少年時代の荒木氏がマンガを描き始めたきっかけは、二人の妹の存在が大きかったという。「一卵性双生児で仲が良いというか、不思議な連帯感があるんですが、ぼくの方はひとりぼっちになっているような気がして、家に帰っても疎外感があるんですよね。実際、家に帰りたくなくて、そういう時にマンガとか美術とか、絵を描くことは一人でできるから夢中になったんだよね」。
高校時代、進路に悩んでいた荒木氏を励ましたのは、美術の先生だった。「マンガ家になれ、という意味ではないんですよ。絵はデッサンだけじゃない。ピカソのような抽象絵画や現代絵画の発想がどこから来たのか、色と色を組み合わせるとどう見えるのか、といった工学的な見方を教えてもらいました。それは、同時にマンガの見方でもあるんですよ」。
荒木氏がデビューした当時の週刊少年ジャンプでは、読者アンケートを重視し、人気の低い作品は連載打ちきりとする制度がとられていた。その制度のなかで週刊連載独特の「短いページの中で起承転結の妙を見せる」というマンガ演出は進化し、少年マンガ史に残るかずかずの傑作が生みだされた。こうして週刊少年ジャンプは最高部数653万部の黄金時代を築きあげたのだった。
新人時代の思い出で印象深いのは、鳥山明氏との出会いだった。「パーティーではじめてお会いした時に「サインをお願いできますか?」と言ったんですよ。人が集まるパーティーですから、その時は忙しくてダメだったんですが、鳥山先生はずっと覚えていてくれて、後でサインをいただいたんですね。「ああ、優しい人だなあ」と思って、ぼくも後輩のマンガ家は邪険に扱わないようにしようと決めたんです」。
『変人偏屈列伝』という著作もある荒木氏の作品に登場するキャラクターは、独特の人生論を持ち、一癖も二癖もある人物が多い。「キャラクターを作り込むのは、実際に存在するような人物であって欲しいからなんです。血統にこだわるのも、思考の背景にある親から考えていくことで、より身近な存在であって欲しい、と思うからですね」。
肉体や武力によるバトルを描きながらも、頭脳戦を重視する荒木氏のスタイルは若い世代の作家に強い影響を与え、バトル路線の行き詰まりから一時低迷していた週刊少年ジャンプの新しい方向性となっているが、マンガ以外のジャンル、特に小説では、乙一氏、上遠野浩平氏、西尾維新氏など、新世代の娯楽ミステリ系作家の多くが荒木作品の影響下にあることを公言している。


1960年、宮城県仙台市に生まれる。高校卒業後、集英社「週刊少年ジャンプ」新人賞「手塚賞」に『武装ポーカー』が準入選。1981年1号に掲載され、デビューを果たす。









