Vol.5 諸星 大二郎

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26年に及ぶ大長編『西遊妖猿伝』、第12回文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞作品『栞と紙魚子』など自作品の映像化が話題の、マンガ家・諸星大二郎氏。その独特な世界観で多くのファンから、時を越え、メディアを越えて熱狂的な支持を集める諸星氏に、自身のマンガ家人生についてお話をうかがった。

[Interview1] 冒険小説に思いを馳せた少年

——諸星さんは、軽井沢生まれとのことですが。
記憶に残ってないから、たぶん1歳か2歳くらいまでしか、長野には住んでいなかったんだと思うんですよ。そのあとはずっと東京は足立区で。高校生くらいまでそこに住んでいましたね。父親が北千住あたりの小さな町工場をやっていたんです。母親は専業主婦でした。自然もぜんぜんないような環境で育ったんです。子どもの頃はあんまり外には出ないで、家にひきこもって冒険小説とかを読んだりしていました。昔は、移動図書というのがありましてね。そこで岩波少年文庫とか、いろいろと子ども向けの小説を借りては読んでいました。ギリシア神話とか『星の王子様』や『くまのプーさん』なんかは、けっこう読んだ記憶があります。まあ、公共の移動図書ですから、あんまり変なものはおいてなかったと思います。あと記憶に残っているのは、『ツバメ号とアマゾン号』と『ソロモンの洞窟』という冒険小説。これは、誰かにもらったんだったかなあ。

——意外とオーソドックスなものを読んで育っている感じでしょうか。マンガは読まれなかったんですか?
マンガ雑誌はほとんど読んでいませんでした。お小遣いもそんなにもらえなかったですし、なんと言ってもお金がなかったんですね。それでも手塚さんの『鉄腕アトム』は、縁日などで100円や200円で買って、よく読んでいました。ほかには、図書館とか、家においてあった本とか。わりとちゃんとしたものを読んできた気がします。マンガに関して言えば、ノートに落書きみたいなものは、子どもの頃から描いてきましたが、ちゃんとしたものは、高校生くらいのときが初めてかな。たぶん、他愛のないものだったんでしょうけど(笑)。あんまりよく記憶に残っていないのだけれども、SFマンガとか描いていたような気がします。SF小説は、少し読んでいましたが、マニアではなかったですね。アーサー・クラークとかが好きだったのかな。(アイザック)アシモフも読んだことないですし、有名なものを読んでいなかったりするんですよ。まあ、高校生のときに描いてみたマンガも、けっきょくあんまり続かなくて、いわゆるマンガをきちんと描き始めたのは勤めてからですね。それと、僕はほかのマンガ家さんの模写をしたこともないんです。すべて独学、というよりも見よう見まねという感じですね。

——マンガを描き始めたのは遅いんですね。しかし、そこからデビューするまでは早いですよね。
そうですね。まあ、何をもってデビューした、というかにもよりますけれども。マンガ雑誌に掲載されたということであれば、まだ仕事をしていた頃ですよね。高校を卒業した後、東京都電気研究所に勤めました。そこでしていたのは技術職ではなく事務。でも、仕事がつまらなかったんです。朝の遅刻も多かったですし(笑)。いわゆる普通のサラリーマンの経験がないんです。ですから、たとえば『課長 島耕作』みたいな、バリバリのサラリーマンのことを描こうと思っても、ちょっと難しいです。わりとゆったりと生きていた感じなんです。とにかくそのままずっと働いていきたくはなかった。それでまあ、(マンガ家を)ちょっとやってみようかな、という感じでしたね。つらつらとそっちの方向にいったというか。今で言えば脱サラなんでしょうけれども、決意というほどのことでもありませんでした。何となく追い込まれてきて、じゃあ、ここらへんで、みたいな感じでした。

[Interview2] 独立した矢先、「COM」の休刊

——雑誌「COM」が、ちょうどその前後(1967年)に創刊されましたよね。
マンガ家で特に好きといえば、手塚さんくらいでしたからね。子どもの頃から『鉄腕アトム』は好きでしたしね。「COM」に「ぐら・こん」というページがありまして、そこに掲載されている新人さんたちの描いたマンガには刺激があって、興味がわいていましたね。でも、実生活でほかのマンガ家さんとの交流は、ほとんどないかな。コンタロウさん、星野之宣さんくらいですかね。会っても、マンガの話はしないですね。 「COM」の話に戻すと、公務員の仕事を辞めて、マンガ家として生活をし始めて4年。1973年頃に「COM」が休刊しました。休刊するちょっと前くらいから、少し変になっていたから、そろそろ危ないぞとは思っていました。マンガがはじめて掲載されたのもこの雑誌ですし、そういう意味で少しは思い入れみたいなのもありますが、僕は「COM」で描いたことが、それほど多くはないんです。だから商業誌に狙いをしぼった方がよさそうだぞ、とデビュー当時から実は思っていました。

—その頃、『不安の立像』が「アクション」に掲載されていますが。
ちょうどこの頃は、いくつかの出版社にマンガを持ち込みに行ったりしていた時期ですね。そんななかで『生物都市』が少年ジャンプの手塚賞を受賞して、マンガ家として生活できそうだぞ、と。受賞もしたことだしと、ジャンプで『妖怪ハンター』の週刊連載を始めることになりました。ちょっと怪奇っぽいものとか、いろんなものをやってみたいという気持ちがありましたね。怪奇小説傑作集とか読んでいたような気がします。 ほかにも、秘境探検ものもやってみたいなと思って『マッドメン』を描いてみたり。

——『マッドメン』には、子どもの頃に読んでいた本の影響があったりしたんですか?
どうだろうなあ。あるのかなあ。それはちょっとわからないですけどね。ただ、昔読んでいた秘境探検もの、たとえば『ソロモンの洞窟』とかを、あとから読んでみると、けっこう偏見が強いなというか。いろいろと間違いの多い小説ではあったと思います。今、そういうものを書いたら、きっと違う表現になったりしたんじゃないかなあ、とか、実際の儀式や様式を資料をちょっと研究してみたり、そういうことは考えますね。

[Interview3] 26年にも及ぶライフワーク

——83年には、今も連載中の『西遊妖猿伝』が始まりますよね。
これは双葉社が、月刊「スーパーアクション」という雑誌を創刊するから何か描け、という感じで始まりました。はじめは読み切りマンガのつもりだったんですが、連載をやれ、と言われたので、ちょうど前から考えていた西遊記をネタにやってみようか、と。この頃は、手塚さんの西遊記があったりするくらいで、今ほど西遊記ネタが多かったわけではありませんでした。もともと、猿が主人公だったり、荒唐無稽な原作。これなら自分なりの味付けができるんじゃないかなと思ってたんです。まあ、マンガになりやすそうな冒険活劇ですからね。それで、本屋に行って本をあさったり、ちょっとリサーチしました。ちなみに、中国にはいまだに一度も行ったことがないんですよ(笑)。そんな風に始まったわけですが、気がつけば、もう26年ですね。当時はこんなに長くなるとは思っていませんでした。長くても単行本10巻くらいがいいんじゃないかと考えていたんですけどね。去年くらいに「モーニング」の編集長と会ったとき、『西遊妖猿伝』を再開するのはいかがか、と言われまして、西域編を始めました。アシスタントがいないので、隔週で描いているだけですけれども。

——マンガにトーンが少ないのはすべてご自身で描かれているからなのですか?
トーンは使わないことはないんですが、まあ、最近の若い人にくらべると、少ないかもしれませんね。連載以前からネームは描きためているので、あとは描くだけなんです。テレビ観ながら描いたりしています。本当に締め切り間際に誰かに手伝ってもらうことはありますが、固定のアシスタントはいませんね。

[Interview4] 外には出ず、資料から想像を広げる

——旅行にはよく行かれたりするんですか?
あんまり行きませんね。下調べするために行ってみようかなとか、ちょっと考えてはみるんですが、いざとなるとやっぱり面倒くさくなっちゃうんですよ。『西遊妖猿伝』のときも、中国かどこか行ってみようかなとは思ったんですが、けっきょく中野美代子さんの『孫悟空の誕生』を読みました。ネットも使わないですしね。国内旅行は『海神記』のときに、九州に行ってみました。ほかには、熊野も行きましたね。霊感とか、まったくないですけれども。屋久島とかも行ってはみたいけれども……いざとなるとね(笑)

——自作が映画やドラマになったり、『ヤマトタケル伝説』というファミコンのゲームになったりしていますよね。深く関わったメディアはありましたか?
映画は自分で撮りたいとはまったく思わないので、自作が映画化されたりしても、たまーに顔を出すくらいで、ずっと現場にまかせてしまいますね。極端な話、原作と全然違うものになっていても気にならないです。『ヤマトタケル伝説』も、製作過程にかかわっているわけでもないですし、できあがったものが送られてきたのでやってみたんですけど。最初のステージがクリアできなかったので、それ以降の部分は見れていないです。

——そうですか(笑)。マンガ以外のほかのメディアで、自分でやってみたいなと思うものとかありますか?
映画は難しそうですよね。まあ、小説は書いていますけれども、それもなりゆきでというか。マンガと違う描き方ができるので、そこはおもしろいなとは思いますけど。あとは、特にないですね。自分がやりそうなものはないかな。そういう意味では、やっぱりマンガは長いですね。

——コンスタントに毎年、1、2冊ほど世の中に出ていますものね。しかも、80年代に書かれたものと2000年代のものが同居して出版されたりしていますよね。
そんなに出ていますか。でも、そうかもしれませんね。なんだかんだで長くかかっているものが多いからね。『バイオの黙示録』とかも長い。ほかのマンガ家さんでは、そういう人はあまりいないかもしれませんね。あっちこっちの雑誌で描いているから、なかなか一冊にまとまらないんです。あっちでちょろちょろ、こっちでちょろちょろと(笑)。ようやくまとめることができて、10年たってやっとこさ本になりました、みたいな感じですから。

——気が長い話ですね(笑)。
連載が中断したときは、またいずれどこかで描けたらいいなと思っていうくらいで。そういうことで焦ったことはありません。いつかどこかで、くらいな気持ちで下書きも書きためていたりしますから。細くても長く続けていくことが大切かなと。(笑)

取材:古屋 蔵人
文:工藤 岳
写真:岡本 隆史

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