明和電機の作品は「魚器(NAKI)」シリーズをはじめとしたナンセンスな機械。それを操る青い作業服を着た人物。
明和電機のそのパフォーマンスはいつも笑いと発見に満ちている。人体の中で働く別々の器官が強調するように、お互いに深く結びつき構築されている作品シリーズは、現代アートと職人技術を見せられているかのようだ。
明和電機の土佐信道氏が語る、そのルーツと制作スタンス、そして未来とは。
※このインタビューは昨年行なった「日本のメディア芸術100選」に伴い収録したものです。
──明和電機の作品は身体を使うものが多いのですが、特に意識しているのでしょうか。例えば身体に対して思い入れがあったり、動かして楽器を演奏することにこだわりがあるのでしょうか。
ひとことで言うと私が人前に出たいということですね
──土佐さん自身が人前に出たいということですか?
はい。普通は作品を見せたり、つくったものを見せるのが普通の作家なんですが、僕の場合は作品と一緒に自分も出たいですね。私は「出たがり」なんだと思います。
出発点は大学の卒業制作で妊婦のロボットをつくったことですね。等身大くらいのガックンガックンと動くロボットをつくって、けっこう人気があったのですが、僕が置き去りだったんです。そのとき、「僕よりおもしろくないのに何でこいつばっかり人気者で、自分が無視されるんだろう」と思ったんです(笑)
そもそも自分の制作をつきつめていくと機械で芸術をやるということがあって、究極的には物理的、論理的に仕事をする機械ではなくて、芸術的に仕事をする機械をつくりたいんです。そして、それはすごく「ナンセンス」な機械なんです。
それに対して妊婦ロボットは「コモンセンス」なロボットだったんですね。僕が打ち込んだ動きしかしないし、ロボットが動くことに対する驚きはありましたが、それ以上のものではなかったんですよ。
そこで「機械を使って表現をしたいけれども、機械はとても論理的な部品でできあがっているものなので、ナンセンスにしてしまうと壊れてしまう」という矛盾につきあたってしまって、ちょっとスランプになっちゃったんです。そこからは生物学の勉強をしたり、「奈良京都巡礼の旅」と称して神に会いに行ったりとか、いろいろともがいたなかで、「魚だ!」と思ったんですよ。
──どうして「魚だ!」と思われたんでしょう(笑)
まずひとつめは魚というモデルをたてるということが自分を判断することにつながると思ったからです。
もともとは、出たがりである自分自身のようにナンセンスな機械を作りたかったんですね。そこで「自分って何だろう」ということを考えたところ、「自分も生物である」ということに気づいて生物学を勉強したんです。生物学でおもしろかったのは、生物を客観的にシミュレーションして見ることで、それは僕にとって水槽の中の魚を見ることだったんです。
そして「水槽と魚」という関係は「世界と自分」という関係にとても似ている、だから魚というモデルを立てることが自分を客観的に判断することにつながると思ったんですね。
もう一つは神聖なる道具のなかには魚に関係したものが多いということですね。
例えば木魚はもともと魚の形をしていますし、ネイティブ・アメリカンが魚を殺すために使う魚打ち棒(なうちぼう)という道具も魚の形をしています。
そして自分の心の中を知りたいということもありました。
というのも僕は悪夢をすごくよく見るんですね。それは自分の心の中にあるドロドロした部分が吹き出していて、それが悪夢になっていると思うのですが、同時に「このドロドロとは何だろう」という疑問もあったんです。
こういった自分の中でひっかかっていたいろんなものが、魚というキーワードで結び付いた夜があったんです。「魚!!エウレカ!!(※「見つけた」という意味の古代ギリシャ語)」いう夜が(笑)
その夜を始まりに魚をモチーフにしたロボットをつくろうと思いました。ただ、妊婦ロボットのときの反省で、単独のシステムをつくっても、自分が与えた運命以外のことをしないとわかっていました。そこで考え方を変えて、機械をつくるんだけれども、それはすべて道具で、それを作動させるのは自分という身体だと考えたんです。
身体にそれを装着したり、僕が使うことで、たくさんつくった機械の部品たちがつながっていって、ひとつのナンセンスマシンをつくれないかなというのが、魚のシリーズの出発点ですね。
──土佐さんにとって道具としての作品というのは重要ですか?
重要ですね。書道、華道、茶道に代表されるように道具を使って自分の道を知るというのは日本人特有の考え方じゃないかと思っています。アミニズムとか、八百万の神という考え方もありますし。
道具をロボットのように考えるのは西洋的で、道具を使って道を知るのは日本人的なんじゃないかと思います。
──例えば、土佐さんが道具を使ってパフォーマンスをした時に、茶道の人でいう「極める」感覚はありますか?
ああ、ありますね。例えば、『パチモク』(※指を鳴らすことで作動するコントローラを使って、ムーブメントの先に付いた木魚を鳴らす楽器)は13年間使ってますが、やっぱり何か「型」があるんですよ。一発芸だったらもうやってないと思うんですけど、13年やっていてもまだつかめない(爆笑)きっと究極の「型」があるんだと思います。
明和電機、さらに言えばパフォーマンスとは「型」ですね。
──そうすると、明和電機さんの作品を買った人がやろうとすると、それはやっぱり買った人自身が「型」を模索しながら演奏しなければいけないのでしょうか。
まずは師範である僕の「型」を学ぶんじゃないでしょうか。その「型」が三代、四代続いていくと、伝統となるかもしれません。そのときには僕は創始者になりますね(笑)
──道具があって、パフォーマンスを考えるのでしょうか、それともパフォーマンスがあって道具を考えるのでしょうか?
完璧に道具が先ですね。兄が明和電機を辞めたあと、それまで兄が使っていた『コイビート』という作品は、歴代工員が受け継いで使っているんで、やっぱり『型』がありますね


1993年にアートユニット「明和電機」を結成。ユニット名は彼らの父親が過去に経営していた会社名からとったもの。プロモーション展開は既成の芸術の枠にとらわれることなく多岐にわたり、展覧会やライブパフォーマンスはもちろんのこと、CDやビデオの制作、本の執筆、作品をおもちゃや電気製品に落とし込んでの大量流通など、たえず新しい方法論を模索している。2007年は、岡山市デジタルミュージアムにおいて、個展「ナンセンス=マシーンズ展2007」を7月13日〜8月19日の期間開催。また、谷川俊太郎さんとの共作絵本の発売や、全国各地でのワークショップの開催など、多岐にわたる活動を予定。海外でも、フランス、シンガポール、ワシントンと公演を予定しており、ワールドワイドに活動している。
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