倉田よしみ
(くらたよしみ)
1978年「萌え出ずる・・・」でデビュー。「味いちもんめ」(あべ善太・作)で第44回小学館漫画賞を受賞し、テレビドラマ化。続編「新・味いちもんめ」「味いちもんめ・独立編」のほか「4丁目大リーグ」「開運セールスマン杉山等くん」「どんサブ涙ばし」(作・湯舟敏朗)など。
味いちもんめ
1986年〜、小学館『ビッグコミックオリジナル増刊号』
新・味いちもんめ
1999年〜、小学館『ビッグコミックスペリオール』
テレビドラマ化もされた倉田よしみさんの代表作『味いちもんめ』は、『新・味いちもんめ』『味いちもんめ・独立編』と引き継がれ、現在も続いており、25年もの長期連載となっている。今年でデビューして31年目を迎える倉田さんに、『味いちもんめ』秘話や子ども時代のエピソード、アシスタント時代の話、マンガに対する想いなどをうかがった。
―― 単行本1冊分の原画が、出版社によって古本屋さんに売られてしまったご経験があるとお聞きしました。
200ページぐらいの「釣宿ものがたり」という作品なんですけど、いまだに手元に戻ってきていません
―― それ以外の原画はご自分のところにあるんでしょうか。
ええ。秋田の実家に茶箱に入れて保管しています。あと、編集者から送られてきた袋のまま、仕事場の棚に置いてあるものもあります。
―― 高校卒業までは秋田で過ごされたということですが、小さいころはどのようにしてマンガに出会われたのですか。
母親の実家が秋田の大館で、子どものころはそこへ年に一度遊びに行っていたんです。そのときにマンガ雑誌を買ってもらって、電車の中で読んでいました。それがマンガを読み始めたきっかけだったと思います。自分でマンガらしきものを描き始めたのは、幼稚園のころです。2カ月ほど入院していたときがあって、紙にいたずら描きみたいにして描いていたのを覚えています。そのころに読んで印象に残っている作品は、一峰大二さんの「ナショナルキッド」「七色仮面」、松本零士さんの「電光オズマ」などですね。ただ、中学校に入ってからはクラブ活動のテニスに夢中になってしまって、マンガからは少し離れていました
―― 高校に入って再びマンガを読み出たしということですが。
高校一年のとき、前の席に座っていた人がマンガ好きで、『COM』や『ガロ』がおもしろいぞと教えてくれたんです。それでその2冊を読み出すようになって。絵としては『COM』のほうが好きでしたね。『ガロ』は、当時はどう理解していいかわかりませんでした。でも、今考えると、僕が描きたいマンガは『ガロ』の中にあったのかもしれないなと。そのときそのとき自分が描きたいものを素直に表現していたのが『ガロ』という雑誌だったと思います。同じようなころ、本屋さんでたまたま永島慎二さんの「漫画家残酷物語」を見つけて、それを読んでから、自分でもマンガを描きたいと思うようになりました。高校生のときは、勉強する時間よりもマンガを描いている時間のほうが長くて、これから先もずっとマンガを描き続けることができたらいいなと。
―― そういう想いを持ってちばてつや先生のアシスタントになられたわけですね。
高校三年生のときに、雑誌でちば先生がアシスタントを募集しているというのを知って、応募したんです。運よく2月に採用通知が来たので、卒業後、上京しました。ちば先生のところは、周りもすごくいい人たちばかりで、一から教えてもらって。先輩たちには技術的には全然かなわないんだけど、ちょっとでも役に立てるようにと練習を積み重ねました。
―― アシスタントとしてプロの現場に入って、アマチュアとの違いをどのように感じましたか。
アマチュアとプロとはまるっきり違います。プロというのは、雑誌にどう印刷されるか、印刷効果を考えて描かなきゃいけないんです。原稿では細くてきれいな線でも、印刷するとかすれてしまったり、また線が太すぎるとインクがにじんでしまったり。
―― 1本の線を描くにも、いろいろ技術があるということですね。
プロというのは、1から10までの線を持っています。だけど、マンガを描き始めたばかりの人は、太い、細い、中ぐらい、の3本ぐらいの線しか描けない。実際に原画を見てもらえば、線の強弱とか、太さの違い、いかに線というものが多様であるかがわかると思います。
―― ちば先生のところで5年半アシスタントを経験した後、独立し、「萌え出ずる・・・」でデビューされてから今まで休むことなくずっとマンガを描き続けていらっしゃるわけですが、マンガを描くのがいやになったことはないんですか。
一度もないですね。とにかく描くのが好きなので。高校のときからずっと描き続けているんですが、途中であきらめたり怠ったりすることなく描き続けていたおかげで今があると思っています。
―― 1984年に始まった「味いちもんめ」が倉田先生のマンガ家人生の1つの転機になったと思われますが、これはどのようにして始まったのですか。
「味いちもんめ」が始まる半年ぐらい前に「美味しんぼ」が始まっていて、きっと編集者の間で、これからは食をテーマにしたマンガがブームになるんじゃないかという話になったんだと思います。ただ、食だけがテーマだと「美味しんぼ」と同じになっちゃうので、人情を絡めた、板前さんたちを中心にした作品にしようと。
原作のあべ善太先生は、以前に落語のマンガの原作をやっていた人で、そのあべ先生の原作を編集者から渡されて、読んだら、とてもしっくりきたんです。それはきっと、僕もあべ先生も落語好きという点が共通していたからだと思います。波長が合ったんですね。実はちば先生も落語好きで、仕事場でも時々、落語のレコードがかかっていたりして。落語のやりとりというのは、マンガに近いところがあるんですね。マンガのストーリーを考えるとき、最初はセリフだけで考えていくんです。そして、そのセリフのやりとりや間合いみたいなものを紙に落としていく。あべ先生の原作は、読んだ途端、自然とコマの流れが浮かんできて、とてもやりやすかったです
―― 「味いちもんめ」は25年にも及ぶ長期連載となっていますが、描き始めた当初はこんなに長く続くとは思っていなかったそうですね。
想像もしていませんでしたね。長く続いている理由の1つとして、あべ先生の原作には時代が移っても変わらない日本人の人情、心みたいなものが書かれていたということがあると思います。
―― 「味いちもんめ」は料亭が舞台となっていますが、実際に取材に行かれたんですか。
何カ所かは行きました。包丁や調味料がどのように配置されているかとか、実際に見てみないとわからないので。プロの料理人が見ても納得してもらえるリアルな絵にしたいと。ちば先生の絵がそういう絵で、ちば先生は必ずマンガを描く前に必要な資料を準備します。同じように僕もまず資料を用意してからでないと描けないんです。
―― デビューから今まで、マンガを描く際に大切にしていることは何かありますか。
絵のクオリティーですね。手を抜きたくないんです。編集者と印刷所の人には悪いなと思うんですが、ぎりぎりまで時間をかけて描いていきたいなと思っています。
―― 4月からは大学でも教えられるそうですね。
今、マンガの世界もデジタル化してきています。ただ、パソコンですべてやってしまうと、みんな同じようなものになってしまう。手描きで彩色というのは、その人だけのもので、まねしようと思ってもまねできない。個人個人で全部違ってくる。手描きマンガの文化が絶えたり、退化していかなようにしていってもらいたいんです。やっぱり手で描いたほうが気持ちとか心がこもっているんじゃないかと。コンピューターに頼る部分があってもいいんだけれども、気持ちとか心を伝えられる絵を描けるような人に育ってほしい。ちば先生の最近の作品を見ると、線に気持ちがこもっている、魂が入っている、すごいなと思います。そういうことを若い人に伝えていけたらなと思っています。(了)