Vol.7 八谷 和彦

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「発明の日」に生まれ、宇宙船のプラモづくりや器械体操に夢中になった少年は、やがて人々の夢を飛翔させるメディア・アーティストになった。電子メールやTwitterの可能性を拡張する『PostPet』シリーズから、ひとり乗り飛行装置プロジェクト『OpenSky』まで。アイデアとコラボレーション、そしてそれを具現化する実行力を糧に、「社長兼メディア・アーティスト」の挑戦は続く。

[Interview 1] 工作、体操、演劇——才能を磨いた成長期

——最初に、八谷さんの少年時代について教えてください。
子どものころは、タミヤの「楽しい工作シリーズ」でカブトムシのロボットを自作して遊んだりしていました。たぶんそのころから、なにかしら動いたり機能したりするものが好きなんですよ。『宇宙戦艦ヤマト』のプラモデルも当時よくつくりました。だんだん販売されていないマイナーなメカもつくりたくなって、プラ板とパテでフルスクラッチ(既製品を使わずに材料だけで独自につくり上げる模型)に挑戦したりもしました。

中学時代に、『初歩のラジオ』っていう雑誌で調べて通販で手に入れたテレビゲーム自作キットを組み立てたのも思い出に残っています。テレビにつなげてちゃんと動いたときは感動しました(笑)。コンピューターに興味を持ったのも、たぶん同じころです。当時はシャープのMZ-80Kというパソコンがあって、といっても自分で買える値段ではなかったので販売しているお店に通って、プログラムを打ち込ませてもらったりしました。自分のそういう理科・工作好きな性質は、いまアーティストとして活動する上でも役立っているように思います。

——その後に進学した九州芸術工科大学(現・九州大学芸術工学部)も、理系と芸術系を横断する学校で、きっとぴったりの学校だったのですね。在学中はデザインを学びながら、演劇にも参加したとか?
演劇には最初は興味がなかったのですが、実は中・高と器械体操をやっていたんです。それで大学では「あいつはバック宙ができる」と演劇をやっている人たちからスカウトされて。当時の先輩たちも面白い人が多かったですね。最初のテレビシリーズの『新世紀エヴァンゲリオン』の演出に参加されていた加賀ツヨシさん(故人)や、いま特撮ヒーローもののキャラデザインを数多く手掛けている篠原保さんなどが先輩で、なんかむちゃくちゃなことをやっていました。8mmフィルムで制作した映像を上映し、それに合わせて役者が演技をする、といったことをコメディ・スタイルでやったりだとか。チケットをガシャポン(カプセル入り玩具)のフィギュアにして6種類もつくったり。

——そうした活動が、現在の糧になった部分も?
舞台って学生演劇であっても、お客さんからお金と時間を頂いて成立するものなので、値段分の価値をどう生み出すか、という意識をこの時期に学んだと思います。そしてグループワークの大切さも実体験できました。いま僕はデザイナー、プログラマー、航空力学の専門家などの異なる職能の人々とのグループワークで作品をつくることが多いんですね。また、いま自分で会社もやっていますが、会社ってグループワークそのものですし、その点でも良い現場訓練になったと感じています。

[Interview 2] 「発明系アーティスト」誕生の背景

——大学卒業後は、CIコンサルティング会社に就職。プランナーとして働きながら、個人で海賊テレビ放送『SMTV』を運営したりとユニークな活動をなさっていたようですね。アーティストとしての処女作『視聴覚交換マシン』(1993)が生まれたのもこのころですか?
はい。この作品はヘッドマウントディスプレイを使って、2人の人間がお互いの視聴覚を交換した状態を体験するものです。つまり、相手と自分の間で、体と心の位置を交換することになる。「誰も見たことのないものをつくりたい」ということをいつも思うのですが、そのために実験装置をつくってできるだけ多くの人に体験してもらい、「それを体験・目撃したときに人がどう感じるか」が僕の知りたい本質的なことです。

ただ、『視聴覚交換マシン』以降いくつかの作品を自作していたのですが、1995年につくった『ワールドシステム』のあたりで、大きな課題も感じたんです。それは「僕が本当につくりたいものは、今後自分だけではできないだろう」ということです。ま、要するにエンジニアとしての限界を感じたわけですが。もちろん、アーティストとしてエンジニアリングも勉強して、ひとりでなんでもできる人もたくさんいますが、自分としては「プロフェッショナルなエンジニアと組んでつくっていく方が完成度が高く、しかも多くの人に届くものができるのではないか?」と考えはじめたんですよね。

これはアートだけの話ではなく、日本のものづくりの世界にもその傾向があるんじゃないでしょうか。「ふつうの人」が感動するエンジニアリングが数少ないからこそ、iPadのようなものが登場するとあそこまで大人気になるのでしょう。

——芸術と技術、または精通者とふつうの人、そうした二項間の「溝」をプロデューサー的手腕を発揮しつつ埋めていくのも、八谷さんの特徴でしょうか。やがて独立した八谷さんの名をより広く知らしめたのは、可愛いクマが電子メールを運ぶソフト『PostPet』(1997-)ですね。
その種の「溝」って、個人的な活動を起点にすれば橋渡ししていける余地もあると思っているんです。例えば『PostPet』は3人のチームでプロジェクトを立ち上げ、インターネット・プロバイダーのSo-netにプレゼンして実現化しました。アーティストの仕事でも、そういう役回りのポジションは意外とまだ席が空いているように感じているので、未開拓ゾーンとしてやる意義があると思っています。

別の言い方をすると、作品単体よりも作品がつくる「場」のほうに興味があるというか。それがある種、表現のエンターテインメント性にもつながるのだと思います。僕は作品を「誰も見ていなくてもいい」という姿勢ではなかなかつくれない。せっかくつくるからには、やっぱりウケたいんです。まだまだ煩悩が多いというか(笑)。それから、実験装置なので被験者は多い方がいい、という理由もあります。

[Interview 3] 想いも身体も未知の場へ「飛ばしたい」

——そんな八谷さんのこれまでの作品群を改めて眺めてみると、ネット上に流れる個人の独白を特殊スコープで眺める『見ることは信じること』(1996)のように、知覚やコミュニケーションをテーマにした作品群と、未来型スケートボードのような『AirBoard』(1997-2001)など、物語の世界を実現化したような作品、ふたつの系統があるように思います。
確かにコミュニケーション系の作品と、乗り物系ーー僕自身は“Against Gravity”系と呼んでいるものーーとがあります。前者は、こういうものを実世界に放り込んだらどうなるのか、それを確かめたくてつくっています。後者は、割と純粋に自分のためという感じですね。

「広く社会との関わり」ということで言えば、コミュニケーション系の作品で世界を変えよう、といった野望もあるのですが、最近は乗り物系の作品にも、そういうテーマが入れられるのではないか、と思えてきました。例えば、1人乗り飛行機をつくる『OpenSky』プロジェクト(2003-)を進めていると、戦後の日米関係や航空技術史や日本独特の航空事情も見えてきます。なぜ現在日本では航空機がつくられないかもわかってきて…他方、コミュニケーション系の作品は、人間の知覚そのものを考える試みととらえています。

——ふたつの系統には共通点もあるでしょうか?
いま思ったのですが、「なにかを飛ばしたい」という気持ちは共通しているかもしれません。コミュニケーション系の作品では、個人や集団の意識を、ふつうの生活空間から別の位相に飛ばしたいという気持ちがある。オカルトな意味ではないですよ(笑)。乗り物系については、身体そのものを飛ばしたい欲求が根底にありそうです。いずれも少し昔の人が見たら「魔法?」と思うようなもの。本当はそういうものをつくりたい。そしてそんななにかを生み出す可能性はアートにも技術にも、まだまだ残っているとも思うんです。

——ただ、各作品には単なるマジカルな魅力を超えた奥行きもありますね。例えば『OpenSky』は、ちょうどイラク戦争の勃発時期に、兵器とは対極の「希望の飛行機」としてプロジェクトがスタートしています。
作品の中には、見てくれた人すべてでなくても、1000人にひとり気付いてくれれば、というレベルで伝えたい内容もあります。だからこそ、母数を増やすためにより多くの人に見てほしいという気持ちが強いんですよね。

[Intervie 4] 見えない壁を壊して世界を広げる

——いま注力しているプロジェクトについて伺えますか?
前述の『OpenSky』は、2003年に始めて、未だに開発しています。ゴム製のロープを使って機体を曳航する離陸飛行を成功させ、今はジェットエンジンでのテストフライトを目指す段階に入っています。現在のところ、パイロットは僕自身。エンジンでの飛行になれば高度も最大200m位まで上がるので、事故防止のためにトライク(体重移動型超軽量動力機)で飛行訓練をしたり、できる限りの準備もしています。なお現在、金沢21世紀美術館で、このプロジェクトの全体を紹介する展覧会を開催中です(2010年8月31日まで)。

並行して、PostPetのTwitter版『PostPetNow』も開発中で、近々リリース予定です。各ユーザーは自分がフォローしている人から数人を選んで、一緒にドールハウスのような仮想空間に住む、というものです。Twitterを使って、疑似家族になる、というか。疑似家族をつくるのだったら、誰とつくる? という投げかけですね。

この開発は従来の『PostPet』ファンに向けてという思いもありますが、なにより「Twitterにはもっと楽しい使い方があるんじゃないか」と思ったのが大きな動機です。Twitterユーザーはいま日本に500万人以上いるそうですが、その多くはアカウントつくっても楽しくなる前に辞めちゃったり、あるいはホントに数人の身近な輪の中でのみつぶやき合っている。それはちょっともったいないな、と思っていて。そこにある見えない壁を壊して世界を広げる、そんなことができたらと思うんです。あと、これで儲かったら『OpenSky』の資金繰りもうまく回したいです(笑)。予算はいつも足りていないので。

——そのあたりはご自身の会社「PetWORKs」の社長としての目線ですね。
例えば『OpenSky』は、ずっとスポンサー企業なしでやってきているのですが、それは実は安全性を担保するためだったりもするんです。広告になると「何月何日までに飛行してくれないと困ります」という事態を招いたりするんです。僕のやりたいことは安全にプロジェクトを完了することなので、無節操に助成金を申請したり、スポンサーを探したりするのは違う気もしています。まず自分や周りの友達が欲しくなるものをつくろう、という気持ちは変わりませんから。

——最後に、文化庁メディア芸術祭と、若いアーティストの皆さんへの提言やメッセージがあれば伺えますか。
僕はやはり毎回、アート部門に注目しています。ただ、他の部門(アニメーション、エンターテインメント、マンガ)とは商業性やつくり手の育成方法、さらにお客さんもかなり異なりますよね。今後はそこをふまえた展示ができれば良いのでは、と考えています。国立新美術館での展示は周りの音が混じるので、環境として厳しいものがあると思いますね。それから特に、受賞することでその後の美術界での活動につながる場になってほしいと思ってもいます。メディアアートの展示機会は国内ではそう多くないですし、美術関係者がきちんと作品を見て評価できる場にしたほうがよいと思います。

審査で選ばれた作品については、確実に一定以上のレベルを獲得しているので、僕から作家の皆さんに言及することは特にないです。むしろ、こういう表現を紹介する場がまだまだ少ないという状況のほうが課題で、もう自分も中堅だと思っているから、最近は若い才能を紹介できるお手伝いができればと思っています。僕から作家さんへそういう声をかけることもあると思いますが(笑)、みなさんよかったらぜひ参加してくださいね。

取材・文:内田 伸一
写真:笹野 忠和


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