
情報社会と身体をテーマとしたインスタレーションを80年代から行なってきて、そのなかで身体の知覚機能をインターフェイスとした空間をつくれないだろうか?と思いはじめ、93年ぐらいから意識的にリアルタイムのインタラクティブ作品を制作してきました。私は知覚というある意味複雑で広範囲なテーマに、これら視覚、聴覚、触覚、あるいは第6の知覚といわれている重力など、それぞれのインターフェイスを個別に研究、制作しながらプロジェクトを進めています。
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視聴覚行為のデータは常にふらつき、精神機能も伴った複雑なデータとなります。形態としての作品そのものよりも、身体とコンピュータをリアルタイムフィードバックしているプロセスが作品のすべてだと思います。身体と空間の間に存在する情報交換のプロセスを表現しているということです。つまりメディアアートと呼ばれる私の作品のすべては1秒1秒変化する消えゆく体験になっているのです。おかげで契約しているウィーンのギャラリーでは「プロセスよりも形のある作品をつくってください」と言われていますが…。このような身体と空間とのプロセスの連鎖を、コンピュータを使わず、たとえば彫刻など別の形で表現できればそれでもいいわけです。
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各プロジェクトは「インターフェイスは、我々の内側に存在している」ということを軸に制作されていて、これら身体機能をインターフェイスとした場合、つくられた空間すべてがその身体機能を拡張したものとなります。すべての答えは我々の内側にあり、もっとも優れたインターフェイスはすでに我々の内側にあると考えているのです。また、あえて従来の知覚機能をまっとうしないという現象を空間化しようと試みています。たとえば「目は見るだけではなく、耳は聞くだけではない」というように、耳で見て、鼻で聞いて、目で触覚するようなデジタルインターフェイスは可能なのか、という問いの答えを模索しているところです。
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「視ることそのものを視る」とはどういうことなのか、視るという行為を観客に問いかけています。『モレキュラー・インフォマティクス—視線のモルフォロジー』はEYE-TRACKINGという視線入力のテクノロジーとコンピュータプログラムによって、観客の視線が生成した形態の軌跡がリアルタイムに空間に投影されていきます。視線というものはいつも容赦なく動き回っていて、意識的にコントロールできるようにみえますが、実は無意識の作用が働きかけている場合が多いのです。視線入力技術が「嘘発見器」に使われていることからもわかるように、視線の動きには個々の心理状態が反映されています。
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日常生活における重力について考えてみましょう。人はなぜ、嬉しいときには上を見上げ、胸が高鳴り、飛び上がるのか、そして、悲しいときは首をたれ、うつむくのか。これらは、私たちは精神までも重力に縛られていることの表れであり、「上下」という価値観は、神は常に上方に存在し、地獄は地下にあるとされていることからもうかがえると思います。日本語/外国語に関係なく、言葉のなかにも「方向」に由来しているものが多く、上司/部下、上流階級/下層階級、沈む、陥る、奈落の底、上から監視される、気分は上々など、有象無象に存在します。上下左右という「方向」は、身体が重力の働く環境のなかで機能しているという事実から生じ、私たちの空間概念に深く取りついて離れようがないものです。私たちは重力からは逃れられない生活環境に存在し、建築物の形態はもちろんのこと、室内空間、プロダクト製品、ペットボトルの形、身体、内臓、あらゆる有機物、細胞まで、地上に存在するすべては重力という力の支配が形を変えたものといえるのではないでしょうか。
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重力と抵抗というその均衡のもとに、わたしたちの世界のすべては成り立っています。この作品は、重力を日常とは違った形で感じることにより、身体を再知覚していきます。「gravicells(グラヴィセルズ)」 の「cell」とは、建築用語で部屋や個室を表し、生物用語では細胞を示すように、空間の単位を表しています。今回の作品には展示空間全体から人間の細胞空間まで、そこに負荷される重力とそれへの反発力を空間的に可視化しようとする意図があります。作品は、重力とそれに対する抵抗力という、2つの引き合う仮想の力学場を、特殊な装置とセンサーによって空間内に構築します。その中に観客が入って自由に歩き回ることで、普段自覚していない身体への重力の負荷と、それに対抗する反発力とを感じることができ、また他の体験者との力の相互作用も感じとることができるのです。
作品詳細
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