©François Lacour
去る2008年5月31日(金)より7月4日(金)まで、国立代々木競技場・オリンピックプラザで「モバイルアート」という大変ユニークなアートイベントが開催されていました。このイベントを仕掛けたのは、ファッションのスーパー・ブランド、シャネル。香港からはじまり、現在は、東京からニューヨークへと舞台を移しているこの一大アート・プロジェクトは、今後もロンドン、モスクワ、パリと、世界の主要都市を巡回します。今回は、その東京で開催されたようすをレポートします。
「モバイルアート」の舞台となったのは、現在、世界的にもっとも注目されている、イラク出身の建築家ザハ・ハディドの移動式パビリオンです。そもそもこの展覧会は、シャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドが「“旅する美術館”をつくったらおもしろいのでは?」と思いつき、そのアイデアを友人のザハ・ハディドに伝えたことからはじまりました。こうしてザハ・ハディドが設計したのが、300ものパーツに分解して世界各国に運搬することができる、UFOのようなかたちのパビリオン。会期中、代々木公園前を行きかう人たちは、突如として現われたこの流線型の建造物を、目を丸くして眺めていました。
©François Lacour
このパビリオンには、あらかじめ予約をし、20分ごとに40人ずつ入場します。受付で荷物を預け、ベンチに座って待っていると、係の人に渡されたのは、イヤホンつきのMP3プレーヤー。このプレーヤーを耳に装着すると、なんとも独特なしゃべり方をする、しかしとても魅力的な女性の声が聞こえてきます。
「さあ、立って、歩いてください」
ひととおりのご挨拶や「モバイルアート」の説明が終わると、そのシャーマンのような声に従って、観客はザハ・ハディドの近未来空間へ、次々と出発していきました。
MP3プレーヤーから聞こえてくる声やサウンドを頼りに、建築内に点在するアート作品を見てまわる、約40分間のアート・ツアー。それこそが、今まで誰も経験したことのない展覧会「モバイルアート」のスタイルだったのです。
©François Lacour
この会場のなかに展示されているのは、国際的に活躍する20組のアーティストが手がけた作品群。それらのすべてが、シャネルのキルティングバッグからインスピレーションを得て制作された新作です。
「さあ、この空間を自由に感じてください」
と言われて、まず、出合う作品が、天井からはロリス・チェッキーニ(イタリア)のシャンデリアのような彫刻が下がり、床にはマイケル・リン(台湾)のモザイク模様の床が広がるゴージャスな空間。会場内のさまざまな光を反射してピンク色に染まったそのインスタレーションは、まるで宇宙船のなかにしつらえられた、豪華なリビングルームのようでした。
Michael Lin, "Untitled" 2007-8 (installation)
Loris Cecchini, "Floating Crystals (incoherent extensive formations for my deepest vibrations)" 2007-8 (sculpture)
©François Lacour
その奥の階段をのぼり、すり鉢のようなスクリーンを、声に従って覗いてみると、暗闇のなかから無数の虫が、ゴソゴソと這いあがってくるようなアニメーションの映像が映しだされています。これは「モバイルアート」のキュレイター、ファブリス・ブストーも大ファンだという、日本のアーティスト・束芋の作品『at the bottom』。束芋本人の言葉によると、自らの“身体”を記憶や体験を運ぶ“バッグ”と見たて、自分が昆虫に持っている記憶やイメージを作品にしたということです。題名から、バックの底でさまざまな虫たちが動きまわっているようなイメージをもちますが、モチーフはグロテスクでありながら、同時に美しく、ファンタスティックな作品です。
Tabaimo, "at the bottom" 2007 (video installation) ©François Lacour
そして、「モバイルアート」を訪れた人の多くが称賛した作品といえば、アルゼンチンのアーティスト・レアンドロ・エルリッヒの『The Sidewalk』でしょう。これは、展示空間につくられた暗い路地の脇にたまった、雨しずくがぽたぽたとしたたる水たまりに、シャネルの本店があるパリ・カンボン通りの瀟洒(しょうしゃ)な建物が映しだされていて、建物に住む人々の暮らしのようすが、影や灯りで感じられる作品です。夕暮れ迫る街なみの、寂しくも美しい映像が、とても静謐(せいひつ)で、詩情豊かなインスタレーションでした。
Leandro Erlich, "The Sidewalk" 2006-7 (video installation) ©François Lacour
シャネルのバッグをテーマにした、シャネル主催のアートイベント。それにもかかわらず、メゾン礼賛に陥らず、ブランドを徹底的に皮肉ったような作品があったのもこのプロジェクトの大きな見どころのひとつでした。
なかでも、それが一番よくわかるのが、ロシアのアーティスト、ブルー・ノージズのビデオ・インスタレーション。会場に置かれた段ボールのなかをのぞくと、裸の女性たちが、シャネルのバッグを奪いあったり、追いかけたりしています。これはブランドに夢中になる女性たちの究極の姿?こっけいで、ちょっと哀しい人間の性(さが)が描かれているようです。
Blue Noses, "Fifty Years After Our Common Era, or Handbags' Revolt" 2007 (video installation) ©François Lacour
また、せっかくのハディドの空間のなかに重厚なコンテナを持ちこみ、その隙間から見える内部のインテリアをすべてシャネルのバッグと同じキルティングで覆ってしまったファブリス・イベール(フランス)の作品『Comfortable』は、ブランド品に囲まれることで心を満たそうとする人のありさまをあらわしているよう。
そして、ブヒブヒという鳴き声に誘われると、そこにはディム・デルヴォワイエ(ベルギー)のシャネルのマークが入ったブタ革バッグが。バッグの両脇にかしずく、背中に刺青を彫られた2匹のブタが、「牛革ではないけど、ブランドであればOK?」と観る者を挑発します。
シルヴィ・フルーリ(スイス)の作品は、内部がピンクファーに覆われた巨大なシャネルのキルティングバッグのなかに、やはり巨大なシャネルの化粧コンパクトが置かれているというもの。ビデオのモニターになっているそのミラー部分からは、銃でバッグを撃つ映像が流れています。また、コンパクト部分に近よると、化粧品の匂いが鼻をくすぐります。この作品は、「嗅覚」に訴える作品でもあったのです。
Sylvie Fleury, "Crystal Custom Commando" 2008 (video installation) ©François Lacour
MP3プレーヤーの声に従い、もっとも旬なアーティストの作品を、ザハ・ハディドの建築のなかで体感する「モバイルアート」。それはアート鑑賞の新しいスタイルを提示してくれただけでなく、ブランドをめぐるさまさまな価値観を、メゾン自体が受けとめて広く公開してみせた、という点でも、興味深いイベントだったということができるでしょう。











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