竹宮惠子
(たけみやけいこ)
1950年徳島県生まれ。1967年「りんごの罪」で佳作入選しデビュー。1978年『地球へ・・・』で第9回星雲賞コミック部門受賞。1980年『風と木の詩』『地球へ・・・』で第25回小学館漫画賞受賞。2000年京都精華大学マンガ学科の教授、2008年同大学マンガ学部の学部長に就任。
かぎッ子集団
1968年、虫プロ商事『COM』
地球へ・・・
1977年~、朝日ソノラマ『マンガ少年』
2007年に「地球へ・・・」がテレビアニメ化されたことにより、新たな読者を獲得し、ファン層を広げられている竹宮惠子さん。最近では、大学で後進の育成に力を注ぎ、また『原画’(ダッシュ)』(極めて原画に近い複製)を作成し、その保存・公開を積極的に行っている。マンガ文化を支えるいろいろな活動をなさっている竹宮さんに、他のメディアにはないマンガならではの魅力を中心にお話をうかがった。
―― デビュー作の「りんごの罪」は投稿作品ですが、原画はどのようになっていらっしゃいますか。
私の手元にはないんです。あの当時、応募要項に『お返ししません』と既に書いてありましたので。最近は投稿作を自分で保管したいので返してくださいと言う人もいるようですが、当時の私はそんなことにまで気が回らなくて。昔は原稿は作者に返すものだという意識が編集者も含めて業界全体になかったと思います。
―― 原画に対する意識が変わってきたのはいつ頃からでしょうか?
私が新人として活躍の場を求めて『週刊少女コミック』という雑誌に移ってからですね。少女マンガ誌は講談社や集英社のほうが先につくり始めていて、小学館は後発だったんです。なので、雑誌づくりに新しい考え方が入ってきやすい雰囲気でした。それで編集者から法律で原稿は著者に返さなきゃいけないことになっていると聞いたんです。それを知ってから、私もいろいろ方法を考えて、"返却願います"という判子を自分でつくって原稿に押すようにしました。
―― 当時はほかの人の原画を見る機会もあったとか。
編集部に行ったときに見せてもらったりしていました。原画を見ると、印刷物ではわからない作家の細かな工夫とかがわかるので、勉強になりました。
―― マンガに触れる機会は小さなころからあったのですか。
近所のお兄ちゃんから『少年』とかを借りて読んでいましたね。あとは貸本屋に通って劇画なんかも読んでいました。小学校2、3年生のころに白土三平のデビュー作も目にしているんです。
―― マンガのどこが一番おもしろいと感じられていましたか。
都会のことがわかるということでしょうか。私は田舎に住んでいたので、マンガに描かれている生活そのものが自分とは違う。そういう生活が都会にはあるんだという社会的な知識が増えていくというのが一番おもしろかったです。それはもっと広く言えば、未来ですね。実際に見てないもの、知らないものがこんなふうになる可能性があるんだと。
マンガというのは1つの提案ですよね。作家がいろいろなものを提案している。それをたくさん読んだり見たりするということは自分自身の価値観を育てるのにものすごくいいんです。マンガの世界というのはすべて“仮に”だから、自分は自分の価値観をつくればいいんだと。教科書とかは既に価値が決まっているものなので、こっちが、いい、悪いを言えない。でも、マンガには安心してツッコミを入れたりできる。そういう自由度があるところがよかったですね。“たかがマンガ”なんだという安心感。でも、すごくマンガに価値を置いているという自分のスタンスが好きで、そういうところから自分の価値観ができていったと思っています。
―― ここ最近は京都精華大学で学生に教えていらっしゃいますが、そういうお話もされるのですか。
学生にはマンガには何の垣根もないとよく言っています。垣根もないけど、それは自分でつくったり壊したりしなきゃいけない。自由だけど、自分で決めなきゃいけないものだと。そこが私にとっては一番の魅力なんですけどね。
学生に『なぜマンガを選ぶのか』と聞くと、コトバで言えないことが言えるからいいという学生もいます。
―― ほかにそういうものはないですよね。マンガはすごく不思議なメディアだと思います。
そうですね。“非言語メディア”とも言われますが、マンガは私のコトバでもあり、私にとっては十分なコトバなので、“非言語”と言い切ってしまうのはどうなのかなと疑問に思います。すごく微妙なものですよね。
―― 自分の置かれた環境なり、世相なり、そういうものをマンガは反映したりすると思うのですが。
そうですね。私はここで紙に描いているけど、問いかける先は、それを手にとる読者。この間にコミュニケーションが成立することが大切。原稿を出した時点で終わりでないというところがすごくおもしろいところです。だから、描いているときにもそれを想定していないとダメなものになっちゃう。例えばどういう顔にしようかと考えるとき、多くの選択肢がありますよね。でも、読者にとってはどうかと考えたら選択肢が狭まってくる。その中で選んでいきなさいと学生にも言っています。
―― 描き手と読み手はマンガを通してコミュニケーションをとっていると。
要するに、マンガは、紙面を通じて作家と読者がコミュニケートした瞬間に成立できるということです。
―― 今は日本だけではなく、海外でも広くマンガが読まれていますね。
海外の人たちもマンガのそういう特質に気づいてくれているんじゃないかなと思います。だから、マンガはおもしろいんだと思ってくれているんだという手ごたえが今はあります。
―― 今やマンガは世界に誇れる日本の文化だとも言われ、マンガ家にあこがれて目指している若者が多くいると思いますが、そういう人たちにまずやっておいてほしいことはありますか。
私は今、大学で教えていますが、基礎的なことができてない人が多いんです。そういう技術は自分で努力して身につけておいてほしい。例えば枠線を引くというごく単純なこととか、デッサンとか。こっちから光が当たったらどういう影ができるとか、観察することすらもできてない場合がある。今はあまりにもたくさんのマンガがあるから目移りしちゃうんでしょうね。どれにも共通する基礎があるはずなのに、そこまで見るに至ってないというか。
それとか、すごく描ける人なのに間違ったまま覚えている人もいます。昔だったら編集者がそういうところを指摘していたのですが、今はそういうのがなかったり。大昔はマンガは教育界からにらまれていたので、編集者もピリッとしていて、私もいろいろ意見されたこともあります。今はそういうタガがなくなってきていて、編集者も教えることができない状態になっているんだと思います。
―― そうすると、昔の編集者の役目を学校みたいなところが担うようになっていくのでしょうか。
ええ。そういうことを教えるのはもう学校しかないと思っています。ただ、学校もまだしっかりした方針を持てるほどの構造になっていないところもありますので、すべての学校に旗を振る人がちゃんといて、それでやっていってくれるといいなと思っています。
―― 最後に、今後描いてみたい作品について教えてください。
昔から私は一歩も進んでないような気がするんです。変わったという感覚は全然持っていません。昔の原稿を見ると、全く同じものが自分のなかにあるんだなと。絵が変わったりとか、そういう変化はあっても、表現として全く変わってない。習い覚えた基礎が全くそのまま残っているなと。これはやっぱり手塚先生とか石ノ森先生とかがつくり上げてきた基礎的な部分のある種の成熟段階なのかなと思っています。これさえ持っていれば十分というか。目先の派手さとか、そういう部分は若い人にお任せしたいですね。新人として世に出るときにこれでいいと思ったものをそのまま持っているので、これからも自分はこれでいいのではないかと。だから、また作品を描くことに戻っても同じようなものになるのかなと思っています。(了)