、筆圧がかかるんですけど、筆は筆圧をかけるとボチョッとなってしまうので、少し浮かした状態で滑らすように描いている感覚があります。使い方をあやまると変なところが痛くなったりしますね。

──筆を使いはじめてから、筆を「使いこなす」ようになったのでしょうか、それとも筆に「使われる」ようになったのか?
おもしろい質問ですね。どっちなんだろう。そんなに使いこなす、ねじふせているような感覚はないですね。ねじふせている印象があるのはやっぱりペンです。筆はやっぱり「筆の勝手」がちょっと生きているというか。抽象的ですが、そんな感覚がありますね。
──使っていくうちに筆というものがわかってきて、それに自然と関わっていく?
そうですね。筆のほうが、より偶然の要素が多いですし、それはそれで良しとできますね。
──筆を使うことから生まれる偶然の要素が実際のストーリーに関わってくることはありますか?
どうかなあ。たたずまいとかキャラクターのあり方というものには関わってきているかもしれないですね。ちょっとゆらゆらしているというか、筆で描いているほうが、「こうでなければならない」という感覚は薄くなる。そんな傾向があるような気がしますね。


1967年生まれ。1988 『楓パープル』にて手塚賞受賞。1989 「カメレオンジェイル」連載。1990〜1996 『スラムダンク』連載、スラムダンク単行本は全世界で1億部を越える部数を発行中。
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